俺達は神のお酒ネクタルを使った治療を準備するために、和室へ集まった。

 

「エロスが座位だから、最初は驚いた。円柱の枕を使用するとは、亜子ちゃんも考えたな」

 

ガレノスが顎に手を当てて関心するのは、彼女が工夫したエロスの体位だ。

 

「ありがとうございます。翼の骨折治癒と褥瘡予防が同時進行なので、ポジショニングは相当工夫しました」


 亜子は正直、本当に苦労したと苦笑いする。

それだけエロスの全身状態は、難儀だ。


敢えて座位を取るのは、褥瘡予防のガイドラインに沿って、亜子が知恵をひねった。

 

褥瘡は低栄養状態や免疫力の低下、さらに体重の負荷や摩擦により、皮膚の血流が悪くなる。


小さな皮膚の発赤から始まり、食い止めないと症状が進んでしまう。


感染を起こし重度になると、骨や筋肉まで壊死が進行する場合もある。

 

現在エロスの血液データーは、白血球やCRPも上昇している。


かつ自力で動けず骨突出部位もあるだけに、悲しいかな褥瘡はハイリスクだ。

 

全身状態の治療をしつつ褥瘡予防をしなければ、治癒は見込めないと言っても、過言でない。


しかしエロスはもう一つ、問題がある。

トホホ…「槍で魂を抜きかけた」際の急変、左右の翼の骨折だ。

 

骨折部位は俺がテーピングで、固定した。

骨折してしまったのは翼の上腕骨、その先が肩甲骨周囲につながる。

 

訪問診療に使うポータブルのレントゲンで撮影した写真を、ガレノスとディュオニュソスへみせながら、説明をつづけた。


普段のように横向きに寝ると、骨折した上腕骨に体重の負荷が掛かる。


まして仰向けは、左右同時に翼へ重みを掛けてしまう。

 

だから臥床できない、しかし安楽な体位は保持したい。


そこで亜子が編み出した円柱状の体位変換枕を利用し、座位を保っている。

 

かつこの姿勢がズレないよう、左右から三角形の体位交換クッションで支えている。


体の両側面から枕を当て、腕と脇でクッションを挟み込む状態だ。

 

この体位であればテーピング固定した翼が、良肢位を保持できる。

 

さらに褥瘡予防の三種の神器、体圧(体にかかる圧力)分散できる、ローリング機能式エアマットレスを使用中。


自動的に空気の圧を調節して、エロスの体圧を分散できる。


いやはや入院と在宅療養の知識を、フル活用したさ。


しかしねえ。

前傾姿勢の座位で、日々を過ごしたら、エロスでなくても、誰でも苦痛になってくる。 


かつ胸郭が広がらないので、肺炎に有効でない。

 

「彼の場合、原疾患だけでなく。他にもリスクを抱えているんですよね」


以上。

ヘビーな事態を、ガレノスとディュオニュソスへ説明した。

 

直人さんのアドバイスもあり、俺は最優先で治療する部位を決めた。


かつ、ネクタルの効果が未知なだけに、万が一を考慮する。

 

「ネクタルの速効性を期待して。まずは翼の骨折を完治させた方が、良いと考えます」


人間に翼はないから、原因疾患の治療を優先するのが普通だ。しかし彼の体は特殊だ。

 

まして俺が近所の獣医さんを受診して、骨折部位をテーピングで固定した。


「本来なら、羽沢さんの大事なオウムちゃんは、手術で骨折部位を固定しますけどね…」


獣医さんは無謀だと言わんばかり、冷ややかな態度だったなあ。

神さまの翼が骨折したんです、なんて信じてくれないだろう。


余談はともかく、翼の骨折を最初に治す必要があるのだ。


「元通りに臥床できれば、安楽な姿勢になりますし。褥瘡予防の体位変換も、より行いやすくなります」

 

