還暦までのカウントダウン81DAY | 毎日がすぺしゃる3

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Puppyによる
食べ飲み歩き、お仕事、独り言、、、
具沢山ブログです。

結婚をしたのは27歳の秋。

翌年の秋に出産

白書的に言えばその年の平均年齢です。

 

しかし、

学生時代の友人も、会社の同僚も

皆私より先に結婚していて

多くの祝宴に呼ばれ、お祝三昧の日々、

ですから、やはり時代的に、

結婚出産は少し遅い年齢だったかもしれません。

 

たくさんの祝宴を見てきたからではありません。

私は昔からある意味わまのじゃくで、

「人と同じは嫌、自分らしく生きたい」と言う考えでしたから

結婚式もみんなと同じにはしたく無いと考えていました。

 

あの頃は

ホテルウェディングが当たり前な時代

でも、それって普通すぎる。

 

0から作り出す企画を中心にした仕事を生業としていた事もあり

結婚式と披露宴は、費用をかけずに楽しみたいと言う、

まるでイベントみたいになりました。

 

旦那さんは私の好きにしたら良いという考えでしたので

本当にプランニングが楽しかったです。

 

式はどうする?

どうせ新婚旅行に行くのだから

先に旅行を兼ねて海外ウエディングにしてしまおう。

 

思い立ったら

資料を集め、段取り

 

新婚旅行は西海岸、

お決まりのディズニーランド

スヌーピーが好きでしたし、

ホームステイしていた時に行ったナッツベリーファームを再訪

後はLA観光。

 

帰りにハワイに寄って

式を挙げると行った感じにしました。

 

ハワイにはお世話になっていたデザイン会社さんが

それに合わせた日程で慰安旅行を組んでくださったので、

式も2人っきりと言うものでなく

わちゃわちゃと楽しい物になりました。

 

しかし、一つだけ後悔していることがあります。

それは、父が飛行機嫌いだった事もあり

両親不在の中での誓いでしたので、

今にして思えば、母には悪い事をしたと言うことです。

 

式はハワイで挙げましたが、

披露宴は別に帰国後執り行い

たくさんの方に祝っていただきました。

 

そんな披露宴も、もちろん私が全部企画。

美味しいお料理を提供したい。

でも、レストランウエディングは費用が嵩む。

ホテルは論外。

 

そこで考えたのが

披露宴もできる貸会場。

 

私の考える丁度良い場所が

フレンチレストランの階下にあったので、

交渉から始まり、献立やケーキに、席表やメニュー表も手作り

BGMも友人の旦那さんのバンドにお願いするこだわり満載。

 

なにより一番のこだわりは一般人がなかなかできない鏡開き。

キャドルサービスの代わりに鏡開きをすることにしました。

 

ちょうど後輩のお父様が酒販店に勤められていた関係で

樽酒を手配できることになったので、

ウエディングドレス姿で鏡開きをしました。

 

普通はキャンドルサービスはお色直しの後なんですが、

私自らプランナーですから、式が始まってすぐに鏡開きをし

そのお酒をふるまい乾杯すると言う、

他にはないすぺしゃるな趣向となりました。

 

私の記憶にはないのですが、

まぁ、昔からめっぽうお酒に目がない私

花嫁と言う立場を忘れて

「あぁ升酒うまぁ〜い」

と写真を見る限りご満悦だったようです。