「少年少女」以前の中村中の作品では
「躓く」という言葉と、
「強がる」という言葉が、
その楽曲のキーになる言葉として
よく使われていました。
例えば、今年6月から7月にかけて催された
「阿漕な旅2010」のセットリストを見ると、
M1 働き者
♪あの笑顔は強がり
M2 チューインガム
♪昨夜つまづいた傷が
♪強がってた 昨日に「ごめん」
M4 迷い子
♪そうしたら強がる事も なくなって
♪ひとりでつまづく 足慣れたこの街で 私 迷い子
R3 強がり
♪みんなそうでしょ 強がり
♪だってつまづけないわょ
とライブの前半部は、「躓く」、「強がる」のオンパレード。
(おそらく意図的に並べたのでしょうけど)
これは、
この二つの言葉が単に中村中のお気に入りの言葉だから
というよりも
「躓きながらも強がってなんとか生きていく」ということが、
中村中の世界観を構成する重要な要素である
ことを表しているのだと思います。
§
ところが、「少年少女」の11曲の歌詞には、
「躓く」も、「強がる」も、一回も使われていません。
これは注目すべき変化です。
しかし、だからといって、
「少年少女」で中村中の世界観そのものが変化した
という訳ではありません。
事実、「少年少女」の登場人物たちは、
あるときは「躓き」、あるときは「強がって」いるように見えます。
(リリース前なので、具体例は挙げませんが)
なにより、「少年少女」というアルバムは、通して聴いたとき
躓きながらも強がってなんとか生きている人たちへのエール
になっています。
(もちろん、それは「少年少女」という多面的な作品の一側面
でしかありません。)
問題は、世界観ではなく、表現方法。
§
「少年少女」というアルバムが画期的なのは、
中村中の表現方法における進化/深化がもたらしたもの
だと思いますが、そのことは、上に記したことからも窺えます。