読み歩き、食べ歩き、一人歩き(84) 非常勤講師物語(5) | DrOgriのブログ

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おやじが暇にまかせて勝手なことを書くブログです。日々の雑記や感想にすぎません。ちらっとでものぞいてくだされば幸せです。

最近、少々個人的に納得のいかないことがあったので、「虎の尾」でも踏みましょうか。

団塊の世代と言われる一連のコーホートが大学教員を定年退職する時期が近づいています。

しかし、後に続く世代の「専任予備軍」のみなさんも楽観はできません。
この先生たちが厚遇を貪ってきた時代は遠く過ぎ去りつつあります。

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不況と少子化とグローバル化が、大学を変えつつあります。
もちろん、かつてとは違って大学卒(学士)なんてエリートでも何でもないのですが、それは大学教師にも言えます。

大学によって、また学部によってCultureが違うでしょうが、就職予備校に近づいているケースも見られます。

新人や新設講座の人事では、これまで定番だった学閥、学位、業績に加えて、講義の技術や教育歴も重視されるようです。

近年、あちこちでやられている「講義に対する学生アンケート」「教員自己評価」などの「結果」を参考資料として応募時に提出することも結構あるようですね。大学側もそれを求めたりします。
また、書類選考によって絞った候補者に「模擬授業」をさせ、最終選考とすることも増えています。

応募者が数十人、下手をすれば100人を超えるなかで一人に絞るのですから、完全公募(やらせなし)はまさに「狭き門」です。

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それでも、教員の公募を一切せず、関係者の推薦(要するにコネ)だけで採用している大学も少なくありません。

もちろん、公募とコネとは、互いに一長一短があります。
公募は、広く人材を探せるし客観的な評価がしやすいでしょうが、手間がかかるし人柄や人間関係まではわからない。
一方のコネはその裏返しで、人柄と人間関係は関係者さんが保証してくれるでしょうが、能力その他の客観評価はしにくいかもしれません。選択肢も狭くなります。

私個人の意見では、完全公募が妥当だと思います。少なくとも、学部の主要メンバーはそうするべきです。私大でありがちな同窓生のコネ採用もなくすべきです。

ただ、そのためには、オープンで公平な、全国共通の基準なり資格制度なりが必要になります。
「大学教授資格」の類ですね。
原則、博士の学位か「単著」くらいは最低条件になるでしょう。

形だけ公募しても、結局コネのある候補が勝つんだろうという見方もあります。
しかし、少なくとも書類や議事録などの公的な記録は残ります。
そうそうみっともないことはできなくなります。
例えば、「こいつだけは採るな」といった学内外の「影の拒否権者」の命令が出しにくくなるでしょう。
ユダヤ人哲学者ジンメルに対してW・D教授がしたようなやつです。

自治を守るというのなら、教授の一定定員に限ってその大学の独自採用を許可すればいいのでは。
例えば、宗教系の大学で、神学や宗学や教学を担当する教師は独自採用がふさわしいでしょう。
ただ、大学の自治という美名に隠れた「公私混同」をさせないようにしないと。

最近は非常勤講師も公募する大学がチラホラ出てきています。
公募制は趨勢になりつつあるのではないでしょうか。

まあ、この「非常勤講師物語」なんてのは、物語がそもそもそうであるように、所詮は主観的なものです。
私怨・私憤の類が底にあることを否定しません。
いや、それがあるからこそ、ファイトが湧くのです。

最近の嫌なことはここで書けませんが、かなり以前、ある先輩助教授(当時)から私の非常勤講師先を後輩に一つ譲るよう頼まれたことがあります。その時は断りましたが、後日別の専門学校の半期のコマを譲りました。セコい話です。後輩にとっては、あまり有難くなかったかもしれません。

それはともかく、その時心中で「お前の助教授の椅子を譲ってやれよ」と叫んでいました。
(このおっさん、ダメモトのつもりかもしれないが、それを俺に言うのかよ。おらあ生活できなくなるぜ。知ってるはずだろ、無神経な。)
その先生は明らかにコネ採用でした。


大げさかもしれませんが、おそらく、一生忘れない思い出でしょうね。
もちろん、その時「俺に譲れよ」とも叫んでましたよ、心のなかでね。

私の場合、人徳がないのか、能力がないのか、それともその両方なのか、これまで誰も専任には推薦してくれてません。(たぶんそう。コネ採用の場合、実質部分は密室なのでわからない。)

公募がいいなんて今言ったばかりですが、自分が採用されれば何でもよくなっちゃのかも。
無神経な先輩を責めるほど、人格者ではない私・・・。

社会学は、本音の学問です。
そして、反省の学問でもあります。


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