エンゼルケアは、およそ15分から20分くらいで終了する。その後は、待機室でお迎えを待つ場合が多い。

 

ミラのエンゼルケアは、やや時間が掛かっている。
連絡を受けた僕は、ミラの病棟から待機室へのお見送りは申し訳ないが控えた。
お待たせしてしまった外来診察を、優先的に進めた。
 
かれこれ13時になる。
診察を無事に終え、ホッとした頃だ。
病棟クラーク金子さんから、再度一報が入った。
 
「い、一太先生っ。ミ、ミラさんのお迎えが、到着しました。わ、私もチャペルにい…」

ブチッ…。
あっ、返事をする間もなく、フェードアウトしちゃった。
 
神々ならでは、お迎えの業者さんも時空を超えてやってくる。滅多にないケースだ。ベテランクラークさんも、対応に緊張してるのだろうか?
 
胸騒ぎと好奇心が半々、僕もイソイソ診察室を出た。
 
一階、中央エントランスは吹き抜けから、光のカーテンが注がれているを
見上げる人も多い、歩きながらなんとなく釣られた。
 
その途端、口の中にフレッシュな酸味と甘さの後、とろけるような食感が甦る。ほかに甘酸っぱい香りが、周囲にも漂っていた。
 
摩訶不思議な感覚を味わいつつ、廊下を南西へ進む。

さて当院の待機室は仏教と無宗教、チャペルの三室を備える独自のスタイルだ。
 
…ミラの代役は、ライバルだったイヴァへ頼みました、勝利の女神ニケを務めます。来週に控えた試合とセレモニーは、大幅な変更はしません。

私はスポンサー達と夕食を囲み、ワインで喉を潤した。彼らはアナフィラキシーショックで倒れたミラを、担架で運んでくれた…。
 
時空はすぐに通った、口腔内の感覚も消えたものの。
僕はチャペルの入口で、立ちすくんだ。
想定外、シルバーグレーのマントを頭から被った大男二人が、丁寧にお辞儀してるではないか。
 
「ミラ様の主治医、山野先生ですね。待ちしておりました。プルートーです」
「皇帝ガイウス様から、依頼を受けました。ミラ様の旅立ちを、担当致します」

「ははい。や、山野ですっ」
プルートは古代ローマ世界の、セレモニー会社。アゥグスト、アグリッパ…二人が名乗ってから胸元のプレートに気が付いた。

二人はフードを目深に被っている。
表情は見えそうで、視えない。金色の腰ひもが、ゆるく結んである。謎めいた外見とは裏腹に、柔らかい物腰は徹底したプロフェッショナルぶり。クラークさんが慌てていた、この辺りのギャップだろう。

「もしかして、冥界の遣いメルクリウスに扮してます?」
今しがたチラッと過去生を視た、変装の正体はピンときた。
 
 「左様でございます。グラディエーターとして活躍されたミラさまに相応しいお見送りを、わたくし共も準備致しました」

「我々が魂の行進、ゴールまでお供いたします。その間にミラ様の体の傷、僅かに残る心の傷も消えてゆきます、ご安心下さい」
 
アゥグストは扉の取っ手にクロスして指していた、赤い蛇が巻き付いた杖を抜く。普段は事務室に保管する鍵を使用してる。
続いてアグリッパは観音開きの扉を、音もなく開く。
 
二人はメルクリウスが持つ杖と、同じデザインの物を使っていたな…。チラりと背後を振り返る、扉は既に閉じていた。
 
甘酸っぱい香りは、内部からも漂っていた。
ちょうど祭壇前ではRRS科の医師二人、木山先生と吉村君が腰をかがめ、ミラの棺を覗き込んでいる。

僕は呼吸器外科からの転科、造影室でPTCDチューブを再挿入したメンバーの後ろに並んだ。
 
「古代ローマ時代、僕はミラが訓練をした、剣闘士養成所のオーナーだった。当時もこの香りは、身近だったはずなんだ」
 
ミラの蘇生中に時空が歪んだ、山路先生に打ち明ける。すると彼女も頷いた、なんと時空の歪みは造影室にも発生していた。
 
「私は当時も貴方、ルフスの奥さんだったわ。一人娘、石川先生を伴って、ミラの旦那さんジャンへ、水と着替えを届けた。ねえ、石川君」
 
へえ過去生では石川君が秘書のデミルと結婚して、剣闘士養成所を引き継いでくれたのか。
 
「そうそう、自分は遠路はるばるやってきたミラさんの弟を、彼女の自宅へ案内した。驚いたのなんのって、生まれ変わった弟さんはPTCDチューブを最挿入してる、高崎さんだったんすからね」

