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DrOgriのブログ

おやじが暇にまかせて勝手なことを書くブログです。日々の雑記や感想にすぎません。ちらっとでものぞいてくだされば幸せです。

吉祥寺バロックの閉店まで連続入店を決意。

 

12/29(月)は、その3日目。入店は13時ごろ。16時30分くらいに、いったん退出。知りあったお客さん2人と食事をした後、17時30分くらいに再び入店。


午後にかかっていたのは、シューベルトの「ザ・グレート」。フルトヴェングラー指揮ベルリンフィル。1942年ライブ。迫力の名演です。ただ、けっこうアンサンブルに難があります。フルトヴェングラーの要求するテンポについていけないところが少々あります。でも、弦の音色は素晴らしい。アナログの音質でもわかります。

次は、バッハの管弦楽組曲3番。カール・ミュンヒンガー指揮シュトットガルト室内管弦楽団。


その後に、なぜか「第九」。それもフルトヴェングラー指揮のバイロイト祝祭管弦楽団(1951年ライブ)。言わずと知れた名盤です。ただ、ここでかかったのは、ただの「バイロイト盤」ではありません。提供したお客さんによれば、長きにわたって「バイロイトの第九」と呼ばれていたものは、今やゲネプロに当日の拍手を足した合成版ではないかと疑われています。放送テープから起こしたものが「本物」とする説もあるようです。そして、さらにややこしいことに、「本物」ではない盤にも2種類あって、今回かかったのは、編集が違うとのことで、よりオリジナルな音源に近いそうです。


私もEMIの「バイロイト盤」は持っています。ただ、機器の違いもありますが、弦の聞こえ方が違うような気がしました。中低弦の美しいビブラートが聴きとれました。聴き比べなどできようはずもないので、あくまで印象です。
このあと、そとに行列ができているとのことで、いったん席を譲って店を出ました。


夕方に再入店したときには、アルトゥーロ・ニキシュ指揮(なんと1913年)ベルリンフィルの「運命」がかかっていました、ベルリンフィルの歴史に残る「魔術師」ニキシュ。彼の後任がフルトヴェングラー。「古さを感じないでしょう?」というマダムの言葉どおり、演奏はモダンで(少々テンポが遅いですが)素晴らしいものでした。ただ、録音が録音なので、低音部がほとんど聞こえません。


スカラ座でのカラスとステファノのコンビで「リゴレット」の第一幕がかかったあと、リクエストでバッハの「ゴールドベルク変奏曲」(カール・リヒターのチェンバロ)がかかりました。


午後も満席でしたが、18時を過ぎるころから次第に帰る方が出始めたので、ちょっと調子に乗ってメンゲルベルクの「マタイ」(抜粋版)をリクエストしちゃいました。もう時間ギリギリです。マダムがお客さんたちの意向をきいてくれました。反対がないようでしたので、かかりました。申し訳なかったです。この「祈り」の名演をぜひ聴いて欲しかったので。


定時を過ぎてから、マダムからシュバイツァーと森有正のオルガン演奏を紹介されました。森のものはインタビュー付きでした。亡くなった先代店主によれば、やはりバッハの本質は宗教曲にあるとのことで、かかったのはいわゆる「コラール前奏曲」。森の談話では、器楽曲といえどもバッハの宗教性が底流にあること、人間の「経験」は社会と「正しい」指導者によってこそ成長の因となり得ること、日本人はもっと深く西洋の「経験」に学ぶべきといった内容が聞かれました。


明日は、いよいよ最後の日です。どんな「経験」が待っているか。楽しみです。

 

メンゲルベルク盤「マタイ受難曲」より

ペテロがイエスの予言通り「そんな人は知らない」とイエスとの関係を三度否認した後、自分を責めて泣く場面。

その後に歌われるアルトのアリア。「わが神よ憐みたまえ(Erbarme dich, mein Gott)」

感動的です。

ところどころにすすり泣きとも慟哭とも聞こえる声が入っていることで有名な部分です。

ヴァイオリンのソロが美しい!

 

 

 

「マタイ受難曲」の最後の合唱。

「我らは涙とともにひざまずく(Wir setzen uns mit Traenen nieder)」

かなり遅いテンポですが、切々たる思いが伝わってきます。

 

 

 

シュヴァイツァーのオルガンで、バッハのコラール(衆讃)前奏曲

コラール(会衆による歌)「O Mensch, bewein dein Suende gross(人よ、汝の罪を大いに嘆け)」のための「前奏曲」です。

 

 

アルベルト・シュヴァイツァーはバッハ研究者・奏者として有名です。

その一方、彼は医学を学んでアフリカに行きます。

神学と哲学の著書も多くあります。

90歳で亡くなるまでまさにマルチな活動をつづけた稀有な人です。

彼の思想と行動には、現在様々な評価が出ています。

私も多少思うところがあるのですが、ここでは故中村店主の彼に対する敬意を尊重しましょう。