【64】退院日まで | タイムスリップ闘病記

タイムスリップ闘病記

このブログでは30年以上前にタイムスリップして、闘病生活を振り返ります。
完璧な記憶ではないので、そこらへんはご容赦下さい。
沢山の先生方や看護婦さん、友人そして家族、一丸となって私を助けてくれたのです。
あの時、諦めていたら、自分は今存在していない。

退院が決まり、私は今の病棟での生活から普通の生活に戻ることになる。

何か寂しい気持ちだった。
数ヶ月、この病棟に居て、毎日先生や看護婦さんや子供達と楽しく話して、当たり前のように過ごせていたからだろうか。
皆んなが「しんちゃん」と名前で呼んでくれて、皆んなが友達のようで。
更には身体をいつでも休められて、私にとって、とても安心できる場所だったのだ。
もう、あと数日でここと離れて自宅に戻る。
何故だ、ため息が続いた。

退院までは、治療もなく、採血ぐらいしか処置は無かった。
採血などは私にとっては、蚊に刺されるぐらいのもんであった。
それ以上に治療は辛かったからだ。

この日も母は面会時間開始を少し過ぎたぐらいにやってきた。
午後2時過ぎ、母がやってきた。
「調子はどう?ご飯食べられた??」
ご飯は毎回チェックだ。
「うん、食べたよ。お蕎麦だった。」
お昼ご飯はつゆの少ない、ばぞぼそに乾いたお蕎麦だった。つゆが半分ぐらいで、ほうれん草とナルトと鶏肉、でも、味は美味しかった。

「今日はいらない物とか持って帰るね、少しずつ、持って帰らないと。」
テレビ台の下の扉の中には、着替えなどが沢山入っている、3年生ともなると貸出のパジャマなどはサイズが小さく無理だ。一年生ぐらいまでがやっとだろう。
貸出のパジャマは黄緑色で胸に病院名が書かれている。
私も着替えが用意されていない転院当初は、仕方なく着ていた。
パジャマは前開きが必要だった。点滴をするので、片手は袖を通さずしておくためだ。

今日の部屋担当の看護婦さんは中森明菜似のひごさんだ。
私はいしいさんも好きだったが、ひごさんは更に可愛い看護婦さんだった。
本当にそんな可愛い看護婦さん達ともお別れだ。退院は本当に嬉しいが、仲良くなった看護婦さん達と別れるのは寂しい。

子供ながらに
皆んなが喜んでいる中、そんな考えでいる自分は嫌な奴だなぁと思っていた。
慣れとは怖いものだ。
『寂しい。、、そんな事口に出してはいけない』

そんな気持ちを抱えながら、今日も病棟の日常を過ごしていた。