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Drunk on Speech

このサイトは慶應義塾大学英語会Chief of Speechだった作者が、今まで学んできたこと・感じてきたことを公開しているものです。

大学生向けのエッセイを次々と公開していく予定です。どうかみなさんのSpeech作りの参考にしていただければと思います。


Win


自分の主張の正当性を聴衆に理解してもらう際に、具体例を正しく効果的に使うことが大切なのは改めて言うまでもありません。しかし、予選Judgeとしてじっくり応募者の原稿を読んでいると、必ずしもすべてのSpeakerが正しく具体例を提示できているわけではないことに気付きます。

そもそも具体例というものをSpeechに込める意味は何なのでしょうか?それは、
「自分自身の主張を、具体例に形を変えて再び説明することで、その主張の正当性を聴衆に受け入れてもらうため」であることに他なりません。つまり、作者の主張をAとすると、具体例はA'に形を変えた主張であり、それを説明することで聴衆にAという元々の主張を理解してもらうことが必要なのです。ですから、元々の主張であるAと具体例のA'は、根底で述べていることを常に同じにしなくてはなりません。これは極めて当たり前のことなのですが、気付かぬうちにこの大原則を忘れてしまう人がたくさんいるのです。

例として以下のような状況を考えてみましょう。

よくまとまったSpeechでは、一つのパラグラフの構造が以下のように3つの要素からなっています。

1:自分自身の主張(A)
2:その主張を支える具体例(A')

3:自分自身の主張に基づく結論(B)


例えば次のようなパラグラフがあったとしましょう。

1:デジカメは銀塩カメラに
比べて画像の保存の面で優れている点が多い。(A)
2:例えば、デジカメはスマートメディア等の記憶保存媒体に画像のデジタル情報を保存する。(A')
3:今後は銀塩カメラよりもデジカメが普及するだろう。(B)

一見すると上の例は、いかにももっともらしく具体例を使っていますが、この使い方は間違いなのです。なぜなら、冒頭で述べている主張(A)は、
銀塩カメラという比較対象と比べた上でのデジカメの優位性を述べているのであって、デジカメ単独での性能のことを述べているのではないからです。実際、(A')では、デジカメはデジタル情報を保存するという具体例だけが述べられていて、それが銀塩カメラに比してどう使い勝手が良いのかがまったくわからなくなっています。これでは(A')は(A)と同じ主張を繰り返すという大原則から外れてしまっているのです。

ですから、正しくは例えば以下のように書き換えればよいのです。

1:デジカメは銀塩カメラに比べて画像の保存の面で優れている点が多い。(A)
2:例えば、銀塩カメラはフィルムに画像を保存するが、デジカメはスマートメディア等の記憶媒体にデジタル情報を保存する。こうした記憶媒体は、
フィルムに比べて品質の劣化が少なく、バックアップのコピーも簡単に作成することができる。また、フィルムは現物を自分で保管しておかなくてはならないが、デジタル情報はネットアルバムのサービスを利用すれば、インターネット上で画像を保存することもできるのだ。(A')
3:今後は銀塩カメラよりもデジカメが普及するだろう。(B)

上記の例では、(A)で銀塩カメラと比べたデジカメの優位性を述べている以上、その具体例である(A')もデジカメの優位性を示すものにしないと具体例の意味がないのです。

Speechを作成する上で、

何らかの比較対象を設けて、それに比して自分が想定している意見・制度・物などの優位性を示す場面は少なくありません。そんな場合に役に立つのが具体例の提示です。
しかし、その具体例も使い方を誤ってしまっては何の意味もありません。何の意味もないどころか、誤った具体例を説明するために貴重なスペースと時間が無駄にされてしまうのです。これほどもったいないことはありません。ですから、もう一度じっくりと自分の原稿を読んでみてください。あなたの具体例は正しく使われていますか?


