新宿なう。ゴジラに挨拶してから大久保公園へ。
東京カレー万博2026に行きました。10/7まで。
食券(1枚200円)を入口で買います。ルーとライスは別売りでした。
先ずは、煮豚かつカレー。カツは見た目より分厚くて柔らかく、美味でした。ルーは中辛。
次はけっこう辛口のチキンカレー。チキンは骨付きで、ホロホロと崩れます。美味いです。
食券が半端で、時間差でハイボールを飲んで締めくくり。
大久保公園と大久保病院の近辺と言えば、色々と噂の場所です。今日のこの時間(火曜日の午後6時)には、立っている女性はあまりいません。新宿のこの辺りもすっかり変わってしまいましたが、都市の「影(陰)」は変わりません。
ドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンは、パリの建物と建物の間の「パサージュ(ガラス屋根付き遊歩道)」を論じたなかで、「遊歩者(フラヌール)」について述べています。私のように街をふらふら歩いているのですが、通勤・通学ではなく、決まったあて(買物や観劇や待ち合わせなど)があるわけでもなく、ただぶらぶらしている者のことです。
こういう「暇人」は、独特の精神的な特徴を持っているそうです。つまり、純粋な「観察者」という性格と、知識や経験に「陶酔する者」という特徴です。
「遊歩者」にとって街は寛ぎの場であると同時に「風景」なのです。彼は自在に自分を(精神的に)変装しながら気ままに物を見たり触れたりし、人を観察します。そこには深刻な闘争はありません。ベンヤミンは、「探偵」のようだと述べます。
「実際パリは遊歩者にとって風景となるのだ。・・・遊歩者にとってパリは風景として開かれてくるのだが、また彼を部屋として包み込むのだ。」
「長い時間あてどもなく街を彷徨った者はある陶酔感に襲われる。一歩ごとに、歩くこと自体が大きな力をもち始める。それに対して、立ち並ぶ商店の誘惑、ビストロや笑いかける女たちの誘惑はどんどん小さくなる。次の曲がり角、遥か遠くのこんもりした茂み、ある通りの名前などがもつ磁力がますます抗い難いものとなってゆく。・・・最後にはへとへとに疲れ果てて、自分の部屋に――彼にとってよそよそしいものに感じられ、冷ややかに迎え入れてくれる自分の部屋に――戻り、くずおれるように横になるのだ。 」
都市社会学という分野があります。大抵は、都市の住民コミュニティや町作りなど「真面目」な話なのですが、私のように「シャレ」で街を眺めるちょっと外れた「遊歩者」視点も面白いですよ。
「遊歩者は市場の観察者である。彼の知識は景気予想についての秘密の学問と親密な関係にある。彼は消費者の王国へ派遣された資本家の探偵員である。」
(以上、引用はベンヤミン/今村仁司ほか訳『パサージュ論』3、岩波文庫、M 遊歩者より)
パリのパサージュ(ガラス屋根の遊歩道)






