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Drunk on Speech

このサイトは慶應義塾大学英語会Chief of Speechだった作者が、今まで学んできたこと・感じてきたことを公開しているものです。

大学生向けのエッセイを次々と公開していく予定です。どうかみなさんのSpeech作りの参考にしていただければと思います。


Win


Speechを書き始める前に、自分が興味のあるテーマについて様々な人の意見を聞きたいといって、メーリングリストやインターネットなどの媒介を通してTopicの相談をしてくる現役生がたくさんいます。しかし、現役生の中には、「話の収拾がつかなくなってしまって、結局自分のSpeechにどう活かしたらよいのか迷ってしまった」との感想を洩らしている人もいます。これは何故でしょうか。

私は、こういった問題が起こるのは、コメントを提供してくれる人の問題というよりは、コメントを求めてくる人の準備不足に起因すると思います。多くの現役生は、「Speechを作る初期の段階ではあまり準備せずに気軽にコメントをもらってしまった方が良い」と考えているようです。もちろん、いつでも臆せず気軽にコメントをもらいに行くという姿勢が大事なのはわかりますが、
何にも準備せずにコメントの提供を求めて良いことがあるかといえば、ほとんど何も収穫できずに終わるのが関の山です。

例えば、「企業統治」というテーマに興味を持ってSpeechを書こうとしているとしましょう。そんな時に、「企業統治というテーマに興味を持っています。みなさん何か企業統治について御存じないですか」という質問をしたとしましょう。

読んでお分かりの通り、こういった質問をしてくる人というのは、「単に興味を持った」段階で質問をしてくるのです。自分が(漠然とでも良いから)このような感想を持っているという事を示して、それに対して色々な人の意見を聞くのではなく、とにかく何か質問をしてみたいという意識が強く働いているのです。

こういう質問の仕方をするとどういうことになるでしょうか。質問者がそのテーマについて何を考えているのか分からないのですから、
コメントを提供する人間はできる限りそのテーマを自分の得意なフィールドに近い形で引っ張り込もうとします。ある人は、「株主のガバナンスに関する日米の差」に話を持っていこうとするでしょうし、ある人は、「自分が勤めている企業統治の実態」について語るでしょう。またある人は、「学生は企業統治の進んだ企業に就職すべきだ」とコメントして、それに対してまた別の人が、「自分のやりたい事を見つけて企業に就職すべきだ」と言い出して、どんどん話が広がって収拾が付けられなくなってしまいます。

自分がそのテーマについてどのように思っていて、漠然としていても構わないから一定の仮説を提示するという形で質問を行わないと、コメンテーターは好き勝手意見を述べるだけで、質問した本人が何を考えているのかが判然としないまま議論が進むことになります。質問を投げかけた人は、自分の考えが整理できないまま議論が進行し、自分が何を聞きたいと思っているかも最後まではっきりしないで、結局中途半端な形でSpeechを書き始めることになるのです。しかし、こうなった原因は誰にあるかといえば、まさに中途半端な質問をした本人にあるのです。

このような話をすると、
「ブレインストーミングは次々と話が進行する中でアイデアのヒントを掴むものだから、気軽にテーマを出してしまって問題ない」ということを言い出す人が必ずいます。

もちろん、議論が様々な方向に拡大する過程で、自分が思いも寄らなかった面白いアイデアが飛び出すことがあるでしょう。しかし、そうしたアイデアを掴むことと、自分の考えをある程度まとめた形で質問すべきだということは相反することではありません。最初にある程度自分の考えをまとめた上で質問をすれば、そこに論点を絞りながら自分の考えをまとめることができます。そして、
もっと違う角度から話を進めて面白いアイデアを聞いてみたいと思えば、「他に関連する話はありませんか」といつでも切り出すことができるのです。要するに、はじめから話が右往左往して収拾をつかなくさせるのではなく、予め聞いてみたい分野を絞って考えを聞いてみて、そこで満足したらテーマを拡大させることはいつでもできるのです。

また、
自分が興味を持ったテーマに対する考えを漠然とでも良いからまとめることなど、インターネットや図書館でリサーチを行えば2~3時間程度で行うことができます。つまり、大した労力を使わなくてもできるのです。にもかかわらず、「このトピックについて何かご存知ありませんか」などという、漠然とした質問をしてしまうからいけないのです。

方々に脱線した列車を再びレールに乗せるのには大変な労力が必要になります。しかし、一度敷いたレールを走破したら、今度は列車をちょっと違う角度に脱線させることは簡単にできるものです。質問を行う際には、全てコメンテーターに身を任せるのではなく、
自分が彼らの意見をコーディネートしていくくらいの気概があったほうが良いと思います。


