瑛九展は、うらわ美術館でも開かれています。
こん回の展覧会では、彼の文筆家の面もとりあげられています。
瑛九は、本名を杉田秀夫といい、1911年に宮崎で眼科医の次男として生まれました。
十代ですでに美術評論を雑誌に投稿して、かなり早熟な少年だったようです。
わずか13歳で書いた「山の中の豪傑」は、見事な文章でした。
「木こりもこないような山の中に、一人の少年がすんでゐました。…」
『金の船』1924年7月号。
瑛九という名は、1936年にフォトデッサンのデビューのころから使い始めたようです。
浦和には1951から亡くなる1960年までいたとのことです。
本当に多才かつ独創的な人で、評論、油彩、フォトアート、リトグラフ、一時は日本画風の作品もあります。
戦前は印象派からキュビズムまで幅広く影響を受けました。
戦後は抽象の度合いを深めて、晩年は点描の抽象画に向かいました。
40代で惜しくも亡くなります。
ところで、浦和という街は、喫茶店の多いところです。
浦和の駅の周りはちょっとゴミゴミしているようですが、
探すと意外に古くて渋い「銀座風」のカフェがあります。
美術館と須原屋書店の並びにあったカフェ(2階)でスコーンを食べました。
瑛九は言います。
「レアリズムは藝術する精神としては唯一の方法であるが、藝術を形成する形式としては断じて存在せず。」
???…
Realismという芸術形態はありえない?
確かに、彼は抽象画が多いのですが、若いときは油彩の風景画も描いています。
でも、彼の描くものは常に現実の向こう(sur-realisme)なのでしょうね。
瑛九は、戦前から自由な芸術集団をいくつも組織し、地域の子供たちにも積極的に交わって教えていました。
ジャンルも、技法も、時代も越えて行こうとしたのでしょうか。
難しいことはいいか・・・。
まあ、とりあえず、腹ごしらえっと。
いかん。翻訳したはずが、内容覚えてない(^-^;)]
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