聖書には、主に3つの園が出てきます。
最初の園は、エデンの園です。
神によって創造された最初の人間であるアダムとエバは、このエデンの園に置かれました。
ここには、ありとあらゆる植物や動物が存在し、それはそれは美しい場所でした。アダムはこの園を守るという役目を与えられ、エバはそんなアダムを助けるパートナーとして創造されました。
悪魔に騙されて禁じられた実を食べるまで、アダムとエバは罪や悪の存在しない、完璧な世界を経験することができたのです。
しかし神に逆らって罪を犯した2人は、その後完璧なエデンの園から追放され、その罪の代償を払うことになりました。
二つ目の園は、新エルサレムとされる新しい天国、楽園です。
神はやがて地球に裁きを下し、その後今ある天国も含めて全てを焼き去ります。
「現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです。」(ペトロの手紙二 3:7)
と聖書に書かれています。
その時、全ての悪も罪も取り去られ、神はエデンの園のように、全てが完璧な楽園・新エルサレムを創造します。
この新エルサレムについて、聖書では以下のように書かれています。(ヨハネの黙示録21章、22章)
- 最高の宝石のように輝いている
- 都の城壁は碧玉で築かれ、都は透き通ったガラスのような純金である
- 城壁の土台石は、碧玉、サファイア、メノウ、エメラルド、赤縞めのう、かんらん石、緑柱石、黄玉、ひすい、青玉、紫水晶で飾られている
- 都の大通りは、透き通ったガラスのような純金
- 水晶のように輝く命の水の川がある
- その川の両岸に命の木がある
- 死、悲しみ、嘆きは存在しない
- 神が民と共に住み、全ての涙を拭い去る
それは、ゲッセマネの園です。
この園は、神であるイエス・キリストが十字架処刑されるために逮捕される前に、天の父に祈りを捧げた場所です。
使徒の1人・ユダによって裏切られ、イエスを妬んでいた宗教リーダーたちの目論みによって逮捕され、鞭打ちと十字架処刑による苦しみが間近に迫っていることを知っていたイエス・キリストは、主にこう祈りました。
「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」(マタイによる福音書 26:39)
この時、イエスの額からは極度のストレスから来る血の汗が滴っていました。
何でも知っている神だからこそ、イエスは刻一刻と迫る耐え難い苦しみと自らの死に、悲しみを感じていたのです。
しかし、天の父の御心は、息子であるイエスを救うことではなく、イエスを犠牲にすることで私たち人類を救うことでした。
それだけが、私たちを天国へと導く道だったからです。
全く罪を犯さなかった、完璧なイエス・キリストの血だけが、全ての罪を洗い流すことができるからです。
「キリストは、この時代の終わりに、死によって罪の力を永遠に無効とするために、ただ一度おいでになったのです。」(へブル人への手紙 9:26)
あの日、ゲッセマネの園でイエスが父の御心に従い、想像を絶する苦しみと死を経験したことで、誰でもイエス・キリストを信じる人には、楽園への道が開かれました。
「(この都には)汚れた者は入ることができません。偶像礼拝をする者、偽りを言う者は、一人たりとも入ることができません。小羊のいのちの書に名前が記されている人々だけが、ここに入ることができるのです。」(ヨハネの黙示録 21:27)
小羊のいのちの書とは、イエスを信じる人々の名前が書かれた書です。
エデンの園と新エルサレムという楽園。
この二つの園を繋ぐのは、ゲッセマネの園です。
もうすぐイエスが十字架処刑された聖金曜日、そしてその死を克服した復活祭です。
イエスはあなたを愛しているからこそ、十字架で命を犠牲にしました。
この愛は、全ての人に差し出されています。
どうか神の愛を受け取り、永遠の命を与えられてください。
「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。 勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる。」(ヨハネの黙示録 21:6-7)
アーメン
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