アメリカの血と、ジャージー規則 | 世界の名馬を日本語で ブログ版

アメリカの血と、ジャージー規則

以前、アメリカの馬券禁止時代について 書きましたが、今回はそれに続き「ジャージー規則」に触れてみたいと思います。

 

20世紀初頭の欧州では、英国紳士にとって鼻持ちならぬサラブレッドが活躍を始めていました。彼らは“後進国”のアメリカ生まれ、またはアメリカ血脈を祖先に持つサラブレッドで、南北戦争後の混乱やアメリカ各州で相次いで発令された賭博禁止令を契機に欧州へ持ち込まれたのでした。

 

アメリカ産のサラブレッドは、血統をさかのぼると身元不明の馬に行きつくことが多く、こうした馬がイギリス馬産界に根をおろす事は、サラブレッド種の産みの親であり、サラブレッド界をリードしてきたイギリス競馬界にとっては、その純血をけがす忌々しき事態だったのです。

 

そこでイギリスは1913年、ジャージー卿に提言により「ジャージー規則」を創設、「既刊の英国血統書に記載されたサラブレッドに遡ることができない馬は、サラブレッドとしての登録を認めない」というルールを設け、アメリカ血統の排除に乗り出しました。

 

ところが翌1914年、フランス産で血統中にアメリカの不詳血統を持つダーバーという馬がイギリスに遠征し、英ダービーを制覇。フランス産馬としてはグラディアトゥール 以来2頭目となる快挙でイギリス人をおびやかし、その後ダーバーはフランスで生産界に入りトウルビヨンの母父となりました。

 

サラブレッド界において“一大帝国”を築いたフランスの繊維王マルセル・ブーサックによって生産されたトウルビヨンは種牡馬として大活躍、自国フランスで首位種牡馬になるのはもちろんのこと、その産駒はイギリスをも侵略、1940年にはジェベルが英2000ギニーを、1946年にはカラカラがアスコット・ゴールドCを勝つなど、トウルビヨンの血はイギリスでも無視できない存在となりました。

 

そして1943年、創設以来物議を醸してきた「ジャージー規則」がついに撤廃、英国血統書の序文に「8代または9代まで純血であることが証明でき、最低100年までの先祖が明確で、純血種と認められるだけの競走成績を残した馬は英国血統書に登録できる」という一文が加えられ、遠い祖先にアメリカの不詳血統を持つトウルビヨンも、イギリスでサラブレッドとして認められたのです。

 

こうしてトウルビヨンは、“雑種血統”存続の救世主となりました。

 

余談ながら、イギリスで偉大な基礎牝馬として名を残すレディジョセフィンの祖先を辿っていくとアメリカの種牡馬レキシントンに行きつくのですが、このレキシントンもまた、祖先に不詳血統が混じっていました(ちなみにトウルビヨンの牝系の8代祖先にもレキシントンの名が出てくる)。“イギリスの”レディジョセフィンが何の問題もなくサラブレッドと承認されたのに対し、アメリカとフランスを股にかけたトウルビヨンはジャージー制度撤廃まで承認されなかったのですから、ジャージー規則は、貴族社会イギリスのプライドがもたらした、矛盾に満ちた制度でした。

 

参考文献:

『新・世界の名馬』

『世界名馬ファイル』

『競馬の血統学』