読み歩き、食べ歩き、一人歩き(207) 吉田秀和さん追悼 | DrOgriのブログ

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おやじが暇にまかせて勝手なことを書くブログです。日々の雑記や感想にすぎません。ちらっとでものぞいてくだされば幸せです。

音楽評論家の吉田秀和さんが亡くなりました。98歳でした。

吉田秀和さん(1913-2012)は、東京日本橋の医師の家に5人兄弟の末っ子として生まれました。幼少のころから学生時代にかけて、彼の周りには優れた文人が集まっていました。伊藤整、小林多喜二、中原中也、小林秀雄、大岡昇平・・・。

成城高校の英語科(後にドイツ語科に移動)を経て東京大学の仏文科に入学。
内務省を経て文部省に入局。
しかし、自分のやりたい仕事・書きたい文章を求めて官庁を辞職。
女性雑誌の別冊付録に書いたのが評論のデビューでした。
吉田さんは、音楽教育にも大変な業績を残しました。
「子供のための音楽教室」を主宰し、これが後に桐朋学園へと発展します。
この教室から小澤政爾さんや中村紘子さんらが出ています。
吉田さんは、90歳を超えてもなお、新聞と雑誌の連載などで現役で活躍しました。
1982年に紫綬褒章、1996年に文化功労者、2006年に文化勲章をそれぞれ受章しました。

私が若いころに「音楽評論」だと思っていたものと吉田さんの書いていらっしゃるものとは結構違っています。
中学・高校時代の私にとって、音楽に関する評論は、「演奏評価」でした。
「あの指揮者の解釈は・・・・」とか、「あのピアニストの演奏の出来は・・・・」とかいったものです。
生意気だった私は「上手か下手か」に興味があったのです。
ただ、「上手い」というのは、ミスしないとか「スーパーテク」とかいうことだけではありません。
それは、強烈な個性があるかどうかも含まれてます。

クリスチャン・フェラスよりも、ミスはあっても音は粗くても、ヨーゼフ・シゲッティの方が好きでした。
(すみません、あまりに古いヴァイオリニストのネタでした。)
ヘルベルト・フォン・カラヤンよりもヴィルヘルム・フルトヴェングラーが好きでした。

それはともかく、吉田さんの評論は違っていました。
大学時代に、彼の文章に出会って衝撃を受けました。

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文芸評論家による音楽評論は、小林秀雄さんが知られていましたし、私も高校時代に読みました(というか、読まされました)。
「確かに、モオツアルトのかなしさは疾走する。涙は追ひつけない。」(小林秀雄『モオツアルト』)
見事です。脱帽です。
でも、これは「音楽」ではない・・・そんな風に思ってました。傲慢でしたね、結構。

それに対して、吉田さんの評論は、楽譜を引用しつつ、即物的にまで音楽を直に論じます。
音楽そのものに対する造詣の深さに基づいて、彼は音楽を「分析的に」論じます。
そこが、おそらくは小林秀雄流の「文芸評論的音楽評論」とは違っています。

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吉田さんは、NHK教育放送のETV特集でこう語っていました。
「小林さんの文章は飛躍に満ちている。・・・・<カデンツァ>がない。」

「カデンツァ」(終止法)・・・I-IV-V-Iの和声進行のような「秩序」がないということかもしれません。
吉田さんは音楽には音楽の「論理」があると言いたかったのでしょう。

吉田さんは、演奏の現場には直接かかわっていません。
その点では指揮者でもあった宇野功芳さんとは違います。
しかし、吉田さんは音楽学者でもありません。
音楽の「生理」にも吉田さんは目を向けます。
彼はしばしば美しい比喩表現によって名曲を讃えます。
モーツァルトの最後のピアノ協奏曲(B Dur, K.595)を、「手段の簡潔と心情の純潔とが相寄った結果が、絶対の孤独を表現してしまった奇跡の作品」と言います。(『モーツァルトをきく』ちくま文庫)
批判するときも容赦ない比喩を使います。
来日したウラジミール・ホロヴィッツを「ひびの入った骨董品」に見立てたことは今や伝説になっています。

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吉田さんの本では、音楽を言葉で表現する限界に挑んでいるかのような、「渾身の表現」とでもいうような文章によく出会います。
晩年に至っても、文章の生命力はまったく衰えませんでした。見事です。

吉田さんは、音楽評論にとどまらず、私が文章家として尊敬する一人です。
ご冥福をお祈りします。

吉田さんのデビュー作『主題と変奏』

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最も愛読したのは『私の好きな曲』

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吉田さんの「ライバル」?
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