宮城県産ドラマー、石川洋のブログ。 -2ページ目

宮城県産ドラマー、石川洋のブログ。

宮城出身、都内中心、全国で活動中のドラマー、石川洋のブログです。ライブサポート、レコーディング、ドラムレッスン等行っています。

また恐ろしくブログが空きました…

 

今年は去年同様、きっと時間は普段よりあるはずなので、できるだけブログ書くようにしてみようかな!と今思いました。

 

どうなるかは分かりません(笑)

 

 

 

さて、毎年3月11日に関してブログを更新し続けてきましたが、去年は更新しませんでした。

 

 

何故かというと、去年の3月11日は緊急事態宣言こそまだ出ていませんでしたが、なんともコロナ問題が微妙な時期でして。

 

東京やそうでない地域での意識の差も今よりかなりありましたし、今よりも更に未知のウィルスだったので、どうしようかかなり悩んだのです。

 

 

で、結局去年は帰ったのですが、家族とも一緒にご飯を食べたりもせず、必要最低限な人としか会わず、家でもマスクを外さず、南三陸へは行きましたが、親戚には会わず一人でお墓参りだけしてきたのです。

 

しかも本当にそそくさとお墓参りだけしたので写真も撮っておらず、ブログに書くのも時期的にも微妙だったので、書かずにいたという感じでした。

 

 

 

今年もほぼ同じような感じでしたが、甥っ子の引っ越しの手伝いもあったので、自分ができる万全の態勢で宮城に帰りました。

 

 

今回は一人で行くことにしたので、10日の夜に東京出発して、夜中に実家に到着して寝て、起きて両親と南三陸へ。

 

 

いつも3月11日ってあんまり天気が良かった記憶がないんだけど、今年は晴れて海も穏やかでした。

 

 

 

 

また去年とは違った新しい道路ができていたりしました。

 

三陸道も全線開通したようだし、主要な国道とかはこれで大体できたのかな?

 

とは言え、母の実家に行くだけでも以前使っていた道路が使えなかったりするので、生活用の道路なんかは現地の人には相変わらず不便なんだろうなと思います。

 

 

今回一番びっくりしたのが、母の実家のすぐ下に港があるのですが、その港の入り口近辺に高い防波堤ができていて、入り口には開閉できる門が付いていたことです。

 

高さは6mくらいかな?

 

 

もちろん安全の為には仕方ないのですが、以前はこういう物は全くなかったので、道路から海が見えていた所でも壁しか見えなくなっており、寂しく感じました。

 

 

母の実家に到着し、仏壇に手を合わせ、叔父叔母と話。

 

 

ちょうど亡くなった従姉の娘が来ていたので会うことができました。

 

 

10年前、自分は29歳で今は39歳だからまあそんなに変わった感じはしないのですが、従姉の子供たちは10年前は子供だったのが大人になっていて、10年という月日はやはり大きいなと。

 

 

漁師だった叔父は、震災後に修理された港が高さをかさ上げして作りすぎたせいで、水面までの高さがかなりあるということで船への乗り降りが年齢的にかなり厳しいのでもう船には乗っていないとのことでした。

 

ちょうど話をしていた時に近所の漁師仲間の方がサクラマスが捕れたということでおすそ分けに来ました。

 

うちの両親にも「持ってくか?」ということで一匹分けて頂き、叔父がその場であっという間に切り身にしてくれました。

 

 

 

こういう繋がりってやっぱりいいよなぁと思いました。

 

 

11日は色んな方々が線香を上げに来るだろうし邪魔になっても悪いので、早めに切り上げ、帰りは小腹も空いたのでさんさん商店街へ。

 

 

全然知らなかったのですが、商店街の端から川の上に橋がかかり、防災庁舎の跡地を囲むように震災復興祈念公園が出来ていました。

 

 

 

 

橋が出来たことで、商店街に寄った方が徒歩で防災庁舎跡や公園まで行けるようになりました。

 

 

庁舎跡も久しぶりに目の前まで行きましたが、やはりこの建物の屋上まで津波が来たんだという現実を感じ、当時屋上に避難していた方々や付近の住民の方々の気持ちを考えるとなんとも言えない気持ちになりました。

 

 

 

