■「思いやり」とわからなくて、拒絶してた | マウントされる女やめる大学

マウントされる女やめる大学

どんなに自己肯定感が低くても
熱量集中心理カウンセラー☆マリチャンヌ学長が
あなたの人生を文明開化!
人生の照明を当ててみせます!

 

「こうあるべきだ、強め」から

「そんな自分をゆるしてお金持ち*」

 

 

優雅な星へ導く

お手伝い心理カウンセラー・

マリチャンヌです。

 

 

 

 

わたしは現在、心理カウンセリングを通して

心のボタンの掛け違いを

ゆるめてほぐし

 

未来を思い出すお手伝いという

お仕事をさせていただいています。

 

 

 

 

してあげたかった気持ち

 

掛け値のないもの

 

 

だからこそ

「なぜ?」と理由を聞かれても

答えようがない思い。

 

 

やさしさは、皆持っている。

ただ、時々うまく伝わらない時もある。

 

 

もしかしたら

近しいひととの間だからこそ

 

見えずらくなるときがあるのかも?

 

 

 

わたしは大昔、

 

頼まれてもいないのに

先回りして誰かのグラス跡の水滴を

さっと拭いて

「ドヤア!」という態度をするひとでした。

 

 

もちろん「気がきくわたし*アピール」です。

 

 

「自分を大事に」を

暮らしのなかでやっていくうち、

ものごとの見え方が大きく変わりました。

 

 

逆に今は、同じようなことを人にされると

やんわりお断りするようになりました。

 

 

境界線を無視して

入って来ないでほしい気持ちと

 

 

それ以上に、その人の自己満足の

道具にされているような気がしたのです。

 

 

 

昔、自分がそんな動機で

ひとに気を配っていたので

 

 

同じようなことをしている人を見ると

歪んだ目で見る癖が

出ていたのかもしれません。

 

 

 

わたしのその態度は、時に

身近な人からの思いやりまで粗末に扱い、

捨てていた可能性もありました。

 

 

 

 

今日は

 

「見えにくかった思いやりの形」

 について書きます。

 

 

よろしければ最後までお付き合いください。

 

 

 

年末年始の帰省中の時のこと。

 

母と二人で

長居しているとだんだんお互い、

日頃の癖が出てくるようです。

 

 

『あなたのためよ!』と世話を焼く母と

 

『頼んでいないことは

お気持ちだけ頂きますから

構ってくれるな~』を連呼するわたし。

 

 

境界線グダグダと、境界線死守の攻防戦です。

 

 

 

神奈川に戻る前日、天気予報は翌日

雨のマーク。

 

 

わたしは荷物を増やしたくないので

要らないレインコートが

ひとつあれば貸してほしいと頼みました。

 

 

 

すると、100均で買ったものが

2個出てきて

どちらもくっちゃくちゃのしわしわ!

 

 

2枚とも、あごあたりに

母のファンデーションがさりげなくついている

何年前のものだかわからないもの。

 

 

エーーーー

ちょっと~~ー・・・・

 

「やっぱりいいや。100均に後で行ってくる」

つい本音が出ました。

 

 

シワが気になるなら伸ばせばいいと

母は、遠目のストーブの熱でレインコートを

伸ばし出しました。

 

 

『なんかもう、いや〜〜』

 

 

 

 

今のわたしは、大事にしたいものだけを

厳選して暮らしているせいか

 

使わないのにもったいないから、と

『ため込むイズム』への違和感と

 

よかれと思って!を

 

・・押し付けられた気がしたのです。

 

 

 

 

無意識は全部表情に出ていたらしく

 

 

「なんだね!その態度は」

 

唐突な声にちょっとひるみました。

 

 

 

母の唇は震えていました。

 

 

 

わたしは、傷つけたんだな・・と、

すぐわかりましたが

 

嫌だと思ったのはホントなので

そのまま知らんぷりしていました。

 

 

 

少し時間が経ち、唐突に

 

「あ!これは違う!」

 

わたしはとんでもない間違いをしていた!

と気づきました。

 

 

名前のわからない感情が湧き上がってきました。

 

 

 

純粋な母性

 

応援。

 

 

今のは、押し付けではなく

暖かい母性、思いやりのほうだったんだ!

