があります。前回のブログ記事でも少しお話しましたが、「自」と「他」による関係性のお話です。

私は物心ついた頃には、「この世に生きているのは神様と自分だけではないか」と、考えていました。それは拙著「驚愕!!ドラゴンボールは真理の書だった!!!」の冒頭にも記しておりますが、ただその頃は漠然と考えていたと言いますか、確証の得られない、おぼろげな感覚であったと思います


しかし2015年初夏には、その事(ワンネスを体験した事)が実感として味わえた事は、私にとって本当に素晴らしい体験でした。

さて「自」と「他」による関係性のお話ですが、自分の他に「自分以外の人」がいるから、そこに「苦」が生まれる訳です。
この世に自分しか存在しない場合、「他」との関係による「苦」は生じない訳ですね。
一度想像してみて下さい。
この世に自分一人しかいない世界を。
食べ物も飲み物もやりたいゲームもスポーツも、自分がやりたいと思ったら何でも望み通りに叶う世界です。
1週間で飽きると思いません?(笑)

一人ぼっちでは何が自由に出来てもちょっと寂しいと思うので、ではここに、自分とほぼ同じ周波数を持ち、思想や行動やその他の事もほぼ同じで、争う事のない「他の人」が大勢いるとします。

気の合う(周波数の合う)仲間たちと毎日楽しい事をして暮らせます。会いたいと思う人には瞬間移動で会う事が出来、やりたいと思う事はやりたいと思った瞬間にそれが実現します。
楽しそうですよね!
それがいわゆる霊界における「天国」です。

でも数年で飽きると思いません?(笑)


まあ数年で飽きてしまう人もいれば、何十年経っても飽きない人もいるかもしれませんが、それも時間の問題です(時間はないんですが)。
結局のところ、魂の本質とは「成長・拡大」というものを理念として持っているんですね。だから飽きてしまう。

葉っぱに飽きてしまったコアラの「まさあき君」
架空の天国では想像するのが難しいと思われた方は、ロールプレイングゲーム(ドラクエとかファイナル・ファンタジーとか)で考えてみて下さい。

発売当日、新しいRPGが発売され、さっそく家に持ち帰りゲームをします。
そのゲームの最終的なボスキャラを倒すにはレベル100が必要で、激レアな武器・防具を揃えていれば、うまくいけばレベル95ぐらいでも倒せるとしましょう。
しかしゲームのバグで、ゲームをスタートした時点でレベルが300あったとします。
ゲームストーリーの流れからいって、鍵を入手したり、中ボスが真実の姿を現す為にはいくつかの謎を解かなければならなかったりはするとしても、出てくる敵キャラクターは、
全て瞬殺です(笑)

数分で「何だよこのゲーム!(怒)」ってなると思いません?(笑)
結局のところ、我々が住むこの三次元世界はゲームと同じなんです。魂は徐々に成長する事が一番の楽しみなんですね。
しかも今の自分のレベルに合った問題である「苦」を克服して、次のステップに進むという事を望んでいます。しかもそれは、生まれてくる前にそういうゲームプランを立てて生まれてくるんですね。
「神様は乗り越えられない問題は与えない」とよく言われますが、その通り、初めから解決出来る問題しか、人生のゲームプランには組み込んでいないのです。
要するに「天国」と言われるような世界では、何でも自分の思い通りになる世界であるがゆえに、「成長」がほとんどないんですね。だから「急成長」したいがゆえに、輪廻転生を繰り返しているんです。しかし天国と言っても輪廻を繰り返す必要のあるレベルでの天国のお話です。

我々人間から見たら天国でも、「輪廻が必要な天国」と「輪廻が不要な天国」があります。輪廻が不要な天国とは、もう人間として生まれての成長を必要とはしないぐらいに成長を遂げた魂が住む世界です。輪廻が必要な天国にいる住民は、しばらくの間、自分の思い通りになる世界に幸福感を感じ、その世界に一時は満足します。しかし、何をやってもうまくいく、障害のない世界にだんだん飽きてきます。
バグったゲームがどんなモンスターにも負けず、自分の思い通りに進めていける事に関しては「苦」はないのですが、何もかも思い通りになってしまう事が「苦」になるんですね。
そうやって、自らまたこの三次元世界に「おぎゃー(泣)」と生まれてくる訳です(笑)

