息子にしてみればいろいろ欠点は見えますが、両親も私は尊敬しています。
共通点がひとつあります。
それは「陰口」を言わないことです。
その先生は、学問的意見はおっしゃったけれど、我々学生の前で同僚の人格を批判したことはありません。
母親は子供の前で隣人の批判も父親の不満も言ったことはありません。
父親もそうです。
夫婦喧嘩もありませんでした。
少なくとも、私の記憶にはありません。
しかし、この私はどうだろう・・・
個人の批判をその人がいないところでしていないだろうか。
「陰口」の定義が必要ですね。
本人がいないところで(陰で)個人名をあげて欠点や失敗をあげつらうこと、とでもしておきましょうか。
一種の「欠席裁判」ですね。
2チャンネルやツィッターでもあるようですね。でも、不特定多数に配信すれば「名誉毀損」になる可能性があります。「陰」ではなくなります。
公にされた意見や仕事についての批判はどうでしょうか。
例えば、ここのようなブログ、それから著書や雑誌記事の類。
難しいですね。
自分への批判的なコメントは聴きたくないのが人情だとすると、本人の耳に入らない陰口の方が<まし>なんて考え方も?。
それに、他人の「悪口」は快感になります。
職場の上司や先輩、近所の気取った奥様、タカビな芸能人・・・
悪口に同意したほうが仲良くなれる? 「陰口コミュニティ」?
ストレス解消にもなります。
でも、陰口は、話している自分と聞かされている他人の両方の精神を「汚染する」のではないでしょうか。
聞きたくない陰口にはどうしたら?
Aさんの悪口を言っているBさん・・・
Aさんの欠点を言うのでなく、むしろBさんを褒めるようにする。
または、自虐で逃げる。
「Aは仕事が遅くてさ。」「Bさんの優しいフォローはありがたいですね。」
「Aの遅い仕事ぶりをどう思うよ。」「私もとろいので気づきませんでした。」
めんどくさいですね。
陰口は、聞かされている人にとって、むしろ迷惑だという面があります。
私個人は、批判するなら本人に直接言うべきだと思います。
私は、なるべくそうしてきました。
嫌われますけどね。
だから、むしろ、「毒舌」に憧れます。
毒舌は悪口ではありません。
そこには愛情と親しみがあります。
しかし、いやそれゆえにこそ、毒舌は難しいです。
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毒舌は、かならずさりげない「フォロー」が入っています。
相手に「自分のことをよく知ってくれている」と思わせなければ、単なる「冗談めかした悪口」に過ぎません。
持ち上げたり、落としたり、かなり頭と神経を使います。
私に足りなかったのは、こういう配慮なのかもしれません。
要反省(^-^;)
