《秋旅・紀伊半島2020》⑬高野へ続く町石道 | レムの里山紀行

レムの里山紀行

時の流れを忘れて土を耕したり野を歩いたり山を観たり

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コロナ騒動もひと頃よりは状況が好転して、
溜まったうっぷんを晴らすかのように人々の移動が始まりました。
我が家も人との接触に気を付けながらちょっと出かけました。

想定外で奈良にハマりました。
歩いた古代ロマン
大神神社 日本最古 @桜井市
橿原神宮 2680年前 @橿原市
唐古鍵遺跡 2000年前(弥生時代)
橘寺  不詳(574年聖徳太子誕生)
飛鳥京 1400年前(飛鳥時代、592年から694年)@明日香村
飛鳥寺 1424年前 (596年創建) 
藤原京 1300年前(藤原京時代、694年から710年)@橿原市
平城京 1200年前(奈良時代、710年から794年)@奈良市
・・・・・・・

大坂夏の陣 405年前(1615年、真田幸村)

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さあ、高野山を目指しましょう。

 

九度山の麓には慈尊院(816年開祖)があります。

ここは、高野山開祖の弘法大師空海の母公のお寺です。

2004年に世界遺産に登録。

 

 

母公は息子の空海の業績を見ようと香川よりやってきました。

ですが元々高野山は女人禁制でしたので

空海がいた高野山には行くことができず、この慈尊院で暮らしておられました。

女人高野と呼ばれています。

 

写真奥に見えます赤い『伽藍』が高野山参拝の表玄関となります。

つまりスタート地点です。

 

弥勒堂。

 

もともと慈尊院はここよりすこし離れたところにありましたが、

室町時代に洪水で流されたために

弥勒堂があったこの地が新たな慈尊院となったそうです。

 

スタート地点から登ってみます。

 

この参道の鳥居の右に石塔があります。

 

近寄ってみます。

『百八十町』と書かれているのがわかりますか?

石塔は卒塔婆石というのが正しいです。

 

このような石塔が180もあるそうです。

そしてこの参道を『町石道』と呼びます。

『町石道』も世界遺産です。

 

町とは距離を表す単位で、1町=約109m。

本当だとすれば

ここから高野山まで180町=約20kmということになりますが、

検証してみましょうか?(笑)

 

 

昇ってみましょう。

 

更に上ると丹生省符神社の境内になります。

にんしょうかんぶじんじゃと読みます。

 

ここは慈尊院の守り神として丹生都比売・高野御子の二神を祀られました。

その後、気比、厳島二神を祀り、更に照、八幡、春日の三神を合わせ祀って七社明神とした欲張りな神社とのこと。

ここも世界遺産です。

 

境内を出てすぐに179町の卒塔婆石。

確かに100m位ですね。

 

更に先を見ていきましょうか。

 

確かにちょっと歩くと次の卒塔婆石が現れます。

 

正しくは卒塔婆石の前で手を合わせるようです。

が、だんだんと面倒になってきます。

 

ところどころ視界が開けて登ってきた高さを実感します。

 

明るい時間帯ですけど、だんだんと『雰囲気』が出てきます。

 

 

 

もうどれ位きたのでしょうか?

草木に覆われて何町かわかりません。

 

先が見えない不安もありますけど。

 

 

やっと寂しい山道を抜けました

 

どうやらカウントダウンももうすぐのようです。

 

 

古の天皇や上皇を始め、多くの人々がこの道とを歩いてきたそうです。

 

 

み、見えました!

最後の1町が!

 

ここです。

高野山の壇上伽藍の手前に一町の卒塔婆石が。

 

 

つづく。

 

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