さて生まれてきたら、霊界での記憶は消されています。前世の記憶が残っている人も世界中に沢山おられますが、基本的にはほとんどの人が何も思い出せない状態です。

そこで人間(赤ちゃん)としての人生がスタートする訳ですが、腹は減るわ、尿と便で股間が気持ち悪いわ、なんだか興味惹かれるクマのぬいぐるみには手が届かないわ、そもそも歩けないからどこにも移動出来ないわ、言葉を知らないから言いたい事が伝わらないわで、凄いストレスに襲われます(笑)
(一説には最初から全ての記憶を消されている訳ではなく、この凄いストレスによって起こるPTSD[心的外傷後ストレス障害]によって、記憶が消されていくという説もあります)

ゲームで言うと、分厚い説明書があって説明書を読み込まないと、まったく操作がわからないといった状況でしょうか。普通のゲームならカーソルを右に動かせば右に動き、左に動かせば左に動くのに、このゲームはそれが動かないというような、何も自分の思い通りにはならない世界の始まりです。

「まんま」と言えばお母さんが食事を用意してくれて、
「しーしー」と言えばトイレに連れていってくれるというように
しかしそこで「CCレモン」が出てきたら・・・


ぐあぁ~~何でなんだよぉ!!!

もうブチギレですよ!!!

そしてその後は、父親に叱られ、母親に叱られ、先に生まれている兄弟姉妹には自分の分のおやつを横取りされたり、犬の鳴き声にびっくりしたり、転んでおでこにたんこぶ作って泣き叫んでみたり(笑)
レベルが上がれば上がるほど、自分の身に降りかかって来る問題は大きく複雑になっていきます。

今回は「自」と「他」のお話ですので、この部分に絞ってお話します。
一緒にいて楽しいと思える友達もその頃には出来ている事でしょう。しかし顔を見ただけでムシズが走ったり、意地悪をする人がいたり、厳しい先生がいたりと「苦」がだんだん大きくなっていきます。そういう経験から「○○をする人は○○な人だ」とか、「○○な人とは私は合わない」という価値判断が生まれます。
なぜ価値判断をするかと言いますと、「他」の言動により「自」が被害を受けると「不安」や「恐怖」を抱くからなんですね。
そして、そういう被害に合わないようにしたいという「自己防衛システム」が作動します。「自己防衛システム」が作動すると顕著に現れる行動に「怒り」があります。
「怒り」とは自分の弱い部分を見せまいとする行為で、その底には「恐怖」があります。
怖くなければ人は怒らないんですね。
100万円の詐欺にあったとしても、資産が100億円あるなら怒らずに冷静に対処する事でしょう。

買った品物が高価であれば高価であるほど、激しく怒ります。(まぁお金の事以外で「裏切られた」とかいう別の気持ちで怒る事はありますが)お金に関しての怒りの程度は、自分が持っている資産と損害の割合で決まると言ってもいいかもしれませんね。
まあそういう単純な話じゃないかもしれませんが、根底に怖れがあると、怒りという態度ではね返そうとします。
その他の事に関しても、人間ウォッチングしてみて下さい。
怒ってる人を見つけては、何に怖れを抱いているのだろうかと。段々わかってくると思いますし、それと同時に自分が怒りの感情を持った時に、何に怖れを抱いているのだろうと、今度は自分の心も観察してみましょう。怒りの感情の原因がわかったら、それを手放せばいい訳です。
しかし、どうやって手放したらいいかわからないという疑問も生まれるかもしれません。
手放すとは忘れるとか放置するとか、観察しなかった事にしようとかという事ではありません。
「手放す」とは「無い」という事を悟る事なのですが、その「無い」がなかなかわからないのです。
ですから今度は、その「無い」ものをいかにあなたが間違った認識で、「ある」と思っているかを色んな話を交えて伝えてあげないとわからないと思います。
スピリチュアル系のブログでよく見かけるのは、「手放して下さい」で終わっている事がかなり多いように思えます。
それは恐らく、手放す方法を知らないんでしょう。
だって、手放す方法はその人が腑に落ちる話をしてあげないと無理ですから。
あー、そういう意味でいくと、その先は複雑になるから「手放して下さい」で終わってるとも言えますね。
まあその方のブログの他の記事を読んでみれば、そこまでの認識のある深い人か浅い人かはわかるでしょうから、それは読んだ人の判断に任せるとして・・・

