死生観 | DSP株式会社

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終わりのない挑戦と冒険へ

先ずは念のため誤解の無いよう、

暗い話ではありません。

色々と死について考え、思ったことがあります。

 

誰しも産まれた瞬間、死ぬ運命(さだめ)は免れませんが、

本当の死は何だろうと考えました。

 

僕が考えた本当の死とは、

記憶から薄れ無くなり、忘れ去られることだと思います。

 

例え医学的に死を宣告されたり、肉体がこの世に無くても、

それはあくまでも物質的な死であって、

自分・人の記憶(心)に残り続ける限りは、

本当の死ではなく、生き続けていると思います。

 

このようなことを書くと、

頭がおかしくなった、あるいは何かの宗教に入ったのかと、

誤解されるかも知れませんが、全然そんなことはございません。

※神様は信じているけど無宗教です。

 

なぜこのような事を書いたかというと、

お母さんが亡くなり、

当初は深い悲しみに打ちひしがれましたが、

お母さんのことを思い考え続けるうち、

死についての価値観が変わりました。

誰にも告知せず、家族だけの簡素な告別式でしたが、

火葬や骨上げをしたのにも関わらず、

今もお母さんが生きている感覚しかありません。

 

生前、うちのお母さんは強気で勝気だったので、

僕は小さい頃、泣いてばかりいて、

お母さんによく言われていたことは、

「男は親が死のうが何しようが、

財布を落としたとき以外は泣くな」と叱られていました。

それを思い出すうちに、

今でも心の中に元気で生き続けていると感じたからです。

また、いつまでも悲しんでいたらきっと、お母さんのことだから、

「男のくせに、いつまでもメソメソ泣いてんなバカ」

と言われたに違いありません。

 

死んだ後も励まし、心の中で生き続ける、

お母さんの偉大さを感じています。

 

どんな人でも物質的に滅びぬ人はいないけど、

永遠に記憶(心)に残り、生き続ける人はいます。

 

男として経営者として、

僕・DSPと関わって良かった・幸せになったと、

いつまでも記憶(心)に残り、

生き続けらる人になれるよう頑張ります。

 

以上、よろしくお願いいたします。