トランスジェンダーに権利を。さもなければ…?? | 死ぬまでに必ず知っておくべきこと - JESUS

数日前、米国テネシー州ナッシュビルのキリスト教系私立学校で銃撃事件が起きました。

 

 

犯人は28歳の女性で、自称男性を名乗るトランスジェンダーでした。

 

 

 

 

 

オードリー・ヘイルというこの女性は、以前この学校に通っていた元生徒だそうです。

 

 

 

この銃撃により、教職員3人と、9歳の子供が3人殺されました。

 

 

 

 

殺された子供の1人は、この学校に隣接する教会の牧師の娘でした。

 

 

 

 

一説には、犯人はあらかじめ誰を殺すか決めていたと言われていますが、真相ははっきりしていません。

 

 

 

分かっているのは、彼女が以前通っていた学校に侵入し、銃を乱射して6人の命を奪い、その後自身も射殺された、ということです。

 

 

 

 

この事件について、事件現場がキリスト教の学校ということ、そして彼女がトランスジェンダーであったことから、LGBTQを罪とするキリスト教の教えを疎く思ったトランスジェンダーによるクリスチャンへの攻撃、あるいは宣戦布告と見る人もいます。

 

 

 

 

ソーシャルメディア上では、ある人がこのような投稿をしていました。

 

 

 

「彼ら(トランスジェンダーは『彼女』『彼』の代わりに『彼ら』ということがあります)の名前はオードリー・ヘイルだ。トランスジェンダーに対し、偏見と嫌悪を持つクリスチャンからの虐殺による犠牲者だ。我々はお前たちから我が身を守る。お前の神はどこにいるんだ? 慈悲を祈れ。我々はお前たちに慈悲など一切与えない。」

 

 

 

 

 

他にも、

 

 

 

「トランスジェンダーに権利を。さもなければ...」

 

 

という言葉と共に、幾つもの銃が書かれたプラカードを掲げる人物の写真もありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

このブログでは何度か書いていますが、イエス・キリストを愛するクリスチャンは、トランスジェンダーを始めとするLGBTQの人々に対して嫌悪感を抱くことはありません。

 

 

 

 

なぜならそれはイエス・キリストの教えに反するからです。

 

 

 

 

聖書では、人々を愛することについてこう書かれています。

 

 

 

「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。 愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。」(‭‭ヨハネの手紙一‬ ‭4‬:‭7‬-‭8‬‬)

 

 

 

 

 

 

私たちクリスチャンが嫌悪感を抱くのは、人に対してではなく罪に対してです。

 

 

 

 

罪とは、オードリー・ヘイルが行った人殺しや、同性愛などです。

 

 

 

これらは神が罪とすることであり、これらの罪を悔い改めない人は天国へは行けません。

 

 

 

 

だから、本当のクリスチャンは、罪を憎んで人を愛するのです。

 

 

 

 

LGBTQの人がクリスチャンを憎むのは、極端な例えをすると、

 

 

「甘いものばかり食べていると太るよ」

 

 

という事実を述べる人に殺意を抱くのと同じくらい、実は馬鹿げているのです。

 

 

 

 

同性愛が罪だということは、クリスチャンの偏見や嫌悪感からくるものではなく、

 

 

 

神が罪とするものを罪だと述べているだけだからです。

 

 

 

 

 

真の神は、悪人が地獄へ行くことを決して喜びません。

 

 

 

 

「わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。」(‭‭エゼキエル書‬ ‭33‬:‭11‬‬)

 

 

 

 

しかし、神は私たちが選んだ道を強制的に変えることはしません。

 

 

 

もし誰かが地獄への道を選ぶなら、神はその選択を尊重します。

 

 

 

 

オードリーが今、天国にいるのか地獄にいるのか、それは神にしか分かりません。

 

 

 

在学中に学んだであろうキリストの愛を、人生のどこかで受け入れ、信仰告白していれば、彼女は天国にいるでしょう。

 

 

 

逆にキリストの愛を拒み、自分の心と悪魔についていく選択をしていれば、地獄にいるはずです。

 

 

 

 

オードリーは、最後駆けつけた警察官たちによって射殺されました。

 

 

 

その様子は、警察のボディカメラで見ることができます。

(衝撃的な映像なので、ご興味のある方だけご覧ください。)

 

 

 

 

 

 

私たちは、いつ死ぬかわかりません。

 

 

 

 

あの日いつものように通勤、通学した6人の教員と子供たちは、突然命を奪われました。

 

 

 

罪を悔い改め、イエスを神として受け入れる信仰告白は、心から信じる限りいつでも誰でもでき、儀式や形式などないシンプルな祈りですが、「最期の時」が突然で祈る時間さえないままにこの世を去る場合も沢山あります。

 

 

 

 

 

だからこそ、「いつかそのうち」という悪魔の囁きに騙されてはいけないのです。

 

 

 

 

「まさしく今、神様はあなたを喜び迎えようとしておられます。今日、あなたを救おうとしておられます。」(‭‭コリント人への手紙Ⅱ‬ ‭6‬:‭2‬‬)

 

 

 

 

 

 

真の神は、今すぐあなたが命の道を選ぶことを願っています。

 

 

 

 

 

 

今回の悲劇で被害を遭われた全ての人に、神の癒しと平穏がありますように。

 

 

 

 

 

アーメン

 

 

 

 

 

 

 

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