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コロナ騒動もひと頃よりは状況が好転して、
溜まったうっぷんを晴らすかのように人々の移動が始まりました。
我が家も人との接触に気を付けながらちょっと出かけました。
想定外で奈良にハマりました。
歩いた古代ロマン
大神神社 日本最古 @桜井市
橿原神宮 2680年前 @橿原市
唐古鍵遺跡 2000年前(弥生時代)
橘寺 不詳(574年聖徳太子誕生)
飛鳥京 1400年前(飛鳥時代、592年から694年)@明日香村
飛鳥寺 1424年前 (596年創建)
藤原京 1300年前(藤原京時代、694年から710年)@橿原市
平城京 1200年前(奈良時代、710年から794年)@奈良市
・・・・・・・
大坂夏の陣 405年前(1615年、真田幸村)
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さあ、高野山を目指しましょう。
九度山の麓には慈尊院(816年開祖)があります。
ここは、高野山開祖の弘法大師空海の母公のお寺です。
2004年に世界遺産に登録。
母公は息子の空海の業績を見ようと香川よりやってきました。
ですが元々高野山は女人禁制でしたので
空海がいた高野山には行くことができず、この慈尊院で暮らしておられました。
女人高野と呼ばれています。
写真奥に見えます赤い『伽藍』が高野山参拝の表玄関となります。
つまりスタート地点です。
弥勒堂。
もともと慈尊院はここよりすこし離れたところにありましたが、
室町時代に洪水で流されたために
弥勒堂があったこの地が新たな慈尊院となったそうです。
スタート地点から登ってみます。
この参道の鳥居の右に石塔があります。
近寄ってみます。
『百八十町』と書かれているのがわかりますか?
石塔は卒塔婆石というのが正しいです。
このような石塔が180もあるそうです。
そしてこの参道を『町石道』と呼びます。
『町石道』も世界遺産です。
町とは距離を表す単位で、1町=約109m。
本当だとすれば
ここから高野山まで180町=約20kmということになりますが、
検証してみましょうか?(笑)
昇ってみましょう。
更に上ると丹生省符神社の境内になります。
にんしょうかんぶじんじゃと読みます。
ここは慈尊院の守り神として丹生都比売・高野御子の二神を祀られました。
その後、気比、厳島二神を祀り、更に照、八幡、春日の三神を合わせ祀って七社明神とした欲張りな神社とのこと。
ここも世界遺産です。
境内を出てすぐに179町の卒塔婆石。
確かに100m位ですね。
更に先を見ていきましょうか。
確かにちょっと歩くと次の卒塔婆石が現れます。
正しくは卒塔婆石の前で手を合わせるようです。
が、だんだんと面倒になってきます。
ところどころ視界が開けて登ってきた高さを実感します。
明るい時間帯ですけど、だんだんと『雰囲気』が出てきます。
もうどれ位きたのでしょうか?
草木に覆われて何町かわかりません。
先が見えない不安もありますけど。
やっと寂しい山道を抜けました
どうやらカウントダウンももうすぐのようです。
古の天皇や上皇を始め、多くの人々がこの道とを歩いてきたそうです。
み、見えました!
最後の1町が!
ここです。
高野山の壇上伽藍の手前に一町の卒塔婆石が。
つづく。
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