過去の風景と鎮静した患者様の姿が、ピタリと重なって視えたそうだ。
 
なるほど、福田主任の説明通りだ。
ミラを生まれ代わりへ進める役目を担った「彼ら」の中には、患者さまとその家族も含まれる。徐々に「彼ら」の正体が、浮かび上がってる。
 
ほどなく僕は山路先生と並んで、ミラが眠る棺の前で手を合わせた。例の香りは、どうやら彼女の周りから放たれていた。
 
「ミラ、ノースリーブのワンピース、とても似合ってるね」
「クラシカルでも艶やか。このままガイウスと、サロン・コンサートへ出掛けそう」
 
ミラは絡みあう草花が織り込まれたレース素材、ノースリーブワンピースへ着替えていた。鮮やかなグリーンカラーは、草花が風に揺れる風景が浮かぶ。

ワンピースと似たような素材、シルクのショールを羽織ってる。組んだ両手は、爪の赤いネイルが花を添える。

右薬指には、小さな赤いクロスが付いたリングをはめてる。
 
現役時代の傷痕は、ところどころショールで上手く隠れている。目立つ部分に関しては、形成外科受診を考えていた。

グラディエーターの傷痕は、プルートーの二人へ託した、僕らや神々も成し得なかった部分まで消してくれるだろう。
 
「ミラの剣闘士だった過去、そして病気の発症と、倫太郎や一太を始め過去生の仲間との再会から思うに。ミラは来世でも何かしら命に関わる、または最命の前線に飛び込んでしまいそうでね…」

「そうなれば、動きやすい仕事様のウエアを着る機会が増えますから。今回はミラのお気に入りだった、華やかなコーディネートで揃えたんです」
 
ガイウスと真紀子さんは棺の横で、見送りに来たスタッフを労っていた。急変の知らせを受けた二人は、慌てて揃えたに違いない。もしやリングの赤い十字架は、未来を見越してだろうか?
 
方やミラのエンゼルケアに奮闘しただろう、看護師山崎さんは完全にノーメーク。彼女は振袖を着せた経験もあるくらいだ。

彼女の「エンゼルメイク」は、ミラの若返りに功を奏した。急速に加齢が進んだミラの姿は、マボロシの様だ。ケアの時間も、掛かったはずだ。
 
僕ら「家族三人」は影の立役者、山崎さんと相沢君の後ろ、長椅子へ腰かけた。人手不足の病棟は、ナースコールの嵐らしい、昼間に珍しいな…。

新人ナース柳さんだけ、休憩の合間に見送りへ降りていた。アンギオ君こと宮内君、外来看護師の島崎君も一緒だ。
 
さてガイウスによると例の香りは、なんと棺から発生していた。枯れてしまった杏子の木を再利用したオーダー・メイド。急遽相談を受けた「プルートー」が、時空を遡り調達してきた。
 
「魂となったミラと初めて旅したローマ時代、杏子がシーズンでした。熟した実を食べながら国境沿いを進んだ。そうそう、病気を発症する前も、同じ場所を旅したな」

棺を覗き込むガイウスの広い背中を、真紀子さんがそっと撫でる。
 
懐かしい思い出の果実、甘酸っぱい香りは杏子だった。今生では余り馴染みはない。

しかし古代ローマでは、食べられていた。
味覚と臭覚の敏感な反応から、ルフスも好んで食べていたに違いない。
 
「アタシが持ちこんだパンに、杏子は入ってなかった。ミラは小さくカットしたドライリンゴやイチジクを、杏子と勘違いしたかもしれないわ。ましてライ麦パンもミラの好物、現役時代は大麦が主食だったし」
 
「なるほど、幾つか要因が重なって。つい手が伸びてしまったんでしょうね」

女神ウェヌスの推測に、CPRをサポートしてくれた木山先生が絵里さんの肩をつつく。

僕も同感。ミラはインスリノーマによる衝動的な間食だけが、誤嚥窒息の引き金ではないだろう。
 
さてミラを見送るメンバーも残るは一人か二人、仕事の状況では来られないだろう。冥界の遣いもそろそろ、最後の準備に取り掛かかるはずだ。
 
そう思った矢先。
最前列に腰かけていたディアナとミネルヴァが、ビシッ…突然、起立した。

「黙っていて、ごめんなさい。あたしとミネルヴァは既に一年半前、ミラの無意識下での変化を、キャッチしていたの。私の年齢重ねない魔法を溶かした、生まれ代わりへの願望よ」

