週に一回、ばあさんの見舞いに行きます。
ばあさんは卒中で、口が利けない。会うと、いつもこっちから話しかけるばかりで、向こうからは相づちのような笑みだけ返してくる。
きのうも行ってきました。
隣のベッドには、新しく入ってきた患者がいて、家族もいた。
おばあさんにおしゃべりしたらわかってくれるのか、とその家族に聞かれた。
はいと答えて、どうしてそう聞くだろうと思って、隣のベッドに目をやると、
そっちも寝たきり、しかも病室がいくら騒々しくても目を覚まさない。点滴やらいろんな機械に囲まれている。
危篤状態だそうです。
その家族はうちで死なれたらあとは面倒だから、わざわざ病院にお願いした。おまけに、お葬式の用意までできているとか。
現実主義だなぁ。
田舎じゃ、死ぬならうちでという習慣がいまだに残っているのに。
去年の秋、フジテレビ創局50周年記念にまつわる番組で、「風のガーデン」というドラマに心打たれたことがある。
医者の使命、いのち、さらには死を自分の家で迎えようといったことをモチーフにしている。
かなり前進的な考え方なんだなと思いつつ、見終わりました。
人間性あふれる物語です。
そうやって考えると、きのうのあの家族の平然とした態度を、すごいなと思いながらも、ぞっとするように思える。
家へと迎えることができなくても、去ってゆく人は愛情を込めて送り出さなくちゃ、
でしょう。
たとえ実行の場合、いくら困難にぶつかろうと。
50代のおっさんに、俺より肩こってるな、と言われたことがある。
もっともな指摘ですが。
このままずっとパソコンちゃんとお仲良しの調子じゃ、10年後どころか5年後の自分の肩が心配です。
にしても、なにもかも運動不足のせいにするのはあれなんだけど、そう感じているのも事実だ。
何にせよ、風邪は日常茶飯事のようなものになっているんだもの。
その対策に、いま毎日のお出かけは、なるべく足を使うことにしています。
が、体のリラックスができたかわりに、足の苦労を増やしたわけ。
このほど、両足の裏に、たこが見事にできあがりつつあるのです。
歩くと、靴底にポイ捨てされたガムがくっついたような感触が気になってしかたない。
店へ行って削ってもらえばと言われるが、足を他人に任せることはどうしても抵抗があって、いまだに放置したまま。
年を重ねるたびに、いままで気にしなかったことが次々とヤバイことに思えてくる。
肩こりやたこばかりじゃない。
いわゆる自己管理が足りないってことなんでしょう。
きっちりしないと、明日の自分に申し訳たたない!
せめて、50代のオヤジには言われたくない。
そういう身体を持てたい。
ただいま、うちの近くで菜の花畑を発見!
ちょっと寄り道しようと、普段通らない場所から帰ってきました。
そこでの出会いです。
道路の両側はずっとつづく壁で、それが途絶えると、視野が一気に開けたのです。
光りを受けて、まぶしい黄色が一面に広がってました。
一本一本が風に揺れて、静かに波を立てている。
待っててくれたんだね。
とこころのなかでシャッターを押した。
きょう、新聞記事でこんな漢字表記を見かけました。
爆発物取締罰則違反の罪に問われた無職堀太☆(日の下に高)被告…
JIS漢字で表記不能のことばを見るのはこれがはじめて。編集者もそんな常識はずれな字を前に、あきれたものでしょう。ネット上、同じ内容を記述するほかの記事もほとんど、☆か※になっている。被告の名前を誤って「堀 太」とするところさえある。
こいつ、また勝手に字を作りやがったなあ、と、心の中でぼやいた。
それでは、中国語にはこの字はあるのか。
なんと、ピンインでgao3を入力すると、ばっちり「暠」が出たのです。実はgao3、hao4という二通りの読み方があって、「皓」「皜」の異体字だそうです。なんだ、記事のなかのあの堀という人の両親の創造ではなかったんだ!もしかして、文化人かもしれないな、なんて思ったりもした。
最近、漢字に相応しない発音で読ませようとする変わった人名をよく見る。その影響で、なんもかんもあやしく見える。
にしても、日本語だからこそできたことかもしれないね。不思議です。