言っておくが、

決して後味の良い映画ではない真顔もやもやもやもや

 

時は第二次世界大戦中、

悪名高きアウシュビッツ強制収容所が舞台。

と言っても、そこに映し出されるのは

収容所の隣に住む、所長一家の日常。

多くの命を奪った側のトップである彼も

家庭では良き夫であり父であり、家族を愛するひとりの男で

妻をはじめ、家族は一見何不自由なく、幸せに暮らしている。

 

BGMってほとんど無かったんじゃないかなぁ・・・

ま、その分、エンディングの曲が際立った感じはするが・・・

ただね、生活の中で絶えず

遠くでいつも、銃声や怒号など、明らかに異常な物音がしているのよ。

青空には、おそらく死体を焼いているであろう煙が見えているのよ。

もしかして家族は最初は気になったかもしれないが

それはまるで、電車の音、田んぼで鳴くウシガエルの声みたく

「慣れてしまうとまったく気にならない」

てか、もう、「聞こえてない」し「見えてない」のよ。

ただ、途中からやって来た妻の母は

それが耐えられず、すぐに帰ってしまうのだが

娘である妻にはまったく理解できない。

てか、妻はこの生活に満足しきっており、

夫が転属になっても、とどまる道を選んでしまうのだ。

 

壁一枚を隔てて、それはまさに「天国」と「地獄」

 

収容所でなされたことは、あまりにもおぞましく、

決して許される事ではない。

ただ、もし私が所長だったら、もしくはその妻だったら、と考えてしまった。

果たして私は疑問や反発を感じるのだろうか?

ひょっとすると本気で「正しい」と信じてしまったりするのではなかろうか?

何より「仕事」ですからね。

それで給料もらってるわけですからね。

 

私だって、組織の中で働いていた頃を思い出すと

ちょっと不本意だったり、理不尽だな、て思うことはやはりあって。

ついつい流されてしまったことは少なからずあった。

これを強制収容所の例と同じにするなと怒られるかもだが

でもでもでも、同じ線の延長上にあるのではないかしら・・・と。

ナチを非難するのは簡単だけど

自分だってそうなったら・・・そう考えるとね。

自分はちゃんと「NO」と言えたか、

て、そもそも「NO」と思ったか、甚だ疑問。


映画の中で妻が言う。

「ここは私が夢にみた生活だわ。いや、それ以上よ」

私だってそう言ってしまうかも。

夫のしていることを肯定してしまうかも。

 

 

タイトルの「関心領域」

人は結局、自分の関心のあるところさえ守られればよいのかも。

てか、とりあえず自分と関係ないことにまでは

正直そうそう気を回すってできないなぁ・・・て思ってたら

映画のラストで突如現代のシーンが出てくるのだが

そんな思いをまるで見透かされたみたいでドキドキした。

 

やはりそれではきっといけないのだな

 

 

収容所の中にだって、日常も愛も、家族もあった

 

 

 

 

 

 

これもまた日常