肺炎や菌血症ついては、適切な薬剤を投与しているから経過観察できる。両膝上部の裂傷も、ナートをしたから癒合が進む。

 

ここは冷静に、そして普通の治療を、いったん思考から離した。


「彼の場合は、通常の治療方法を選択すると、却って全身状態の回復も遅延する、僕はこう判断しました」

 

我ながら、力説してしまった。

 

「私は倫太郎の判断は、適切だと思う」


翼の治療を優先する意見に、ガレノスはすぐに首肯してくれた。

デュオニュソスも、コクっと頷いている。

 

よし。

頼もしい二人の、ゴーサインも出た。

さっそく準備に取り掛かろう。


「純粋なネクタルに骨折の治癒を促進する、薬草など調合をしてもらえますか?

患部に塗布して、浸透させたいのです。この方法はどうでしょう?」

 

白い翼に触れて可動域を確かめている、ディュオニュソスへ訊ねる。


七色に輝く翼は、未だに光沢がない。

 

「それはナイスアイデアだよお。ちょっと待ってね」


ディュオニュソスは、屈託のない返事をする。

そして足元に置く大きな布バッグから、B5サイズの書籍を2冊取り出した。

 

童顔の彼が、ちょこちょこ動くと可愛いな。


お子さんと遊んだら溶け込んでしまって、誰が父親なのか分かりにくいだろうなあ。


奥さんはギリシャ神話に登場するアリアドネ、夫婦仲も良いらしいし。

 

彼はウチに来て、一滴もワインを飲んでいない。治療が終了したら、祝杯を挙げたいそうだ。


多分ね。

酒神の名にかけた、真剣勝負なんだろう。

彼は見かけと内面の差が大きいが、そこがまた魅力だ。


だからガレノスも、職人ディュオニュソスのネクタルを治療に使っているんだ。


 

「お待たせ、この処方が合ってると思うんだあ」

「どれどれ…」

 

彼は神々の処方が綴られた、薬理学的な書物のページを開いた。


日本の古い医学書では、大同類聚方や医心方などに相当するな。

 

さて、デュオニュソスが翼の骨折を治すにあたり、選んだ処方は以下だ。


組織修復を促すコウホネ(川骨)、抹消循環を改善するケイヒ(シナモン)、他にも鎮痛消炎効果のある薬草を使う。


さらにカルシウムや微量要素リンや亜鉛、ミネラルを含む牡蠣の殻も使用する。

 

「これで、試してみましょう」

もちろん、納得できた。

「よおし、合格だねえ」

 

彼が用いる薬草は、漢方の処方に類似しているだけに、それぞれのエビデンスに基づいている。


これらを粉砕し、ネクタルと混ぜる。

漢方のように、煎じない。


混合するにあたり、アンフォラ(陶器の細長い容器)、専用の物を使うそうだ。


このアンフォラが、最後に投じる魔力のキーとなる。神々らしい使い方、特徴だよなあ。


「羽の美しさを回復する、成分を加えた方がいいだろう」


ここでガレノスが、他の書物から顔を上げ、補足した。


書物はデュオニュソスがガレノスのオーダーを受け、患者さま、神々の状態に合わせて調合した、特注ネクタルの記録だった。

 

「ガレノス、それは必要だねえ。さっそく作るから亜子ちゃん、手伝ってくれるかなあ?」


「ええ、もちろんですよ」

 

亜子の声が、ワントーン上がる。


神さまと薬を作るなんて未知の経験だ。

緊張しつつ、胸が高鳴るよなあ。

 

食卓の広いテーブルで調合するそうで、二人は意気揚々と、和室を出て行った。


ガレノスと俺は次の投与部位と方法を、ディュオニュソスのアンチョコを借りながら、検討を始めた。

 

お時間を割いてお読み下さり

どうもありがとうございました

 

写真 文 Akito

 

参考図書

新泉社

槇 佐知子 著 

病から古代を解く 

大同類聚方 探索