【24秋旅、続報】目の前の光景にシャッタを切れない | レムの里山紀行

レムの里山紀行

時の流れを忘れて土を耕したり野を歩いたり山を観たり

夫婦撮影の旅に行ったのに、そこでは眼前に広がった光景にどうしてもシャッタを切れませんでした。

 

 

今回巡った女川から陸前高田あたりの沿岸部、行く先々にあった震災遺構。

崩れた鉄筋コンクリートの建造物、折れ曲がった鉄骨、1本だけ残った松の木等々の震災や津波の傷跡の写真はありません。

 

多くの人の命を奪った津波の傷跡を目の前にして、興味本位でこれら遺構の姿を写真に納めるという行為は不謹慎に思えてなりませんでした。

 

それにあの日、私自身が震度6強の地域で被災し、天井や壁が崩落し足の踏み場が無くなり真っ暗となった屋内から命からがら避難した経験がありまして。幸い沿岸部ではなく津波の心配はありませんでしたが隣の建屋では亡くなった方も居て、まさに九死に一生を得たような状況でした。だからか、震災以降は被害が大きかった地域には近づくことが出来ずにいました。

 

 

 

今回訪ねた湿地帯がある登米から東に僅か20数kmの所には震災で街の灯が消えた南三陸町があり、沿岸に沿って北上すればたくさんの被災の現場があるわけですが、リストにもせず避けようとしてました。

ですが、出発の数週間前のニュースで来場者が300万人を越えた施設が陸前高田にあると聞き、後学のために行くべきと考え直しまして。

 

その施設は高田松原津波復興祈念公園の『国営追悼祈念施設』や『東日本大震災津波伝承館』。

HPはここ

ここの常設展示についてはHPの資料の一部を引用します。

歴史をひもとく:太古の昔から繰り返されている地震や津波の災害を科学的な視点で分析

事実を知る:被災地の写真や記録などの膨大な資料、被災した人々の生の声

教訓を学ぶ:震災で人々がとった行動の分析、命を守るための教訓

復興を共に進める:震災から今日まで乗り越えてきた被災地の姿

という4つのテーマから成り立っています。

 

他の見学者はサクサクと流し見しながら行ってしまいう中、

膨大な資料をじっくりと見て回りかかった時間は3時間を越えました。

ですが学ぶことがとてもたくさんあり、とても有意義な時間となりました。

 

例えば、震災遺構になっている市内の気仙中学の説明。

気仙川の河口近くに立地しているために震災後すぐに津波に襲われました。

日々行われていた地震や津波についての学びや訓練の結果、生徒たちは津波が到達する前に高台に避難し全員無事。当時の校長がビデオで話していましたが『この中学に赴任した時に最初に確認したのが避難ルート』だったと。

 

また岩泉町立小本小学校の話も鮮烈。裏山に避難するのに「(一旦)海のほうに向かって逃げるのは変ではないか」という児童の疑問の声から、裏山に直接逃げるための階段を設置。それから2年後、実際に震災がやって来たという。

これも普段から防災意識を学んだからこそ出てくる疑問の声ですし、それに耳を傾けた行政の危機感を感じました

 

また三陸地域には『津波てんでこ』『命てんでこ』という言い伝えもあると聞きました。津波が来たら各自バラバラに急いで早く逃げろという教え。津波の速さや破壊力を考えたら他の人を助けてる時間はないという昔の人の経験が後世に伝えられているのです。

 

という学びを得て、南下する際に石巻で寄った震災遺構の大川小学校。

児童の95%、教師の90%が津波の犠牲となった小学校です。

地震発生から50分後、一部児童が保護者に引き取られたものの多くの児童は校舎内に残され、津波が迫るとの急報に避難を始めたところに到達してしまったとの説明がありました。残念さがこみ上げ、言葉にならなかったです。

 

 

苦い経験を無駄にすることなく伝え、また日々油断することなく意識を高め不測の事態を考えて準備する大切さを学びました。そしてこれは震災に限らず様々な場面でも同じだと感じました。

 

皆さんは他人の苦い経験に学ぶことはありますか?

 

 

 

 

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