 

 

 

 

掛け値のないほうを与えてくれていたのだ・・・・・

 

 

だからわたし、ちゃんといま

それ、伝わっているし。

 

 

 

なんとも言えない気持ちでパンパンになり

涙がつまって声がうまく出ませんでしたが

 

 

ぐ!っと振り絞って、

 

激しく落ち込む背中で

茶碗を洗う母に話しかけました。

 

 

わたし)

「ごめんね。これって、押し付けじゃなくて

親切のほうだった?」

 

 

母)

「そうだよ」

 

 

わたし)

「うん。傷つけたね・・ごめんね

 

カッパ、明日雨が降ったら着るわ。

貸してね」

 

 

落ちきってしょんぼりしていた肩が

やっとあがりました。

 

 

母)

「・・そんなもん返さんでいいけん

着るだわ(着ればいい)」

 

 

「シワシワの少ない、いいやつの方を着ていきなさい」と

 

ストーブからすこし離れた鴨居に

その日は数時間

レインコートはぶら下がっていました。

 

 

 

母自身、家族には、しつけも含め

構ってもらえない子供時代を経て今があると

以前聞いたことがありました。

 

 

『自分がして欲しかったことを

誰かにしてあげたい』

 

確かにそれは一見思いやりのようですが

 

相手を使って自分の夢を叶えたい

というものと同じです。

 

 

時に、それは相手が自分で選んで

自分で転んで学ぶこと、自主性を育むことを

邪魔している側面もあります。

 

 

たしかにあのころ、

母のねばべきのしつけは「個」を許さないものでした。

 

でも母も「個」と尊重されるを経験を

知らなかった人なのです。

 

 

わたしもじぶんの正しさは世界の正しさだと

長く思い込んでいました。

 

 

だからそれが世間に受け入れられないことに対し

ずっと腹を立てたり

逆恨みをしていた時期がありました。

 

 

心理の世界に入り

自分自身の育て直しをすることで

 

自分の都合の悪い面も向き合うようになり

 

 

わたしの根っこには

どんなやり方を使ってでも

意地でも

人にぶらさがって生きようという本音が

あることを知りました。

 

 

いたわること、責めぬことを

ゆっくりやめていくことを

諦めなかったことで

ずいぶん自分を取り戻せました。

 

 

しかし、それも行き過ぎると

いつかの自分を母に見て

排除したい思いが出たのでしょう。

 

 

母の親切=コントロールと決めつけて

裁いて捨ててもいたのです。

 

 

おかあさーーん

 

おかあさーーん・・・

 

 

ごめんねぇーー

ごめん。

 

わたしは、小さい人みたいにこたつにもぐって

声は出さずに泣きました。

 

 

わたしは愛されている子供でした。

 

 

上手な育て方ではなかったけど、

 

愛をモリモリ食べて育ってきた

お母さんじゃなかったけど

 

 

ちゃんと愛は持って生まれてきているひと。

 

 

いつもわたしのために

どんな時間ギリギリのときでも

精一杯ベストをつくしてくれたお母さん。

 

 

頭のなかを

走馬燈がぐるぐる回るなか

 

 

父がいた頃も含め、今までの時間のなかでも

もしかしたら

今日のようなことは

星の数ほどあったかもしれないと思いました。

 

 

自分をいたわることは

相手のいたわりに気づける目が育つことでも

あったのです。

 

 

 

一見越境行為に見えても

そうではないこと「も」ある。

 

 

決めつけず

立ち止まって汲みとれる思いやりが

わたしのなかにも育っていた。

 

 

いろんな遠回りはありましたが

気づけたことは、宝です。

 

 

 

いつかつけてしまったレッテル

解釈の誤解を解く

 

「言葉の手垢をとる」

脳みそ逆回転メールマガジンやっています。

 

 

苦手な気持ちだけど

自分で向き合ってみることで

気がついたこと

 

 

ゆるんでよかったなぁ・・

の話なども書いています。

よかったらご登録くださいね*

 ↓    ↓   ↓

メルマガ登録はこちらへ

(無料)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