【63】退院が決定 | タイムスリップ闘病記

タイムスリップ闘病記

このブログでは30年以上前にタイムスリップして、闘病生活を振り返ります。
完璧な記憶ではないので、そこらへんはご容赦下さい。
沢山の先生方や看護婦さん、友人そして家族、一丸となって私を助けてくれたのです。
あの時、諦めていたら、自分は今存在していない。

退院が伸び伸びになっていた理由として、治療後の副作用の一つである、発熱が原因で私は数日間退院を延期していた。
ある日の朝だったであろうか。
「とんとん!」
大きな音だ、看護婦さんじゃない。
私はドアのノック音で大体分かった。10時ぐらいには、先生達が動き出す。
「おはよー」
せきもと先生だ。
せきもと先生は声のトーンは低い、しかし、笑顔だ。
「どう?調子は?」
気さくに話してくる、先生は笑顔で、その奥は真面目そうな聞き方だった。
「熱も下がって、ご飯も食べれるー。」
「おー、そっか、、元気になってきたし、そろそろ家に帰る?」
私は、熱も下がったし、体力も回復してきたからか、と思った。
「おっ、やった。うん、帰りたい。」
退院は延期したので、感動は少なかった。

「よし、じゃ、診るから、横になって。」
白衣のポケットから聴診器を出しながら言った。せきもと先生の聴診器は一般的な色のグレーで、白衣はロングコートの丈だった。白衣はそれと別に半袖でお尻までの長さのものもあった。そちらは新人先生が着てることが多かったかもしれない。

いつもと同じ、聴診器を胸に当てた後は首元、脇の下、足の付け根のリンパ腺を確認。

簡単な診察が終わり、
「お母さん、何時頃来る?」
「2時過ぎに来るよ」

そんな会話をして、せきもと先生は部屋から出て行った。

その日のお昼は、エビピラフに鶏肉料理だったかもしれない。
何故かお昼ご飯は豪勢だった。
エビピラフは、治療とタイミングが合う事が多かったので、良い印象は無いが、、、その日は少し食べられた。

面会時間は2時〜4時、2時が過ぎ、数分〜10数分後には、母は来てくれていた。
母が着くと、
「退院だってー」一言、告げた。
「あーそう、先生が来て言ったの?いつ?」
「うん、そう言えば、何日って言ってなかった。で、多分、お母さんが来る時間聞いてたから、もうすぐ、来ると思う。」
「はいはい。お昼ちゃんと食べた?」
母は、毎回ご飯を食べたかチェックをする。
私はこんなに元気なんだから、少しぐらい食べなくても、大丈夫だろうと思うのだが、母は、少しでも食べてほしいのだろう。

色々と話していると
「コンコン!」
あっ、せきもと先生だ!直ぐにわかった。

「あっ、どうもー」
母は会釈をしながら、座っていたパイプ椅子から立った。
「もう、本人から聞きました?」
「はい、退院できるって、、」
「一応、体調も戻って来たので、とりあえず退院と言うことで。」
「ありがとうございます。」

「学校は?」
私が母に間接的に質問した。
「学校は少し我慢して、今度、病院に来てもらって、採血の結果で悪いところなければ、行けるようにしよう。」
まずは家にいる感じかぁ、やっと、クラスのみんなに会えると思ったが、次の機会だなぁ。

「お母さん、向こうで少し良いですか?」
また、先生と母が部屋から出て行った。
何かあると思ったが、毎度のことなので普通にベッドで横になった。

少しすると、母が部屋に入って来た。
「6月25日だって、月曜日。」
「あっ、そうかー、もうすぐだね。」
「で、7月9日に検査に来て、血液検査の結果で学校決めるってー、それまでは家でゆっくりして。」

その日は退院後の事などを話した。
退院、嬉しい思いと寂しい思いが混在していた。