 

 

 

 

さて、今年も3月11日に宮城に帰れたことで、この日は10年間連続で宮城で過ごすことができました。

 

10年と言えば、「そうなのか」と思う部分もありますが、実際には一日、一分一秒の積み重ねだと思います。

 

10年経ったから何が変わる訳でもなく、また同じように時間を積み重ねて生活していくということだけだと思います。

 

 

 

家が流された人、家族が亡くなった人、天涯孤独になってしまった人、そういった震災で起きたことが原因で心が病んでしまった人、病んでしまった家族を見守り続ける人、見守りたいけど高齢になってきてそれも難しい人。

 

 

最近ネットニュース等で被災地の方々の10年をインタビューするような記事をいくつも読みました。

 

それらに大体共通して感じたのは、震災自体で発生した直接的な損害よりも、年月が経過してそこから枝分かれした要因(家族が亡くなってその後の家族関係や親戚関係が悪化したり、両親が亡くなって様々な所をたらい回しにされて苦しんだり、転居せざるを得なくなり新しい人間関係を築けずに心を病んだり、それに伴ういじめで苦しんだり等)で苦しんでいる方々が多いと感じました。

 

 

人の数だけ人生があるように、そういった問題も様々なケースがある訳で、解決方法やサポートする方法というのも多岐に渡ると思います。

 

行政や国というのは縦割りで出来ているので、「ケースバイケース」の対応というのがどうしても上手くできないことが多いと思うのですが、なんとか苦しむ方々に寄り添いながら、今後も物的支援や援助(カウンセリングや各種相談、相談しやすい環境作りなど)を実行していって欲しいなと思います。

 

 

 

10年という節目ということもあってか、「震災を忘れない」という様な言葉を今年は多く見ました。

 

震災があったこと自体は誰も恐らく忘れないとは思うのですが、やはりあの時感じた気持ちや、考えたこと等は薄れたりする部分もあるのかなと思います。

 

そういった意味で、このブログが少しでも何かを感じたり思い出したりするきっかけになればと思いますし、これからも仕事が入らなければ3月11日は宮城で過ごしたいと思っています。

 

自分も遡って読むとまた感じることもあると思うので、後で読み返そうと思います。

 

 

 

昨日ちょうど9歳の男の子のリモートレッスンをしている時に大きめの地震がありました。

 

その子のお父さんはもちろん震災は知っていますが、その子は当然生まれていないので実感はないわけで。

 

でももしかしたら、先生の実家がとか、先生の親戚がという話をしたら、身近に感じるかも知れない。

 

それだけでも少しは意味があるのかなと思いました。

 

 

 

最近自分を知ってくれた方、お時間あれば過去の記事を読んでいただけると幸いです。

 

 

 

2011年3月11日
 

2011年3月12日

 

2011年3月13日、14日

 

2011年3月15日、16日

 

2011年3月17日、18日

 

2011年3月19日~21日

 

震災で行方不明だった親戚

 

2013年3月11日

 

従兄弟の話

 

お盆in宮城

 

震災から3年

 

帰省からの南三陸

 

2015年3月11日

 

2015年お盆in宮城

 

2016年3月11日

 

2017年3月11日

 

2018年3月11日

 

2019年3月11日

 

 

 

 

 

今回の騒動を見て感じたこと。

 

自分はミュージシャンですが、別に特にライブハウスとかを擁護する内容ではなく、至って当たり前だと思う考えを書きました。


まず普通に考えて、ウィルスは北海道に来てた観光客やらクルーズ船から広まってる(他にも知られてないルートもあるのかも知らんけど)訳で、ライブハウスなりジムなりで感染が広まってしまったのは、その時点では誰の故意でもない偶然の事故(陽性って自分で分かって行ってなければ)ですよね。

特に2月の中旬なんて、まだみんな今ほど意識が高くなかったのでは。

で、自分が知ってる限りでは関係したライブハウスやミュージシャン達は、ウィルスの件が分かった段階で活動や営業を止めて検査も受けている訳で、それに関して現在バッシングをしても何も意味はないですよね。

