1980年代後半の関西は空前の博覧会ブーム
1986年天王寺博覧会(地方博)、
1988年奈良シルクロード博覧会など
バブルでしたねぇ~
1990年会期は4月1日から9月30日の半年間
大阪の鶴見緑地を舞台に行われた「国際花と緑の博覧会(特別博)」に
参加したのは83か国 55の国際機関 企業・団体は212でした。
関西で開催される国際博は1970年のEXPO70以来で、
地方博とは違い、万博として特別博史上初の2312万6934人を動員した、
日本、アジアで初めて開催された国際博覧会でした。
博覧会としては会期の始まる1年半ほど前から
協会も企業もコンパニオンの募集が開始されました。
それは私が24歳のころ
結婚もまだ決まっておらず、会社に残る=売れ残り
そんな意識もあり、
「コンパニオンに応募してみよう、もしコンパニオンに選ばれたら
子孫の代まで自慢してやろう」
なんて軽い気持ちで何社か応募しました。
書類選考・面接1次2次
いくつかのパビリオンで書類選考のあと面接まで、、、
そしてご縁があり「ガス協会」のコンパニオンに選ばれました。
ガス協会のコンパニオンは大阪ガスの契約社員という
厚遇な位置づけでしたが、契約社員ですから、
会期の1年前から普通にガスにまつわるの研修なども
みっちり行われました。
※研修合宿まであったんです。
そいえば、2025年関西万博の工期の遅れが話題になっていますが。
花博も工期は遅れていて、会期が始まるギリギリまで工事をしていた
記憶があります。
会期の1か月前には実際のパビリオンで研修を行っていたのですが、
会場までのメインの公共交通機関である地下鉄鶴見緑地線が
開通しておらず、「本当に大丈夫なんだろか」と思っていました。
半年の会期中は
毎日がお祭りでそれはもうすぺしゃるに楽しい日々でした。
最終日は、最後のお客様を見送ったあと、
会場内のスタッフはみんな半年間やりきった思いと
終わってしまった寂しさも相まって、目に涙を浮かべながらも
いい笑顔でした。
私はと言えば、目に涙なんてかわいいものでなく、嗚咽するほどの
号泣でした。
あの経験は、期間が決まった仕事ではありながら
仕事でないような、、、
仲間との絆は今でも続いています。