世界の名馬を日本語で ブログ版

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バスティノ (Bustino)

父Busted 1971年生まれ 英国産

 

サンダウンのクラシックトライアル(芝2000m)、リングフィールドのダービートライアルS(芝2290m)でこの後英ダービー(芝2400m)を制すスノーナイトをそれぞれ2着、3着に下し3歳馬の頂点へ手を伸ばしたが本番は無念の4着。それでも渡仏して挑んだパリ大賞(芝3100m)で名ステイヤー・サガロの2着に入り、続くグレートヴォルティジュールS(芝2400m)を快勝。英セントレジャー(芝2930m)では1番人気に支持され3馬身差の完勝をみせた。4歳、完成された馬体で臨んだコロネーションC(芝2400m)を2分33秒31の好タイムで走破しエプソム競馬場のコースレコードを更新。2番人気に推された“キングジョージ”(芝2400m)では最終角の前でペースメーカーを交わし単騎先頭で直線へ進入。後ろに付けた1番人気グランディに並ばれては抜き返し、競られては差し返して粘りに粘ったがゴール直前で半馬身抜けられ2着に敗れた。

 

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バイムレッチ (Bimelech)

父Black Toney 1937年生まれ 米国産

 

名牝ラトロワンヌの直仔でCCAオークス馬ブラックヘレンの全弟。2歳時は合計着差17馬身1/2の逃げ切る競馬で6戦6勝。3歳初戦、太めの馬体でブルーグラスS(ダ1800m)を楽に勝った後、調教の遅れを挽回すべく5日後のダービートライアル(ダ1600m)に強行出走しここは2馬身1/4差の楽勝。しかし、その4日後に行われたケンタッキーダービー(ダ2000m)では疲労の色を隠せず、レース前半、ローマンとのハナ争いにスタミナを奪われた結果、直線に入り穴馬ガラハディオンの追い込みに為す術もなく抜かれ1馬身1/2差の2着に敗れた。1週間後のプリークネスS(ダ1900m)では自慢の逃げ脚が戻り、ガラハディオンを4馬身以上後方の3着に捨て去り快勝。ウィザーズS(ダ1600m)で2着に敗れた後、ベルモントS(ダ2400m)では終始半馬身ほどのリードを保ったまま後続の脚を封じ3/4馬身差の快勝、二冠を達成した。

 

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パーシャンガルフ (Persian Gulf)

父Bahram 1940年生まれ 英国産

 

第二次大戦の臨時体制の下で調教を積み2歳時は未出走。3歳デビュー戦ハーストンプレート(芝2000m)で5着に敗れた後、未勝利のままニューダービー(代行ダービー 芝2400m)に直行し、1着ストレートディール、3着ナスルーラから差のない4着と善戦した。次走スプリングホールプレート(芝2400m)では1番人気に支持されたが最後に捕まりハナ差の2着。シーズン最終戦ニューセントレジャー(代行セントレジャー 芝2930m)では好位進出から1度は先頭に立ったがそこから伸びず、牝馬ヘリングボーンの4着に沈んだ。4歳エイプリルS(芝2000m)でようやく初勝利を挙げると、続くリントンS(芝2200m)を快勝。ソーニーS(芝2930m)ではユミダットに敗れたが、次走コロネーションC(芝2400m)ではそのユミダットを3馬身後方に置き、2着ハイチャンセラーに3/4馬身差をつけてゴール板を通過、戦時下の英国トップ古馬へと上り詰めた。

 

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ネイティヴダイヴァー (Native Diver)

父Imbros 1959年生まれ 米国産

 

2歳時は5戦3勝。3戦目エルカミーノH(ダ1200m)を6馬身1/4差で逃げ切りステークス勝ちを収める。翌3歳から5歳まで41戦を消化し17勝を挙げたが、その内容は低額賞金レースでは派手に逃げ切るが高額レースでは勝ちきれないというもので、3歳時にマリブS(ダ1400m)、4,5歳時にイングルウッドH(ダ1400m)に勝利した。6歳時は重くなるハンデ、年齢的な衰えを振り払うかの様に成長を続け、この年10戦7勝、すべてステークス勝ち、ハリウッドGC(ダ2000m)で後続を5馬身ちぎりビックタイトルを獲得した。7歳時は前年に続いてハリウッドGCを逃げ切るなど4勝、8歳時は前年、前々年を上回る1分58秒4/5の好タイムで同レース3連覇を達成するなど6勝を挙げたが、9月にデルマーH(ダ1800m)をレコードタイで勝った後、疝痛を起こし死亡。デビューから一貫して西海岸地区を走り、カリフォルニア競馬のカリスマとしてファンの記憶にその名を残した。

 

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ナシュワン (Nashwan)

父Blushing Groom 1986年生まれ 米国産

 

2歳時は2戦2勝、重賞勝ちはなし。3歳当初、英2000ギニー(G1芝1600m)の前売りオッズでは41倍の穴馬扱いを受けていたが、レースが近づくにつれて評価を上げ、当日は単勝4倍の1番人気。先行抜け出しの危なげない競馬で2着馬を1馬身振り切り7ヶ月の休み明け不安を一蹴、電動計測を導入してから最速の1分36秒44のをマークした。続く英ダービー(G1芝2400m)は距離を不安視されながらもやはり1番人気に推され、直線、前を行くカコイーシーズに並び掛けると力強く抜け出し、2着テリモンに5馬身差をつけて圧勝。1970年のニジンスキー以来となる無敗英二冠を達成した。この後、エクリプスS(G1芝2000m)でインディアンスキマーやウォーニングといた古馬の強豪を撃破。“キングジョージ”(G1芝2400m)では粘るカコイーシーズをクビ差競り落とし三冠を期待させたが、英セントレジャーを回避して渡仏。ニエル賞(G3芝2400m)で3着に敗れ引退した。

 

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