Win


英語のSpeech大会に、英語を母国語としない人が原稿を出すからには、きちんとEnglish Checkを受けなくてはならないというのは、極めて普通の考え方だと思います。しかし、実際に予選審査を担当してみると、ほとんどすべての応募SpeechがEnglish Checkを受けていないのです。

さすがに福澤杯や大隈杯になると40通のうち、10通くらいは受けているのが平均ですが、その他の大会では、
有名な大会であったとしても、30通の応募のうち3通くらいしかCheckを受けていないなんていうケースがざらにあります。

就職活動になぞらえて言えば、English Checkを受けるということは、きちんとしたスーツを着用して面接を受けるということです。仮に高い能力があったとしても、ぼろぼろのジーンズで髪を金髪に染めているような人は面接を通ることはありません。
English Checkを受けていれば、内容が大したことがなくても当選の確率がぐんと跳ね上がるのです。

特にNativeのJudgeが予選Judgeとして入っている場合は、English Checkを受けていないSpeechはかなり印象が悪くなると思うので、Checkを受けたSpeechはその分だけ当確ラインに引っかかる可能性が上がります。

ここで大事なのは、必ずNative Speakerのチェックを受けるということです。Native並みの日本人のチェックを受けても意味がありません。Nativeを周りで探すとなると、まず思い浮かぶのが学校の先生でしょう。仮にあなたが日本人の教授の授業しか取っていないとしても、そこであきらめるのはまだ早いです。その時は、その日本人の教授にNativeの教授を紹介してもらえばよいのです。きっとやる気のある学生にはみんなが喜んでNativeの教授を紹介してくれるでしょう。そしてそのNativeの教授は、日本人教授の紹介なのですから、まずその学生のリクエストを断ることはありません。ようは頼み方の問題なのです。

Checkを受ける際に、Checkをしてくれた人に昼ごはんをおごるなどして御礼をしておけば、その後もその人と友好関係を続けることができます。そうなればしめたものです。
そういう人ができれば、3年のSpeechシーズンが終わって、翌年外資系企業の就職活動を始める頃に、英文履歴書やカバーレターの添削も頼めるようになります。

Speech大会に応募する際の最低限の礼儀というのをもう一度思い起こしてください。English Checkをしてくれるような米国人や英国人を探すことは、あなたが思っているほど難しいことではありません。そして、一度でもSpeechのようなアカデミックな場面で関わった外国人とは、今後も末永く付き合うことができるようになります。English Checkから始まる縁というのも中々面白いものだと思いませんか。


Win


2003年12月に津田塾大学ESSが梅子杯を新規に創設しました。第1回大会では、全国から大きな大会を勝ち抜いてきたSpeaker達が集い、素晴らしいManageも手伝って大盛況のもとに幕を閉じました。今後もきっと素晴らしい大会になるだろうと思っています。

この梅子杯が採用している画期的な仕組みのひとつに、
「4年生枠の設置」というものがあります。梅子杯では各ESSに3年生までの出場枠を与えるのと同時に、別途4年生にも独立した出場枠を与えているのです。これは非常に素晴らしいことだと思います。

ESS界には伝統的に、「3年生の後期で引退」という慣習があります。ほとんどのサークルのChiefは3年生が務め、3年生の後期の大会が終わると、4年生はインストラクターとして後輩の指導にあたります。しかし、
4年生が大会に出場してはいけないという理由はどこにもありません。4年生もれっきとした大学生であり、多くの大会の出場資格が、「ESSに所属する大学生」と規定している以上、4年生も真正面から堂々と大会に出場しても構わないと思うのです。

私が4年生も大会に出場した方が良いと思う理由は、4年生のときに書くSpeechの方が3年生のときに書くものよりも数段良くなる可能性が高いと思うからです。
その最大の理由として挙げられるのが就職活動です。

4年生は春になると就職活動で様々な社会人と出会い、色々な事を学びます。
一番痛感するのは、「自分のやりたいことを具体的に思い描くことの難しさ」と「それを相手にわかりやすく伝えることの重要性」だと思います。自分がその会社に入ってどのようなキャリアを築いていきたいのか、頭の中で抽象的にはわかったつもりでいても、それを面接で説明しなくてはならないとなると大変です。具体的にどんな事をやりたいのか、様々な資料を調べ、社会人のOBと対話し、自分の経験と照らし合わせた上で、自分の考えをまとめていかなくてはなりません。そして、最終的に練り上げられた考えを、一番分かりやすい形で相手に伝えていかなくてはならないのです。

就職活動の面接官というのは容赦のない人が多いですから、紳士的なSpeech大会のJudgeとは違い(!?)、わかりにくい点は徹底的に攻めてきて、しどろもどろな答えしかできないと、一気に陥落されて内定を取りこぼしてしまいます。
4年生は、そういう場数を数多く踏むことによって、自分が本当に考えていることは何なのか、そして、それを相手に効果的に伝えるにはどのようにしたら良いのか、ということを改めて真剣に考えるようになるのです。そうした経験がSpeechに活かされるのは言うまでもありません。

