【65】退院の日 | タイムスリップ闘病記

タイムスリップ闘病記

このブログでは30年以上前にタイムスリップして、闘病生活を振り返ります。
完璧な記憶ではないので、そこらへんはご容赦下さい。
沢山の先生方や看護婦さん、友人そして家族、一丸となって私を助けてくれたのです。
あの時、諦めていたら、自分は今存在していない。

私はその日は朝早く起きた。
まぁ、早いと言っても、7時ぐらいなので、一般的には普通の領域だ。
今日は退院の日だ、特に変わった感情は無くなっていた。
母は早めに来ると言っていた、恐らく11時ぐらいなのだろう。
朝食の時間に
、今朝はパンの食事なので少し食べられた。
朝食の和食は海苔数枚や納豆やら梅干しやらで私の大嫌いな物が多かったので、一口二口で終わっていた。ただ、ふりかけを持参してかけてたので、白米は半分ぐらいは食べていた。
パンの日は、食パン1枚とバターロール一つ、それにジャムとバターが付き、おかずはスクランブルエッグや目玉焼きハムなど、そして牛乳が付いた。
そちらの方が美味しかった。

私は朝食を済ませて、食事を配膳台に運びに行った。
今日は配膳台がプレイルームの前に置いてあった。
プレイルームは、看護室の隣にある。
看護室で朝の申し送りをやっている前を通り抜け、小さな子供達がテレビを見ながら朝食をとるプレイルームの前に着く。
こんな光景の朝も今日でお別れ。
明日の朝は、自宅での目覚めだ。
私はそのまま521号室へ戻った。
相変わらず二人部屋に一人だけだ。
少し経つと看護婦さんがやってきた。
「しんちゃん、今日、退院だね!良かったじゃん!」
明るい声で話してくれるのは、かきぬまさんだった。
かきぬまさんは、自分にとってはあまり好きな看護婦さんでは無かった、少し怖かったのだ。
でも、流石に退院の日、そこは大人だ、優しい。
ベッドの掃除をしている間、私はプレイルームへ行った。
プレイルームでは、既に小さな子供たちがテレビを見たりして遊んでいた、小学3年の私はまあまあその中では大きい方だ。
4、5歳が多いかもしれない。
『あぁ、こんな光景ともお別れだなぁ、、一体、この子達は、なんの病気なんだろうな、、まだ、小さいのに。でも、自分みたいに、、。』
そんな疑問ばかり持っていた。

朝食がパンだと牛乳が付くので、必然的に朝のおやつはジュースであった。
朝おやつは10時である。

早く帰りたい思いもあったが、もう少し、小児科病棟で仲のいい看護婦さん達と一緒にいたい、その気持ちも嘘でなかった。
でも、そんな時は学校の友達の顔を思い出し、
結局は帰りたい気持ちが勝つのだ。
母の姿が現れないまま、昼食の時間となった。この日は食べないで、外で好きな物を思いっきり食べたかったが、チャーハンだったので、少し食べた。
ハムや卵が入ったチャーハンだ。
勿論、お椀をひっくり返して作った丸形に爪楊枝の旗が立っている。
おかずは豚肉だった。
まあまあ美味しかったが、やはり薄味かもしれない。
お昼のお供、笑っていいとも、、まぁ、毎日飽きる。
笑っていいともも終わり、13時になった、
私はテレビを消し少し横になった。
真っ白な天井を見つめ、『まだ、来ないなぁ』
少し怒っていた、うつらうつらしていた、