Win


あるテーマを選んでSpeechを書くときに、現実世界がどのようになれば満足がいくのかを明確にゴールを設定する事が重要です。そして、自分のゴールと対比して現状はどのようになっているかを分析し、そのギャップを埋めていくための考えを練っていかなくてはなりません。スタートとゴールが決まらなくては、その間をいかにして走るかを考えることはできないのです。

予選審査員をしていると、自分のSpeechのゴールを明確に定めていない人たちを多く見受けます。

例えば、ある制度を導入するといった場合、次の3段階のゴールを定める事ができます。

1. その制度が制定されること
2. その制度の存在が大衆に知られること
3. その制度の存在が知られ、それを大衆が活用すること


しかし、Speechの最中でそれぞれのゴールがごっちゃになり、結局何を目指しているのかわからなくなってしまっている人が結構いるのです。

例えばこういった話がありました。

「ホームレスの問題が日本でも深刻化している。一方的なボランティアで彼らを救済するのではなく、彼らと我々が相互に利益を得ることのできるような仕組みを作り出す事が必要だ。彼らと我々がその仕組みを活用することで、彼らが社会復帰できるようなスキルをつけていく事が重要である。例えば、イギリスでは"Big Issue"という名の週刊誌がホームレスにのみ販売が許可されていて、その販売利益をホームレスが得る事ができるようになっている。
一般人は彼らから情報満載の雑誌を買い、ホームレスはいかにして雑誌を多数売りさばく事ができるかを考える。そうするうちに、ホームレスは販売や営業のスキルを養い、当座の資金を作り出すことによって社会に復帰していくのだ。・・・<以下略>」

この出だしを見る限り、
このSpeakerのゴールは上記の1から3の中の3番目でしょう。すなわち、「多くの人がBig Issueを購入することによって彼らの社会復帰をサポートしよう」といものが目標であるはずです。しかし、自分が設定した3番目のゴールはいつの間にか忘れ去られ、途中の1や2で力尽きてしまうSpeechがやたら多いのです。

例えばこの例では、「各地方自治体はBig Issueという制度を制定すべきだ」とか「大衆に広くBig Issueという制度があることを広めるべきだ」という主張でSpeechが締めくくられて終わってしまうのです。しかし、
制度が制定されただけとか、その制度があるという事が認知されただけで、問題は解決するのでしょうか。実際、日本でもBig Issueの制度趣旨の概略は徐々に広まっているにもかかわらず、Big Issueの売れ行きが芳しいとは思えません。Big Issueを売るホームレスの声だけが空しく響き、その横を多くの大衆が素通りしていく光景を皆さんもよく目にしていることでしょう。

3番目のゴールに辿り着くためには、「なぜ売れないのか」、「なぜ買わないのか」という疑問を自ら設定して、それに対する仮説を考えて検証していかなくてはなりません。そこからが一番重要なのに、1番目や2番目の折り返し地点で力尽きてしまう。それでは全く意味がないのです。

本当に今ある現状を変えたいという熱い思いがあるのなら、どこまで行けば満足なのかというゴールも詳細に描けるはずです。そして、そのゴールがいつの間にか忘れ去られてしまって、無意識のうちに途中で妥協してしまうなどということはありえません。にもかかわらず、自分が当初描いていたゴールのテープが切られることはなく、折り返し地点で走るのをやめてしまう人が多い。そういう人は、本当は「自分の思い描いているように現実を変えていかなくてはならない」と心底深く考えているのではなくて、単にSpeechを作るためだけにこのネタを図書館から引っ張ってきただけなのだと思われても仕方がありません。


Win


コンサルティングファームに入った新入社員が、「自分は金融がやりたくてこのファームに来ました」といっているのをよく耳にします。この場合の、「金融」という概念がどういった意味を持つのかにもよりますが、所詮コンサルティングファームはコンサルティングが仕事であって、金融を主たる業務にしているわけではありません。やはり、金融をやりたいのであれば証券会社や銀行に行くのが王道でしょう。たとえどんなにそのコンサルティングファーム内の金融寄りのセクションに配置希望を出したとしても、ダイレクトな金融業務を経験することはほとんどできないと思われます。

要するに、
「金融をやりたいのにコンサルティングファームに入ってしまった」という戦略上のミスは、「そのコンサルティングファーム内で金融寄りの部署に転属する」という戦術で補うことはできないのです。