ジムの話とかは追ってないのでよく分かりませんが。

ライブハウス、カラオケ、パーティー、ジム等の風通しが悪くて人が密集する場所がクラスターの原因になりうるというのは間違い無いと思うのですが、それは今から気をつけるべきなことで、既に発生した事案を叩いても、感染の抑止には1ミリも意味がない訳です。

でね、これが例えば電車だ、バスだ、スーパーだ、コンビニだってなった場合、今回ほど叩かれるのか?と思ったんです。

叩かれないでしょうね。

〇〇電鉄の〇〇運転士、ふざけんな!とか〇〇スーパー〇〇店の〇〇!!とかならないでしょ。

それは何故かというと、みんな日常利用してるから、絵が浮かぶんだと思うんですよね。

それに電車叩きまくって電車全部止まったり、スーパー叩きまくってスーパー全部営業やめられたら、みんな困るもんね。

それに比べるとライブハウスなんて普通の人からしたらかなり未知で、縁が遠いから、まあ何というか憎まれ役にちょうど良かったのではないかなと。

おれらからすれば仕事場でもあり、収入にも大きく関わるのですが、比率でいえばマイノリティですからね。

だから、きっと今回必要以上に上記の様な場所を叩く人は、情報を時系列できちんと考えられなかったり、とにかく不安な気持ちを手っ取り早く何かを悪者にすることでガス抜きだったりをしたかったのかなーと、そんな風に感じてます。

不安なのは同じなので分かりますが、有名人の不倫やクスリ問題を叩くのと同じ様な生産性のないことは辞めましょうよ。


一方、主にミュージシャンやファン側のコメントで多く見られたのが、「ライブハウス、音楽は素敵」とか「ライブハウス、ミュージシャンを悪者にするな」等の意見。

 

それ自体はその通りだと思うんですが、今それを話したところできっとほぼ伝わらないと思いますし、そもそも論点も違うかなと。

 

そして感情論に感情論で返しても、話は収束しないかと思いますので、「なぜ」ライブハウス等が悪者でないのか、もっと具体的な理由を書くべきだと思います。

 

Twitterなんかでは字数もあり難しいと思いますが。



ちなみに今後感染を広げないためにライブ等を延期したりはすべきだと個人的には思います(お金に関しては不安しかありませんが)。


でもライブハウスにとってライブ営業をするなというのは、パン屋さんにパンを作るなということと同じなのですが、それでも賃料や光熱費などの固定費は支払わなければならないので、その辺りは国がきっちりバックアップして欲しいものです。


自分個人に関して言えば音楽を仕事に選んだのは自分だし、例えば事故って働けなくなった瞬間無収入になる様に、収入が途絶えるという状況も普段から起こりうることかなと。

 

だとしても家族を餓死させる訳にはいかないので、何をしてでも(犯罪以外)ある程度は稼がなきゃいけない。

それくらいの覚悟がないと音楽を仕事になんてやってられないのではと個人的に思うので、ごく一部ですが泣き言のような意見を見かけるのはちょっと意外でした。

 

 

長くなってきましたが(笑)何が言いたいかと言うと、叩いてる側も、叩かれている側も、何かのせいにしても仕方ないので、やれることをやってお互い頑張りましょ!ということです。


大前提として、これはウィルス流行の兆しが見えても金の為に観光客を拒まなかったり、クルーズ船から普通に電車で帰したりするような政府、厚生労働省の大チョンボだと思います。

それを踏まえると、自分達にできることは、自己防衛だったり、声を上げることだったり、きちんと考えて選挙行くことだったりですね。

残念な学びですが、自分達の人生、自分達で守るしかないんだなぁと、震災の時からずっと思っています。

今回も自分達みたいなフリーランスへの国の対応は10万円貸すというだけらしいし…(借りる人間いるのだろうか…)

 

 

自分はといいますと、我が家には小さい子供もいるので手洗い等はもちろん、自分も家族も不要な外出はほぼ無し、どっか行く必要がある時は極力車、人混みは行かない(というか子供生まれる前から毎年冬はインフルがやだからほぼそんな感じですが)と、まあ当たり前に気を付けることをきっちりやる。

 

結局みんなそれぞれができるベストを尽くすしかないと思いますので、踏ん張りましょう!