またちょっと脱線気味ですが、「自」と「他」の間で起こる摩擦によって、「苦」を味わい、それを乗り越えて「楽」を味わったり、「至福」を味わう事がこの三次元世界が作られた目的です。
「苦」がなければ、「楽」も「至福」も味わえないんですね。
毎日学校や会社に行くのが嫌だと思えば思うほど、土日の開放感(至福)を味わえますし、ゴールデンウィークや年末年始の休みなんかは、さらにそれが味わえますね(笑)
それと同じ事で、この三次元世界は2つの事柄がセットになって一つなのです。
これがわかってないと「苦しみ」や「悩み」は、「楽」や「喜び」とセットであるという事が理解出来ません。
しかし一旦理解してしまったら、苦しみや悩みはなくならないとしても、その受けるダメージはかなり軽減され、セットであるがゆえに必ずその反対の「楽」や「喜び」が待っていると思えるのです。
「自」と「他」に関しても同じ事で、「自」と「他」はセットなんですね。「他人のふり見て我がふり直せ」と昔から言われていることわざがありますが、自分の心の状態を自分以外の人間が現象として現してくれているのです。言わば「鏡」の役割です。
先程、「他」に「自」が何らかの形で妨害を受けたり、何かの損傷を受けると思った時に「防衛反応システム」が働くと言いましたが、これまで私たちは、他人を自分とは別のものとして区別し、その自分とは全く違う別の人間の事を嫌ったり、怒りの感情を持ったり、無視したりしてきた訳です。
しかし「自」と「他」はセットですので、それでは全く問題が解決しない訳です。他人が自分に対してしている行動はどんな事であれ、自分の心がその人を鏡として反映されているのが事実ですから、その人の言動と自分の心をリンクさせて、自分の心の中にどういう感情が潜んでいるかという事をじっくりと観察しなければなりません。

例えば新しいアルバイトが決まって月曜から金曜まで、その職場に行くとします。そこに意地の悪い先輩アルバイターがいたとしましょう。
その先輩アルバイターは新人いびりで職場では有名で、いびられた新人は辛くてそのアルバイトをすぐに辞めてしまうという状況だったとします。
そして今回はそのいびられるのは新人のあなただとします。
そういった場合、今までであればその先輩アルバイターに対し、
「性格が悪い」
「口が悪い」
「理不尽な事を言う」
「人に仕事をやらせておいて、自分はさぼってばかりいる」
そんな事を思って、
「あ~やりにくい職場だなぁ」
「この人さえいなければいい職場なのに」
そう誰もが考えていたと思います。
そこで、やはり人間関係がうまくいかずにそのアルバイトを辞めてしまう。そしてまた新しいアルバイトを探す。
次の職場でも人間関係でうまくいかない。
こういった繰り返しの中、「私は職場運が悪い」「人間関係でいつも悩む」「仕事が続かない」といった負のスパイラルに陥ってしまいますし、私の運命はこういう運命であるという「定義」が出来てしまいます。

そこで、今までの自分を振り返ってみて、そういう行動を取った事がないか。
行動まではとらなくとも、気持ちの中でそういった感情を持っていなかったか。
更に今現在、そういう感情を持っていないか。
過去にそういう行動を取っていた事が思い出せたならば、すぐに反省し、その相手に対して謝りましょう。
謝るのは直接会って謝るのではなく、
心の中で心を込めてあやまればOKです。
そして、二度とそういった感情を持たないと決意しましょう。
そして、それをわからせてくれた相手の方に対して感謝しましょう。
これは、無理矢理感情を押し殺しても何の解決にもなりません。反省と懺悔と感謝を行い、そしてそういう行動を過去にとってしまった自分自身を許しましょう。
そうして、本当に自分の中からそういった感情を手放せた時には、もうあなたの中にはそれがない訳ですから、鏡を照らし合わせても、何も映らない訳です。
何も映らないという事は、意地の悪い先輩アルバイターの態度が一変してしまうという事です。
「自」と「他」というのはセットです。そして全てはワンネス(創造主)につながっていますので、セットどころかすべては一つなんですね。
我々が住む三次元世界はワンネスが作った巧妙なバーチャルな世界です。
これをどこまで信じられるか。
信じた度合によって目の前の現象は変わるでしょう。

信じた度合によって、そして実践の程度に比例して現れる現象は変わるでしょう。
しかし何だってワンネスは自分の「喜び」や「素晴らしさ」や「愛」を実感するために、我々人間を使って苦難を味あわせてるんだ(怒)と思うかもしれません。

あなたとワンネス(創造主)を分離して考えています。
ワンネス(創造主)とは誰なのか・・・


実はこのブログを読んでいる「あなた」です!!