同じことがSpeechにも言えるでしょう。代表例として、
「単純にInformationを聴衆に伝える」という戦略上のミスは、「そのInformationを詳しく調べてSpeechに込める」という戦術を取ったとしても、つまらないまま終わることが多いというものがあります。

毎回毎回例としてあげるので気が引けるのですが、医療系のTopicがその代表例です。ある病気をテーマにして、その病気の恐ろしさや初期兆候について延々と前半で語り、後半では早期発見・早期治療という単純な提案で終わってしまう。聞いている側としては、
例え前半で「自分の知らない知識が非常に詳しく語られたとしても」、後半で展開している「提案が毎度お馴染みのものなので面白くない」のです。

言うならば、単純なInformative Speechを行って失敗するということは、寿司にジャムをかけて食べて失敗したということと同じです。寿司にジャムをかけて食べておいしいはずがない。
ジャムをかけるという戦略をとる以上、たとえ最高級のネタを使ったとしても、マグロだけでなくハマチやウニを用意しても、まずいものはまずいのです。むしろ、「こんないいネタにジャムなんかかけちゃって」とか、「こんなにたくさんのネタを無駄にして」と、かえって反感を買うかもしれません。

単純なInformative Speechをやるという選択をしてしまったら、例えリサーチに時間をかけて細かいInformationをたくさん仕入れ、それらをもれなくSpeechに盛り込んだとしても、「Originalityがない」という烙印が押されてしまう可能性が高いのです。

これではせっかくリサーチに費やした時間が無駄に終わってしまいます。
長い時間かけたリサーチが無駄になってしまったら悲しいでしょう?ですから、他人よりもリサーチに時間をかける前に、自分のSpeechの戦略はOriginalなものかどうか、もう一度振り返って検証してみることが大事なのです。


Win


SpeechのJudging Sheetの項目にSincerityというものがあります。直訳すると「誠実さ」という意味ですが、なぜかESS界では大本の意味は忘れ去られて、SincerityとはDeliveryの上での誠実さということだけが理解されています

私はすべてのSpeakerが、もっと自分のSpeechにおけるSincerityの重要性に気づくべきではないかと思っています。ここでいうSincerityとは、Deliveryの上でのSincerityだけではなく、
自分が真に検証して考えぬいたことを聴衆に訴えるというSpeakerの基本姿勢を指しています。思いつきや他人からの借り物の意見を、適当なSpeechに作り直して発表するような姿勢は改めなくてはならないのではないかということです。

私がSincerityの観点からいってもっとも問題視しているタイプのSpeechは、
「自分ではやったことがないくせに、他人に平気な顔をして危険なことをやらせようとしているSpeech」です。どんな結末になるか自分は身をもって体験したわけではない。だけれども「行けばわかるさ」という軽いノリで他人にリスクの高い行動を起こさせる。そんなSpeakerが意外と多くいるのです。

例えば昔こんなことがありました。私の後輩が、「電車内での痴漢には勇気を持って対処し、警察に突き出さなくてはならない。その方が痴漢のためにもなるのだ」というテーマでSpeechを書きたいといってきたのです。まあよくあるSpeechですが、テーマの内容自体はさておき、私が問題だと思ったのは彼女のSpeechに対する姿勢です。

聞けば彼女は、毎日通学の車内での痴漢行為に悩んでいるが、一回も痴漢を警察に突き出したことはないそうなのです。そして、「今日も痴漢にあったけど怖くて痴漢を警察に突き出せなかった」とうつむきながら言うのです。

私の堪忍袋の緒はついに切れました。

「自分が怖くてできないことをなぜ聴衆にやらせようというSpeechを書くのだ。ふざけるのもいい加減にしたら」
「だって、その犯人に逆恨みされたら怖いじゃないですか」
・・・

世の中の大半の女性は、逆恨みされたら怖いと思うから卑劣な痴漢行為に対しても勇気を持って対処できないのです。実際、警察に痴漢を突き出した後で逆恨みされて、毎日ストーカー行為などに悩む女性も多いのではないでしょうか。
そういう大きなリスクの伴う行動を、自分が経験したこともないくせに無責任に聴衆にとらせようとしている。はたしてそういう人のSpeechにSincerityがあるといえるのでしょうか。