普通に文章を書きましたが、もちろん自分も不安ですし、なんなら政府や厚労省の方々が目の前にいたらきっとプチっと来るだろうなーくらいには腹立ってます。

 



長くなりましたが、自分含め、みなさんが落ち着いて考えて行動し、早く収束しますように。

そして、感染された方々が少しでも早く、多く回復しますように。

 

 

 

P.S 仕事欲しい

ということで、手術から現段階までがひと段落したところで、今回思ったことや、皆さんの役に立てばなと思うことをまとめとして書いていきたいと思います。

 

 

まず、これは病気としてはややレアな部類の病気でして、先天的に真珠腫がある方もいるそうですが、自分の場合は後天的な理由の可能性が高いです(断定はできないけど)。

 

で、今回思ったのは、まずこういった病気があるということを知ってもらいたかったということ。

 

有名じゃないくせに、かかっちゃったら結構色々なリスクがある病気なのです。

 

先にも書きましたが、難聴から始まり、味覚麻痺、顔面神経麻痺、脳まで行くと死亡。

 

なので簡単にですが、この病気になり兼ねない行動や、注意すべき症状を書きます。

 

まず行動としては、

 

 

 

1. 鼻すすり

 

これはもう、かなりの確率で鼓膜に負荷をかけてしまい、病気の原因になります。

 

鼻すすりと言っても、強さも人によって違うと思いますが、鼓膜から「ピキッ」的な音がしたらそれはもう鼓膜を内側に引っ張っているので、よろしくないです。

 

鼻炎や花粉症で鼻水が…という人は、根本を治すor鼻はすすらずかみましょう!

 

 

2. 耳掃除のしすぎ

 

これが直接真珠腫の原因にはあまりならないとは思いますが、耳にはよくないと言われています。

 

そもそも耳垢は、自動的に外に出てくるようになっているそうなのですが、耳掃除をしすぎると表面が荒らされ、耳垢を外に運ぶ働きがとても弱くなるそうです。

 

それに外耳道はすぐ傷がつくので、炎症も起こしやすいし、菌が増えちゃったらそれも大変です。

 

耳掃除するの気持ちいいよね…

 

分かるよ…

 

分かるけど!!

 

よろしくないそうです…

 

海外の方で綿棒の先端が耳に残って、そこで菌が繁殖して脳に感染症して亡くなった方のニュースもありましたね。

 

先生方は口を揃えて「耳掃除は、しなくていいです」と言います(笑)

 

 

続きまして、自分の小さい頃からを振り返って、こういった人は注意!という例です。

 

 

1. 中耳炎になりやすい(何度も繰り返す)

 

自分は小学校か中学校くらいから、風邪を引くと高確率で中耳炎もセットでかかるようになっていました。

 

中耳炎になると耳がつまり聞こえが悪くなります。

 

その中耳炎の原因がすでに真珠腫の場合もあるということです。

 

子供は特に中耳炎になりやすいらしく、しかも自分がそうだったように、耳や鼓膜の違和感を自分から積極的に伝えたりはしないケースが多いそうです。

 

ですので、中耳炎を繰り返しているお子さん、もしくはそうだった大人も要注意です。

 

中耳炎で耳が詰まる→聞こえが悪い→中耳炎が治って聞こえが戻った気がする

 

でも実際最初よりほんの少し聞こえが悪くなっていても多分気づかないんですよね。

 

多分自分はその繰り返しだったんだろうなぁと思います。

 

いつから真珠腫があったのかは結局分かりませんので…。

 

あと、自分の様に小さい頃から周囲の音がうるさく感じたりしていた人なんかも要注意かもしれないですね。

 

 

2. 耳から何か出てきた

 

普通は変だと思いますかね(笑)

 

これも自分のパターンですが、今回発覚したのは耳だれといって、耳から液体がでてきました。

 

耳だれだけでは真珠腫なのか、それとも外耳道に傷が出来て膿んでいるのか分かりませんが、耳から液体がでたら耳鼻科行きましょう。

 

 

あとこれは後から思い出したのですが、そういえば20代半ばか後半くらいに耳かきをしていたら、「バキッ!!」と何かが折れたような音がしたことがありました。

 

凄い音だったので「え?」と笑いながら綿棒か耳かき棒を抜いたら、こんなの良く耳から出てきたなというサイズのかさぶたがゴロッと出てきました。

 

