読み歩き、食べ歩き、一人歩き(533) 究極の選択 | DrOgriのブログ

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おやじが暇にまかせて勝手なことを書くブログです。日々の雑記や感想にすぎません。ちらっとでものぞいてくだされば幸せです。

まだ「梅雨明け」とは言えない?
曇り空の東京からいわきへ。
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いわきに着いたら、良い天気。

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山から前日の雨水が。

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幸い、風が涼しいです。
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今日は、お弁当を作っていきました。
けっこう楽しいですよ。

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気が付くと、あちこちに合歓の花が。
ここは学生さんの駐車場。

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休日出勤なので、いつもと交通機関の時間が違います。
乗り遅れたので、駅ビルの定食屋さんで夕食。
これで440円也。


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小中高生たちは夏休みなんですね。
常磐道のSAで「水戸」?ゆるきゃら。
黄門様ですかね。


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出店もありました。

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今日の授業は「フェミニズム」について。
・・・まずは、大昔とは違って、feministが「女性に優しい男」という意味ではないことに注意しましょう・・・って、むしろ、そっちの方が「死語」か。

 話は、フェミニズムの前史から。
フランス革命、ウーマンりブ、「ジェンダー」、「シャドーワーク」、そして、ボーボワール。

『人権宣言』は「男の権利宣言」にすぎない?
実際、フランスでの女性参政権は遅かったです。
人間主義で有名なさる大学で昔、この話をしたところ、えらく驚かれた経験があります。
(女性の権利宣言を書いたオランプ・ド・グージュの話はし忘れました。来週にまわしましょう。)

 イヴァン・イリイチのジェンダーとシャドーワークの話に続いて、ボーボワールの『第二の性』について。
ボーボワールの説明は、自分でも難しくなってしまったようで、いま反省中。

実存主義の旗手ジャン=ポール・サルトルの「パートナー」だったボーボワールは、思想の上でもサルトルと共有する部分が多いです。
それで、まずはサルトルの実存主義の説明から入ってしまいました。
・・・「実存は本質に先立つ」
人間は「未来に賭ける」ことでしか生きらえない。
「人間は人間の未来である」
ただし、「自由」は楽なことではない。
「人間は自由という刑罰に服している」「自由に呪われている」・・・
「選択」し、自分の状況を引き受けることこそが、人間のあり方である。・・・

ただ、ボーボワールはサルトルが「性」について語らないことを問題視しました。
・・・「ひとは女に生まれるのではない。女になるのだ。」
『第二の性』で最も有名なフレーズです。
女も男も、その「性」は「本質」などではない。それは「作られて」いる。
女が「第二の性」つまり男の「影」になっているのは、男が作り出した構造によるのだ。

女性解放とは、女が男になることではなく、自分の選択を自分ですることなのです。
「自分を選び取る」こと・・・それは「女は本来こうなのだから、そうしておけばいい」(本質主義)とは対極にある態度です。

してみると、男/女も「選択」なのでしょうか。
今や、そういう時代なのかもしれませんね。
究極の個人主義・個人化の世界。

でも、それって、きつくないですかね。
私のような「女々しい」(この表現自体が差別的?)オヤジも、それを選択してることになるのかな。
・・・うーん、どうも私自身の「自分主義」に引き寄せすぎましたか。

来週までに深めてみましょう。


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