最近は幸か不幸か、一つのESSで応募できるOpen大会の権利が余っていると聞きます。だったら、大学生活の集大成として自分が4年生として一年間学んできた事をSpeechに体現して後輩に披露してみてはいかがでしょう。

余っている大会は有名な大会ではないかもしれません。
しかし、小さな大会にこそ、これからSpeechをやっていこうと思っている下級生がたくさん集まるのです。そういう潜在能力を持っている後輩諸君の前で、「私もいつかあんな素晴らしいSpeechを発表したい」と思わせるようなSpeechを披露することはものすごく意義のあることだと思います。

大学生活は3年生で終わりではありません。せっかくSpeechに関わったのですから、最後までこだわって大会に出てみてはいかがでしょうか。


Win


どのESSでもチーフの使命は下級生への教育であることはいうまでもありません。ESSによっては、チーフの役割として、「下級生への教育」を明文化して会則に載せているところもあります。

しかし、おかしなことに、
最近は下級生に口出ししないことを自慢したり、1年生への教育活動を2年生に権限委譲することを高く評価しているチーフが非常に多くなってきています。そういう怠惰なチーフは、自分がチーフとしてやるべきことを真正面から取り組んでいるとは言えません。自分のESSの中に潜む教育面での問題を見つけ、確実に解決しようと努力しないのです。ですから、彼らは本来の仕事の半分以下の仕事もできていないことになります。

ESSの教育活動を充実させることは、2年生に任せることでもなければ、権限委譲することでもありません。
そうではなくて、Speechの教育の責任者であるチーフが自ら率先して教育活動に取り組むことです。

優れた成績を残しているESSのチーフを見れば、有能で実行力を持つチーフが、いかに教育の中身に関与し、重要な点については細かいところまで関わっているかがわかるはずです。
Speechに関する自分自身の知識・知恵を活用して、絶えず探求して問いかける。自分達のESSの弱点を明るみに出して、弱点を克服するように同級生と下級生を鼓舞する。そういうチーフがいるESSは短期的にも中長期的にも必ず伸びていきます。

ですから、「現場にいる下級生に教育の権限を委譲します」などと言っているチーフが仮にいるのだとしたら、そういう人は、そうした自分の発言がいかに無責任なものであって、下級生からの信頼を失っているかを痛感する必要があると思います。


Win


各ESSのキャンプやレクチャーでは、必ずブレインストーミングやSpeech原稿に対するコメントを述べる時間があります。このような時間には、チーフをはじめとする3年生が自ら率先してOB・OGや4年生に意見を求めることが必要なのですが、駄目なESSに限って、「まずは1年生のSpeechから見てあげてください」というお決まりの台詞が横行しています。

1年生にとって一番良い教育は、その1年生のSpeechを良くしてあげることもさることながら、3年生自身が自分のSpeechに磨きをかけ、大会で勝ちまくって輝いている姿を1年生に見せつけることだと思います。上級生である3年生が自ら率先して色々な人に意見を聞き、必要な意見を取り入れてSpeechを洗練し、必死にデリバリーの練習を行って壇上で勇ましくSpeechを披露し、最後に満場の拍手の中で優勝カップを手にする。
そうした一連の過程を1年生が目の当たりにして、「あの先輩のようになりたい」と積極的にSpeech活動に取り組むようになるのです。

「まずは1年生から」という言葉は逃げ以外の何物でもありません。そういうことを言っている上級生は、自分のSpeechに自信がなくて他の人に批評されるのが怖いがために、自分の身代わりとしてまずは1年生のSpeechを見てもらおうという魂胆なのです。
言葉の表面だけ捉えれば1年生のためにとなっているのですが、実際は1年生のことなんか眼中になく、自分さえ恥ずかしい思いをしなければ良いとだけ企んでいるのです。そして、ブレインストーミングやコメントのセッションは、1年生のSpeechを見ている間に時間がきてしまい、3年生のSpeechは誰の目に触れることもないまま予選審査に提出され、見事撃沈して落選通知が届くことになるのです。

誤解を恐れずにあえて言えば、1年生のSpeechは後で3年生が見てあげれば良いのです。どうしても4年生やOB・OGに見てもらいたいという積極的で自発的な1年生がいれば、仮に定時に空きがなくなったとしても、休み時間などを活用して上級生や社会人にコメントをもらうことができます。
一番大事なのは、最後のシーズン(ESSの慣例では)を控えている3年生のSpeechを洗練する機会が全くないまま終わってしまってはいけないということです。3年生が大会で勝たなくては、ESSが盛り上がることはありません。3年生は、自分達が勝つことが下級生にどれだけ良い影響を与え、そのために何をしなくてはならないかをもっとよく考える必要があると思います。