今だったら100%病院コースですが、当時は耳の作りとか病気も良く分かんないし、痛くもないし聞こえも別に問題ないし、まあ大丈夫だろーと軽く考えていました。

 

でもきっとそれは外耳道に中々の傷があったか、真珠腫の骨破壊で傷があったかだったんだろうなーと思います。

 

なので、そんなことがあったら皆さんは即病院に行きましょう。

 

 

 

-----まとめ-----

 

 

そして今回痛感したこと。

 

それは病気について自分なりに理解し、適した病院を選ぶことの大切さです。

 

 

これを「病院選び」と言ってしまうとなんかちょっと上からな感じになるというか、なんかクレーマーっぽい響きでニュアンスが違うのですが、自分でも病気に関してなるべく理解を深めて、どうやって治すのかという意思を持つ部分が割と大事かと。

 

あちら任せでは無く、対等な意識でいる感じと言ったらいいのかな。

 

なにしろあっちの身体ではなくて、こっちの身体の話ですからね。

 

 

それを踏まえた上でですが、まあ一口にお医者さんと言っても凄くレベルというか、結果にばらつきがあるんだなーと実感したのです。

 

もちろんその人の専門領域じゃなかったりとか、色々あるんだとは思います。

 

今回最初に行った病院で異変を指摘されて、結果病気が分かったんですが、それまで20年以上もの間何回も中耳炎で色んな耳鼻科には行っている訳です。

 

しかし鼓膜の凹みのことを指摘されたこともないですし、例えば小さい頃から中耳炎を繰り返しているという話をしても、「そうなんですねー」程度でした。

 

それは知識の差だったり、今まで診て来た経験の差だったり、熱意の差だったり色々あるのでしょうが、こちら側にとっては結果が異なるという差が出てきてしまう訳です。

 

もちろん所謂個人の小さなクリニックと大学病院では、設備や経験、日々の症例数からそもそもの存在意義まで違うとは思いますが、それでこちらになにか損害があっても、結局損をするのはこちらですから、やはり自分なりに考えて動くべきだなと思ったのです。

 

極端な話、医師免許を取ってから20年なんとなく仕事して技術も知識もいまいちな人も、20年死ぬ気で仕事していて世界屈指なレベルの先生も、こちらから見れば同じ「医者」な訳です。

 

その差というのは今のシステムではどうしても仕方ありませんので、自分で知識を得て考えることが大事になってくるのかなと思いました。

 

 

 

結果として今回は、セカンドオピニオンで大学病院に行ったことで手術をすることになり、そこの素晴らしいスタッフさん達の技術とフォローのおかげで現在まではとても良い経過です。

 

鼓室形成術という手術だったのですが、それにも方法がいくつかあり、それによって難易度も違いますし、前記事にも書いたとおり真珠腫を取り除くのが第一目的の為、聴力改善の程度は保証はありません。

 

自分のケースでは幸運にも国内(海外からも患者さん来るらしいので世界的にも)トップレベルの先生に手術をして頂けて、今後の自分の仕事のことも考えて頂いて外耳道を保存したままにするという難易度の高い手術で、現時点では十分に納得できる聴力まで回復することができました。

 

軽い病気なら近所の小さいクリニック等でも何も問題ないと思いますが、今後の自分の人生を左右しかねない病気や、そうなる可能性のある症状等があった場合には、やはり自分でも自分なりに調べたり考えたりするのは大事だと思いました(お医者さん達に文句を言うためではなく、あくまで自分の身体を自分で守るという意味で)。

 

 

ということで想像より大分長くなりましたが、ひとまずここで一段落とします。

 

自分も手術前に色んな方のブログやら体験記を見て参考にさせてもらったり、安心に繋がったり(たまに不安になったり)したことも多かったので、そういった部分でも少しでも役に立てれば幸いです。

 

また、このマイナーな病気に関する情報が少しでも広まったり、その情報で少しでも早い発見に繋がったりしたら最高です。

 

なんとか年内に書き終われてよかった(笑)

 

読んで頂いてありがとうございます!

 

健やかな年末年始が過ごせますように!

 

ではでは(^^)