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寺内貫太郎一家のころは

 

悠木千帆だったのかな

 

おばあさんなのに

 

お母さん役の加藤治子さんより年下だと

 

同級生の間で話題になっていた

 

ドリアンさんの追悼文が響くな

アメーバからメールが届いていた。

ジャンルを分けるとか、年代別にうんたらかんたらとか。

 

ラインとかフェイスブックとかで、すっかり自分のブログのことは忘れていた。

 

ブログを始めた頃、知り合った人たちはどうしているだろうか。

 

アメーバさん、ほったらかしにしていてごめんなさい。

 

今夜は女房がいないので、夕食の準備もあり、いつもより早く帰宅した。

 

株のこととか、為替、仮想通貨について、また思うことを書ければいいかな。

今日から11回目、ここで早くも炎症が現れた。

 

放射線科の先生が、「だいたい折り返し地点で出てくるんだがなあ、早すぎるなあ。」と首をかしげた。

「君はお酒好きかい?」正直に「好きです。」と答えると、

「きついお酒を飲む人はどうしても粘膜がやられるからな。」

そういうことか。

いまさら後悔したって仕方ないが、なんだかなあ。

 

「これからどんどん痛みが増してくると思いますが、飲み込みができるうちは口からどんどん取るようにしてください。」

先生にそんな風に言われた。

たいへんだ。

 

 

 

 

 

 

抗がん剤を注射して、いきなり副作用が出てきた。

いつもの食欲不振、何とかおかゆだけは食べるようにした。

 

先生の話によると、治療も半分を過ぎたあたりから

炎症やら焼けがひどくなるので、今のうちに栄養をとるようにと

難しいことを言われた。

 

仕事で付き合いのある会社の方が、同じ階に入院していて

5年前同じ場所を放射線治療したと教えてくれた。

その人は内部の炎症は全くなかったので、食べるのは

全然苦労しなかったと教えてくれた。

ただ外部の痛みはひどく、最後の5回はたいへんだったらしい。

 

先生も首をかしげていたけど、ガムを噛んで口の中乾かさないようにすれば、だいぶ違うよと教えてくれた。

 

さてそんなに簡単にうまくいくのだろうか。

ばたばたと連休が終わると、5月8日月曜日

第1回目の放射線治療が始まった。

 

照射回数は35回、その中に2回の抗がん剤を合わせる治療だ。

照射時間は5分くらいだろうか、それまで体の位置を合わすのに

10分くらいの時間がかかる。

これは治療の前の週に、照射台に寝て体にマーキングして

顔から肩までのマスクをこしらえるのだ。

マーキングは首の中心、両肩、両腕、脇、多分それを赤外線で仮想上のシルエットと合わすのだろう。

そして別注のマスクでがっちり固定する。

ちょうどアイスホッケーのキーパーのマスクを想像してもらえばいいと思う。患者さん一人一人の違ったマスクがあるのだ。

照射台に仰向けに寝て、頭からマーキングに合わせていき最後にマスクで固定する。

最初私の後頭部に骨が出っ張っていて、それが非常に痛かった。

 

1回目の治療は外来で済ませて、翌日5月9日3回目の入院をした。

そして5月10日に、抗がん剤の注射をした。

 

 

 

4月26日次のステップのため、入院した。

入院初日は検査のみ、手術は翌日だった。

 

手術当日は、パンツ一丁で手術用のガウンを着た。

手術には、女房と義母がついていてくれた

手術室までは看護師さんと歩いて行ったと思う。

多分部屋についてすぐ寝てしまったのだろう、何も覚えていない。

 

帰りももちろん覚えていなくて、気が付くと病室に寝ていた。

小便の管が1本ついていた。

一度起こされてから、またすぐ眠ってしまったのだろう

目覚めたときは部屋には誰もいなかった。

 

首の左側を大きく切ったのだが、別に痛みは感じられない。

この場所は前回の時も切っており、まったく重なった。

翌日には管も抜き、後は何もすることがなく

5月2日には退院した。

 

結局無理にでもこの手術を、何とか連休中に入れたかったのだろう。

 

 

 

 

 

入院している耳鼻科は、毎朝9時に全員診察があり

毎日違う先生の診察を受けていた。

 

耳鼻科の先生は部長先生を筆頭に8人居り、中でも副部長先生が

偉いと評判だった。

しかし物の見方は三者三様で、他の先生は口を揃えて私の腫瘍が

小さくなったと喜んでくれたが、この先生だけあまり変わりませんねと

意見が違っていた。

 

食欲が戻ってきて、ある程度抗がん剤の効果もわかったので

次のステップの治療と、入院時期の打ち合わせを始めた。

それより先に退院なのだが、直近の血液検査で

白血球が既定値より少なくなってしまった。

 

3日間退院が伸びた。

 

4月5日から抗がん剤の投与が始まった。

まず初日は1本目の薬を利尿剤と一緒に

そして2本目を水分と一緒に、一晩かけて点滴した。

 

2日目からは2本目の点滴を4日間続けた。

 

初めの3日間は副作用らしきものは何もなく

ただじっと寝ているのが苦痛なだけだったが

それが3日目の夜から急変した。

夕食もほとんど終わりに近づいたころ、何も口に入らなくなった。

何とか無理やり詰め込んだが、結局朝になってもその状態が続いた。

 

ちょうど土、日だったので皆が食事の間、病院の中をうろうろしていた。

まあまったく何も食べれなくなったということはなく、

ゼリーやプリン、ヨーグルトなどは何とか食べれた。

 

看護師さんも食べれる物なら、何でもいいから食べなきゃと

言ってくれた。

結局4日間はそんな物を食べて、凌いでいた。

後は抗がん剤を打ち始めてから、鼻水が止まらなくなった。

それに伴って鼻血がよく出るようになった。

まあ両方とも因果関係はわからないが、鼻の粘膜が原因なら

副作用化もしれないな。