クララ・シューマンとクララ・ハスキル。
二人ともピアニストです。
不思議なめぐり合わせで、クララ・シューマンが亡くなる1年前にクララ・ハスキルが生まれています。
クララ・シューマン(1819-1896)

(ウィキペディアより)
シューマンの妻クララは旧姓クララ・ヨゼフィーネ・ヴィーク。
ライプツィヒで生まれました。
父親のもとで5歳でピアノを習い始め、7歳のとき初めて人前でピアノを弾きました。
12歳のときにゲーテの前でピアノを弾き、絶賛されます。
父親に反対されながらも、熱烈な恋愛の末、20歳でローベルト・シューマンと結婚しました。
し かし、クララが34歳のとき、夫シューマンがライン川で投身自殺をはかり、命はとりとめたものの精神病院に収収されます。その後、面会すらできなくなります。2年後、シューマンは死去。
36歳のクララは生計のためコンサート・ピアニストとして活動を再開します。
クララを精神的に助けたのが、かつてシューマ ンの見いだした青年ブラームスでした。
クララとブラームスとは14歳の年齢差がありました。
ブラームスもクララも、その後は独身のままでした。
次々と子供たちに先立たれるという不幸がありましたが、クララはシューマンの作品を校訂し出版する仕事を続け、59歳からフランクフルト音楽院の教授も務めました。
クララは優れたピアニストでしたが、作曲した作品も多くあり、最近発掘されつつあります。
http://clara-schumann.net/
クララとシューマンとブラームスを三角関係として描いたDVD。
ちょっと、イメージが・・・壊れるかも・・・
もう一人のクララ。
クララ・ハスキル(1895-1960)

クララ・ハスキルは、ルーマニアで生まれました。
ルーマニア女王の奨学金を得て、ウィーンでピアノとヴァイオリンを学びます。
その後パリに行き、わずか15歳でパリ音楽院を卒業しました。
第二次大戦前はフランスを中心に活躍しますが、彼女がユダヤ系だったこともあり、ナチスがパリを占領してからはスイスに拠点を移します。
クララ・ハスキルの生涯は病気との戦いでした。
脳腫瘍と脊髄湾曲症という重篤な病を乗り越え、それに耐えて歴史に残る演奏をレコードに残しました。
その演奏は演奏者の病弱さを微塵も感じさせない強靱な個性を持っています。
同じピアノのはずなのに、ハスキルの演奏は他のピアニストと音色が違うのです。
どうしてなのか私にはわかりません。
もしかしたら、ハスキルがヴァイオリンの名手でもあったことが関係しているかもしれません。
ハスキルのモーツァルトは素晴らしいです。
クラシックの名曲喫茶でモーツァルトを聴くときは必ず彼女のものをリクエストします。
私が彼女の演奏で一番好きなモーツァルトの20番の協奏曲(D Moll)。
ユーチューブで見つかりました。
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モーツァルトのヴァイオリンソナタは、他の追随を許しません。
- モーツァルト : ヴァイオリン・ソナタ 第34番 変ロ長調 K.378/グリュミオー(アルテュール) ハスキル(クララ)

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2人とも、そのクララ(Clara)という名前にふさわしく、輝くような才能に恵まれています。
しかし、それは苦難という闇があったがゆえの輝きでした。

