■「普通」の意味が変わると、胸に安心が灯る」 | マウントされる女やめる大学

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どんなに自己肯定感が低くても
熱量集中心理カウンセラー☆マリチャンヌ学長が
あなたの人生を文明開化!
人生の照明を当ててみせます!

 
 
「こうあるべきだ、強め」から
「そんな自分をゆるしてお金持ち*」
 
 
優雅な星へ導く
お手伝い心理カウンセラー
マリチャンヌです。
 
 
 
 

わたしは現在、心理カウンセリングを通して

いつかのボタンのかけ違いを

一緒にほぐしてゆるめてゆるし

 

本来の持ち味を生かして生きるお手伝いという

お仕事をさせていただいています。

 
 
 

お客様のお話を伺っていると

 

・みんなといっしょでいたい

・普通が好き

・ふつうになりたい

・みんなと同じにできない、成れない

 

 

だから、生きづらいとこぼされることがあります。

 
 

不思議なことに、

そう話される方のお顔を見ると

とても自我がしっかりある方が

多いという傾向も共通していました。

 

 

 

素敵だなと思いお伝えすると

「まさか!とんでもない!!」と
返されることがほとんどです。
 
 
その度に、自分もいつか
同じリアクションをしていたなぁ
 
 
もしかしたら他者からは
そんなふうに見えていた可能性もあったのかも・・
と思いました。
 
 
 
そこで今日は
 
「普通」の意味が変わると、胸に安心が灯る」
 
について書いてみようと思います。
 
 
 

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 
 
 
思春期の頃のわたしは
自由で個性的なひとに憧れを抱いていて
 
『B型になりたかった・・・』が口癖でした。
 
 
やっていることは
普通の人と呼ばれる枠内に収まることに命がけ
 
 
他人から自分のやっていることを指摘されたり
あれこれ評価評論されたくないという思いも強く
 
 
「みんな」に受け入れられる範囲内で
自分を出す子供でした。
 
 
 
自分で自分を縛るから
反動で真逆を求めていたのだな・・
と気がついたのは
 
 
時を経てその生き方に限界を感じた
30代半ばからでしょうか?
 
 
・みんなって、なんだろう?
・普通ってなんだ?
 
 
自分の生きづらさは
どうもここら辺りにあるぞ!と
目安はつき
 
 
「愛想笑いはやめる」
「不安から誰かとつるむことはやめる」
など、自分なりにこわごわやっていきました。
 
 
しかしそこから先の決定打に
自力では紐解けず(たどり着けず)
 
 
心理学を学ぶという他力を通して
わたしというひとのパンドラの箱を
開けていくことになりました。
 
 
 
そして
 
 
わたしは普通になりたいを使って
『個性的なわたしは、あんたたちとは違うのよ!』
がやりたかったのでした。
 
 
ここまではなんとか気づけました。
 
 
これだけでも、だいぶ楽にはなりましたが
これは本音のようで本音ではないのです。
 
 
 
 その後本当の望みは
「個性的なわたしを誰かに認めてもらうこと」で
 
『他人に生きる居場所を与えて欲しかった』のほうだったのです。
 
 
 
生きづらさ閉塞感は
それが人間関係にひょこひょこ出てきて
ラットレースになっていたのです。
 
 
ルーツは「おうちルール厳守」から
来ているものですが
 
 
 
「特別扱いされたい」と思う奥で
自分をいたわる気持ちは育ててこなかったのでした。
 
 
 
心細い時
誰でもいいからしがみつきたい思いが出ると
「みんなと一緒」を
探すことに躍起になりすぎて
 
 
いちばん大事な「わたしはどうしたい」
ないがしろにしていました。
 
 
今はできる限りハラの声に寄り添い
愛でる気持ちを大事にしています。
 
 
 
 
 
 
 
回りくどいやり方を選んでしまう理由
 

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