「悩んだ末、我々はミラの願望を封じ込めた。申し訳ない」
 
…まさにPEAの対処中、ステーションで内の案件っすね…

そう、主任が掻い摘んで明かした、ミラにまつわる「逆説明」だ。身軽な吉村君、背後からひょいと身を乗り出す。僕と石川君の隙間だ。

「だから一番近くにいた私も、最近まで気付けなかったのか。ミラは神格化から一転、生まれ代わりを望んだ。突き動かした、動機はなんだ?」

どうやらガイウスも、肝心な部分は明かされてなかった。
 
二人は2000年近く、世界の移り変わりを眺めた。その間、螺旋階段を上るように、神格化へ相応しい魂となったはずだ。

ミラの無意識下では、それを打ち破るくらい、激しいきっかけがあったはすだ。
そういえば先ほどガイウスは、彼女の来世が視えている様な表現をしたな…。
 
「ガイウス申し訳ない、全て話すには時間が足りない、端折るがね。知恵の女神である私が、巡礼中のディアナへアイデアを出した」
 
ミネルヴァも、ミラの超個的無意識と繋がった。無意識下での願望は本当に存在するのか、ダブルチェックした。場所はフォロ・ローマノ内、神殿らしい。
 
「いっそ神々の力を借りて、二人の魂を一つにする。奥義を使ったらどうか、私は提案した。神格化した暁には、二人の個性が統合されたエネルギーを変幻自在操る神、未来に相応しい神が、新たに登場するはずだ」

…ローマの最高神や守護神以外、神々ならば、その奥義を使えるのか?…
吉村君がコソッと同期へ囁く。石川君もすぐに首を降る。

「結果は、皆さんご存じ。エフェソスではアタシの分身アルテミス、勝利の女神ニケはそっぽを向いた。体調不良で憔悴したアタシの気配に気が付かなかったのではない、ホントはスルーされたのよ」