こういうことを言うと、「経験したことだけを語るのがSpeechではない」という人が必ずいます。しかし、私はそんな大義名分を否定しているのではありません。
私が言いたいのは、大きなリスクを伴う行動を人にやらせようとしているからには、自分がそれを経験した上で、メリットとデメリットを真に検証することこそがSpeakerとして最低限のSincerityなのではないかということです。

借り物の意見をつめこんでSpeechを作り、聴衆に危険なことを平気な顔をしてやらせようとしている。そういうSpeechに誠実さがあるといえるでしょうか。そういうSpeechは良いSpeech・悪いSpeech以前の問題として、Speechという皮をかぶった詐欺だと思うのですが、皆さんはどう思いますか?


Win


豪快なデリバリーと圧倒的な英語力を武器に大きな大会で優勝を重ねた後輩が私には何人もいる。彼らは、自分の主張を美しいレトリックに包んで聴衆を圧倒し、文句なしの1位に輝いた。

それでは、そういう類稀な能力を持った後輩たちがまったく我が道を進んで大会で優勝を重ねたかといえばそうではない。他人がうらやむような能力を持っているにもかかわらず、彼らは様々な人に意見を聞き、納得した点があれば積極的にそれを取り込んでSpeechを進化させていった。
時には耳の痛いことを言われたときもあっただろうが、その意見がもっともだと思えば素直にそれを吸収し、最後はきちんとお礼を言って帰っていく

反面、
大会で全く勝てない人の多くは、少しでもその人のSpeechに批判的なことを言おうものなら、瞬時に嫌悪感をあらわにする。それだけでなく、「ここはどういうことなのか?」という問いかけに対しても、それを考えることができない悔しさからか、「何でそんなことまで知らなくてはならないんだ」と逆上する。ようするに、いつまでたっても自分が作ったものの殻を打ち破ることが出来ないから全く発展性がないのだ。そんな人が優勝できるはずがない。

そして、そういう人に限って優勝できなかった理由を自分以外のものに求めようとする。「ESSの体質が悪い」、「あのJudgeがむかつく」、「今のSpeech界は変質的だ」、「ロジックばかりSpeechの受けが良い」・・・・。

面白いことに、彼らは自分が絶対に正しいと信じている割には、Judgeなどからきついコメントを言われようものなら、毎日ご飯も喉を通らなくなったり、眠れなくなったりする。
そして必ず行きつく結論がこうだ。

「好き勝手やるのが一番」

ようするに、自分以外の世界から何を得ても仕方がないと思っているのでこういう話になるのだ。今のSpeechをとりまく世界がおかしいと感じているのなら、それに代わる代替案を提示すればよいのに、
何もアイデアを持っていないから「好き勝手やろうぜ」ということしか言えない

そういう人は他のESSでは全く相手にされないので、必然的に「うちのESSだけは好き勝手やらせよう」として後輩の動向に厳しく目を光らせる。自分の後輩が、自校のESSのEliminationやJoint大会に自分の気に食わない他大の人間を呼ぶことを極端に嫌い、
「好き勝手やれ」と言っていながら、「自分の気にいらないやり方は一切駄目」と後輩を縛る。いつの間にか言っていることとやっていることが全く正反対になるのだ。そして、そのESSは彼らに賛同する後輩のみが実権を握っていくことになる。

その結果、次の年もその次の年もそのESSの成績は低迷する。今まで何代も大きな大会で勝ちまくってきたESSが、一代にしてその先何代も暗黒時代に突入してしまう構図は、多かれ少なかれこういうところにあるのだ。

こうなってしまうもともとの原因は何だろう。それは素直な心を持っていないということだ。誰も好き好んで他人の意見を批評したり、それに疑問を挟んでいるわけではない。気軽さという点だけを考えれば、「けっこういいじゃない」とほめているだけのほうがよほど楽なのだ。だからこそなおさら自分に厳しいことを言ってくれる人に対して感謝しなくてはならない。そして、納得した点があれば素直にそれを吸収すべきだ。そのほうがよほど得だし、そうしたほうが自分自身の気分も良くなるのではないか