今日の音楽感傷(875) 第九200年に寄せて | DrOgriのブログ

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今年でベートーヴェンの第九交響曲が初演されて200年になります。

 

1824年5月7日、ウィーンのケルントナートーア劇場でベートーヴェンの他の曲(荘厳ミサ曲の一部など)とともにプロとアマチュアの混成オケによって演奏されました。オケですらそうなので、合唱はアマチュアが主力だったようです。ソリストは完全に準備不足でした。よく知られているように、ベートーヴェンは総合監督ではありましたが、実際の指揮者は別にいました。初演は大成功でした。収入は微々たるものだったようですが。

 

 

 


ドイツの雑誌『Der Spiegel』(Nr. 20, 2024.5.11)に関連の記事を見つけました。Diesen Kuss der ganzen Welt :この接吻を全世界に。「今更?」という感がありましたが、読んでみました。

 

 

 

 

4つの楽章の描写は概ね納得できるものでした。ただ、私が面白いと思い、また共感したのは、この曲は第4楽章だけ聴いてはいけないということ、そして「騒々しい(manisch)」讃歌、「誇張された」歓喜という記者の表現です。


この200年の間、この曲は世界中であらゆる機会に演奏されてきました。ヒトラーの誕生日にも演奏されました。ベルリンの壁が崩壊した時にも演奏されました。いまやこの曲はEUの「国歌」のようなものですし、日本を含む多くの地域では毎年末に決まって演奏されます。日本では1万人の合唱団が歌うコンサートすらあります。共産主義者も民主主義者も同じ歌詞に声を合わせます。スラヴォイ・ジジェクによれば(たぶん皮肉?)オサマ・ビンラディンとジョージ・ブッシュでもデュエットできるそうです。


私などは、第九と言えば耳に聞こえてくるのはあの第四楽章の感動的なメロディ、簡素でありながら心に染みる永遠の名旋律(F♯, F♯, G, A, A, G, F♯, E, D, D, E, F♯, F♯, E, E....)です。しかし、記者はそれより前の3つの楽章を聴いてこその第4楽章だと言います。


冒頭はまるで霧のなかにいるようです。ときおり第一ヴァイオリンがひらめかす稲光以外には混沌しかありません。しかし、すぐに世界は全楽器を使って絶望の咆哮を響かせます。記者は第一楽章を「絶望」と捉えました。記者によれば、第一楽章こそはベートーヴェンそのものです。耳疾に悩み、人間嫌いですぐに怒る彼は、しばしば恋に落ちながらも独身で生涯を終えました。

 

ハイリゲンシュタットの遺書として知られるあの痛ましい手紙が書かれたのは第九初演の20年前のことでした。しかし、この「遺書」では単に痛ましい心情だけが綴られたわけではありません。芸術家としての使命に言及するとともに、再び喜びの日を迎える願いをも漏らしていました。しかし、第九で歌われた「麗しき神々の炎(schoene Goetterfunken)」に至るには苦悩を突き抜けねばなりませんでした(durch Leiden)。

第二楽章は当時の聴衆が予期したような緩徐楽章ではありません。この騒々しいスケルツォは、下降する音形の繰り返しと模倣で始まります。上昇と下降の執拗な繰り返しを記者はパニック発作に準えます。ここでも戦いが続き、希望は見えません。記者は中間のトリオ部分には触れていませんが、この長調のトリオは、安らぎというより歩兵に許された短くて軽い小休止のように聞こえます。


世にも美しい第三楽章は、絶望と戦いの後の入院と鎮静剤です。記者は指揮者のクリスティアン・ティーレマンの言葉を引用します。この楽章はその指揮者の集大成です。なぜなら、大きなことは何もできないのに、この世のものとは思えないような美しさを表現しなければならないからです。ウィーン楽友協会でのティーレマンは、目をつぶったまま最初の木管の指示を出したあと、楽団員をうっとりと見つめる以外ほとんど何もしなかったそうです。


しかし、この黄金色の天国にも憂いの響きが戻ってきます。これで満足? いや、まだ何かある・・・


巨大な不協和音によって目を覚まさせられた聴衆は、レシタティーヴォの語りにを挟んで初めの絶望と苦悩を思い出します。第三楽章の天国すら否定され、ついに喜びそのものを歌う時がきます。


記者によれば、ベートーヴェンが「作り出した」歓喜は、過剰で病的ですらあります。「楽章全体が喜びを爆発させながら時速180キロで壁に向かって疾走する。」ベートーヴェンがかつて(あの遺書で)望んだ純粋な「歓喜」を、彼自らが創造したのです。


記者は、「だからこそ」と強調します。よく言われるような「群衆」の「兄弟愛」や団結の誓いといったものには、この喜びはほとんど無縁です。「私たちは、とても達成できそうもないことを重病人が達成したこと」を目の当たりにします。最も不利な状況で人間ができることの幅を広げてみせてくれました。たとえ、それが過剰で騒々しい躁状態であったとしても。


記者は強調します。2024年の今こそ、この曲は聴かれねばならない−−苦悩を突き抜けて歓喜へ。

そして、絶望を乗り越えて自由へ!

高校時代に聴いてから忘れられない演奏

ブルーノ・ワルター指揮のニューヨークフィル。

47分目くらいから始まるヴァイオリンの「歓喜のテーマ」が美しい


 

ベートーヴェン関連の過去記事です。

読み歩き、食べ歩き、ひとり歩き(1075) ベートーヴェンの秘密