ディアナの本音は、太古の時代から敬愛してくれた愛しい二人を、揃って神格化したかった。ところが
神々は協力しない、意思表示した。

「ミラの願望を実現せよ、未来の世界で活躍の場が待っている。彼女と皆さん、ゆかりのある神々からの返事よ」

確かにディアナが滞在したエフェソス遺跡では、アルテミスやニケは姿を現さなかった。
勝利の女神像の前を、ディアナは歩いている。

…ミラさんの人工呼吸器を止めた様に。奥義を使うには、縁のある神々の総意が必要なんすね…
吉村君に釣られて、頷いた。
 
因みにディアナの自覚症状では、体調不良はあくまで「副作用」。ミラの願望を遠隔地から封じ込め続けたがゆえ、エネルギーバランスが崩れ、気配を失う窮地に陥った。
 
ディアナは予備室でミネルヴァにつかまり、歩行をサポートされていた。今はすたすた歩いてる。

ミラ急変の一報に慌て、腰のコルセットや踵のサポーターをフォロ・ロマーノの神殿へ忘れた。プルート―の二人に届けて貰っていた。
 
「最終的に愛の人、聖母マリアちゃんがミラの願望も含め、全てにおいて救いの手を差し伸べてくれた。アタシ達も含め、ピエタ、ピエタってコト」
 
ウェヌスはナース柳さんへ誤嚥窒息の経過を伝えながら、持参したパンの中身を確かめた。
この時、聖母の意図を察した。
 
ミラの願望は、かつてのイブが…状況は多少違えども、楽園から外の世界へ進むようではないか。

ならばローマ世界では愛の女神である自分が、ミラを出発させたのは適任だった。受け入れた時、かつての仲間「ウエスタの巫女」が側にいてくれた、この意味にも気が付いた。
 
「僕は過去、ミラに深手を負わせたグラディエーター・イヴァでした。だからミラの体の一部となったパンを聖母へ捧げ、女神達と旅立ちの祈りを捧げていたんです」
 
中林先生は一足早く、女神達から説明を聞いた際、女性剣闘士だったかつての自分を視た。予備室と隔てるステーションの壁に、当時の様子が現れた。
 
「予想をはるかに超えて、ミラの願望は強力なエネルギーを放った。ミネルヴァの魔法も、ほころびをみせたのよ」

「そう、私の魔法は太刀打ちできなかった。彼らは魔法のほころびと、ミラの願望、二つを無意識下でキャッチしてしまった」

なるほどねえ…僕らの超個的無意識は、よりパワフルになった。その上で、ミラを生まれ代わりへ進める「彼ら・現象」となって現れた。
 
しかしミネルヴァの封じ込めの魔法は「現象」が現れるまで、ガイウスを始め他の神々には、ミラの無意識下での願望を気付かせない、堅固な物ではあった。
 
…女神が放ったエネルギーと、並べるのもなんですけど。治療もプロトコール通りに行くとは、限らないからなあ。想定外の事は、多々起こる…
石川君、実感がこもりすぎだって。

さて例の「案件」は、先が気になるものの一旦、終了。熱心に聞いていた吉村君も、素早く元の姿勢に戻った。
 
福田主任は病欠していたナースが受診の帰りに寄ったため、見送りに来られない。クラーク金子さんが、プルート―の二人へ伝達している。
 
…ジャンはあの時も、デミルだけにサヨナラを告げてさ、行方をくらました。覚えてる?…
…そうそう、俺達はデミルから聞いて仰天した。ルフスの自宅へ、夕食に招待された時だ…

山崎さんと相沢君は過去、剣闘士養成所や競技のスポンサーだった、事情通だったろう。
 
 
「皆さま、お時間です。厨司が開きます」
アゥグスト、アグリッパは金色の腰紐に、あの杖を指している。

西側の風景は一変していた。屋根と車が出入りするコンクリートの道は、消えていた。

そこには、青い河が流れる。
天から白い光が燦々と降り注ぐ。
両岸に咲く草花が、フレッシュなエネルギーを浴びている。ただ自然から、音や香りは発してない。
 
そういえばミラが眠る棺に、花は添えられて無かった。その代わりだろうか、周囲に咲き乱れている。
 
「フェリクス先生。過去生の風景よりも、色鮮やかだけんが。ミラさんの旅立ちを、全ての命が祝福しているやろねえ…」
「ミラさんは息吹を、吹き込まれてるけん。来世でも、突っ走ってほしいけんねえ」
 
医師フェリクスと看護師ルカのコンビが、見送りに間に合った。我らが里ちゃん立花先生と、ディアナの主治医、整形外科の和田先生だ。
 
「目を閉じて、耳を澄まして下さい。棺を動かします」
「ミラ様は魂の行進を進むにつれ、覚醒いたします。ゴールで待つ聖母さまの元へ到着する頃には、完全に目を覚まされます」

アゥグストとアグリッパは棺の蓋も閉めたはずなのに、またしても物音一つしなかった。

その理由は。
ピアノの音、神聖な気配を纏った足音が、すぐそこまで近づいているからに違いない。
 
 

 

参考図書ほか
新潮社 塩野七生 ローマ人の物語Ⅵ・Ⅶ
ナショナル ジオグラフィック日本版 グラディエーター熱狂の裏舞台(2021年8月号)
山川出版社 本村凌二 帝国を魅せる剣闘士 血と汗のローマ社会
PHP文庫 飯田史彦 (完全版)生きがいの創造
 
近藤嘉宏 リスト パラフレーズ 舞台神聖祝典劇「パルジファル」より
「聖杯への厳かな行進」
 
お時間を割いてお読み下さり
どうもありがとうございました
 
病気は幾つか経験してきました。
ゴールデンウィーク明け、癌の手術を受けます。

癌看護・緩和ケアの経験を経て、再び患者さまの機会を頂いた。病院周辺の澄んだ空気、遠くの山々を眺めるたび、そんな思いが込み上げます。
沢山のサポートを受け生かされている、感謝する日々です。
 
次回178話も、これまでと同じくらいのペースになりそうです。思い出した頃、ブログをのぞいていただけたら幸いです。
 

我が家のマイペースさんダウン

病気になると、ペットのお世話も色々な問題が出てきますね。自分よりも、気掛かりでなりません。

術後は、抱っこもキツイでしょう。看護師さんと、ペットケアの話題で盛り上がりました。

それはまたおいおい。