「未必の故意(上)」実務からみた刑法総論その2 | 刑事弁護人の憂鬱

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「未必の故意(上)」実務からみた刑法総論その2


1 刑法38条1項は、「罪を犯す意思」がなければ罰することはできないと規定する。この法文の意味は、犯罪が成立するためには、原則として「罪を犯す意思」(故意)が主観的要件として必要であることを意味する(故意犯処罰の原則「故意なければ刑罰なし」。例外的に過失を処罰するが、過失処罰には特別の規定が必要となる。刑法38条1項但書)。法文の規定は36条の正当防衛、39条の心神喪失の規定のように、~行為は罰しないという規定で故意の不存在が犯罪阻却事由のようにみえるが、~ない行為は罰しないという二重否定になっているので、~ある場合に罰する意味であり、故意の存在が積極的犯罪成立要件であり、積極的な立証を要するものである。よって、故意は、起訴状記載の公訴事実として訴因によって示される「罪となるべき事実」と理解される(構成要件概念をどのように理解しても故意が「罪となるべき事実」すなわち積極的犯罪成立要件、積極的な主観的要件であることに実務学説ともに争いはない。)。


2 故意の種類は、確定的な故意と不確定的な故意に分類され、後者はさらに概括的故意、未必の故意等に分類される。未必の故意は、認識ある過失と概念上区別されるが、その区別の基準、別の角度からいうとその内実、認定方法が問題となる。
  未必の故意の概念定義については、様々な議論があり、様々な見解が主張されているが、一般的な理解としては、犯罪事実の認識・認容があれば未必の故意を認めてよいという認容説である。たとえば、殺人罪を例にとると、ナイフで刺すことは相手が死ぬ危険があると認識しているだけでなく、死んでもかまわないという「認容」があれば、未必の故意をみとめてよいという理解である。この「認容」というのが、犯罪事実すなわち殺人罪でいえば、死という結果を受け身的な形にせよ否定しないという意味での主観があればよいということであるが、これが、被疑者。被告人が否認している場合の状況証拠で認定する場合に、このような微妙な主観というのが明確に認定できるのか、かなり疑問である。法律の素人である裁判員ならばなおさらである。
 そこで、裁判所は、一時期裁判員模擬裁判で「強い殺意」「弱い殺意」概念をつかって、未必の故意の説明をこころみようとしたことがある。いわば殺意の程度の強弱での説明である。確かに確定的殺意と不確定的殺意の区別概念としてならば、わかりやすい説明であるが、問題となるのは「殺意の有無」であって、弱い殺意の「有無」をどうやって判断するのかが議論されなければならず、「弱い」とはいえ「殺意」があるかどうかについての基準については何も物語っていない。認識(認容)の「有無」の問題を認識の「程度」にスライドしても問題解決にはならないのである(裁判員裁判の問題点は、説明のわかりやすさを追求するあまり、概念や事実認識を裁判員に誤解させる点、かえって「真実」とは異なる事実の印象を与える点がある。この説明の容易性・単純化が、裁判員の心証に与える影響の功罪については別の機会に論じる。)。


3 また、死という結果についての未必の故意のほか、薬物犯においては、麻薬、覚醒剤といった客体についての未必の故意が問題視されることがある。違法薬物の輸入罪の案件では、薬物の運び屋のケースでは、中身を知らせずに運ばせるケースがあり、入管の検査ではじめて中身が露見し発覚し、故意があったかどうか争う事件を実際に経験したことがある。
   判例、実務では、薬物の隠匿態様、形状、運び屋の報酬額等を考慮して、少なくとも麻薬、覚醒剤等を含む違法な薬物かもしれないという未必の認識を、状況証拠から認定することがままある。
   具体的にはケースバイケースなのだが、白い結晶などの薬物本体をみていないで運ぶ場合に、状況証拠から、気づくべきだったという「過失」は指摘できても、これを超えて、「違法な薬物かもしれない」と認識していたはずだと断定できるほど推認が可能かどうかは疑わしい。漠然とした心理、中身には無関心という心理状態に「認容」という評価が可能な事実を推認できるのであろうか。
   もうひとつは、未必の故意の存否を争う被告人の納得の問題である。推認のプロセスが説得的でないと、処罰される側には誤判であるとの意識をもってしまい、特別予防上望ましくない(これは未必の故意の場合に限ったことではないが、状況証拠の推認プロセスが雑だとよりこの印象の方が強くなる。)。これは薬物犯は故意犯処罰の原則通りの犯罪類型で過失犯は処罰されないことに起因する。つまり、未必の故意すら認められないという判断では、中身を知らない運び屋を処罰できず、それを利用した薬物の売人の行為を抑止できないという政策的判断が背後にあるのではないだろうか。また、末端である運び屋を重く処罰すること及び報酬等の不正な利益の没収をはかることが、類似行為に対し、割があわない行為であることを広く告知することが一般予防上重要であるという理解があるのであろうか。しかし、薬物犯の組織的犯行の摘発という観点からすると、末端や媒介者の摘発処罰だけでは根本的な犯罪抑止にはならないのであり、単に「運が悪かった」としか被告人が思わない処遇は、真の意味での犯罪抑止効果は期待できない。


(「未必の故意(下)」に続く)