読み歩き、食べ歩き、一人歩き(974) DrOgri酒仙化計画(3)―酒仙とは | DrOgriのブログ

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小澤酒造の酒蔵や澤乃井園で飲みすぎた私は、ちょっと危なっかしいと思いましたが、酔い覚ましに多摩川を渡りました。

青梅・澤井の澤乃井園から多摩川を渡った向こう岸に、奥多摩(大日本)寒山寺があります。

寒山寺といえば、中国の江蘇省蘇州市にある古刹ですが、日本のここ青梅にも寒山寺の名を持つ山寺があります。

 

 

 

昼頃に聞えた鐘の音は、たぶんこれ。

 

 

足元が不安でしたが、登ってみました。

 

 

 

 

裏にまわってもいい風情ですね。

 

階段の下には(たぶん)寒山拾得の図が。

 

 

このお寺は無住持のようですが、大切にされている感じがします。

敷地は小澤酒造のものだったようです。

 

 

 

こちらの寒山寺は、中国江蘇省の寒山寺から贈られた仏像が安置されています。

中国の寒山寺は臨済宗の古刹です。

淵源は6世紀にまで遡りますが、寒山寺の名称は唐代7世紀の伝説の禅僧・寒山の故事に由来します。

ただ、寒山寺という呼び名それ自体は比較的後代のもののようです。

 

この中国の寒山寺に日本の書家・田口米舫氏が訪問し、主僧の祖信師から日本にも寒山寺を開基するよう釈迦仏の木造を託されました。明治18年のことです。

田口氏が日本の各地を巡ってたどり着いたのが、青梅の澤井でした。小澤酒造の当主・小澤太平氏の協力を得て昭和5年に落成しました。

 

数年に一度、本家・寒山寺の僧侶が訪問しているようですね。

受け入れる宗教法人が存在するのでしょうか?

宗派は、臨済宗?

いや、そもそも「宗派」という発想がないのかもしれません。

名称の由来となった寒山師も、彼と昵懇の拾得師も、天台山・国清寺の僧でした。

天台山の「三聖」と言う場合は、彼ら二人に「師匠」にあたる豊干師を加えます。

 

上野若元の筆になる『豊干寒山拾得図』

左から、寒山師、豊干師、拾得師。

 

拾得師は国清寺の賄係でした。名前の由来は豊干師に「拾われた」からと言われています。

寒山師の呼び名も「寒厳」という地名に由来します。

豊干もまた奇行の僧として知られ、虎に乗った姿で描かれることが多いです。

寒山師は、身なりは貧しく、拾得から寺の余り物を得て糊口をしのいでいたのですが、漢詩をよくし「寒山子集」として伝えられています。

 

 

寒山と拾得はコンビで描かれることが多く、ともに奇行の師です。

一日中他人が聞いても意味が分からない清談にふけり、他の僧が来ても呵々大笑して隠れてしまいます。

 

森鷗外も、『寒山拾得』という小説を書いています。

青空文庫の『寒山拾得』(森鷗外)

 

豊干師に重い頭痛を治してもらった高級官僚・閭丘胤(りょきょういん)は、天台山・国清寺に拾得師と寒山師を訪ねます。豊干師は、「拾得は普賢、寒山は文殊」と言ったからです。果たして寺を訪ねると、拾得は厨房の下働き、寒山は洞窟に住む非僧非俗の隠者。閭があいさつすると、二人は大笑いして逃げ去ります。「豊干がしゃべったな」と言い残して。彼らは本当に菩薩だったのかもしれません。(『寒山拾得』)

 

沢井の駅にも寒山寺の屋根が。

 

 

しゅ-せん【酒仙】
俗事を離れ、心から酒を楽しむ人。転じて、大酒家・酒豪にもいう。
(広辞苑より)

 

寒山師や拾得師が酒ぐれていたとは聞きませんし、彼らのようには脱俗できませんが、歳も歳なので青梅の酒仙でも目指しましょうかね。

 

酒仙といえば、白居易(楽天)でしょう。

少時猶不憂生計(若いころより暮らしなど気にしなかった)
老後誰能惜酒銭(老いてからは誰が酒の銭など惜しむものか)
共把十千沽一斗(友といっしょに金を使って一斗酒を買った)
相看七十欠三年(互いに七十に三歳足りない)

 

 

横山華山『寒山拾得図』