ながら勉強(13) 自由と正義 | DrOgriのブログ

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格差論と正義論は密接な関係にあるはずです。

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「格差」という言葉が頻繁に使われています。
でも、社会学ではこれまで、たとえば「不平等」という言葉も使ってきたはずです。

犯罪社会学は、「犯罪」を「逸脱」という広い現象に位置づけることで独特の貢献をしました。
今言われている「格差」は主に「経済的格差」です。
格差の社会学(というものがあればですが)は、「不平等」という広い現象に格差を位置づけるべきではないでしょうか。当該の不平等がどの部分の不平等で、それは「妥当」なのか「不当」なのか。
「格差」は「正義」にもとるのかどうか。

自由主義の経済学でも、格差(経済的な不平等)と「正義」ないし「公正」の問題とを関連させています。

八代
尚宏さんは、経済学者の視点から、ロールズの「公正」としての正義を紹介しています。
八代さんの観点は、2つ。
格差が縮まればいいのか?
 日本では、平等が第一に大切とされてきた。
経済発展は必要ないのか?

下のグラフは、八代さんの描いたイメージです。一部ブログの筆者
(Drogri)が勝手に補っています。
上の青い線が高所得層、下の赤い線が低所得層。
所得の時間的な変化パタン(t1-t12)を示しています。

八代尚宏『新自由主義の復権-日本経済はなぜ停滞しているのか』(中公新書 2123)、2011年(32-35頁、「コラム 四大思想家を読み直す①ジョン・ロールズ」より。この図は、ブログの筆者が、エクセルで勝手に数字をでっち上げてつくりました。すみません。)

ここでの望ましさの順位は、A<B<C

格差が縮まっても、経済が縮小してはいけません。
パタンCが政治的には望ましいとしても、自由主義としてはパタンBだって悪くはない。
ただ、パタンAは愚かな選択だということになります。
全体が貧しくなれば、結局は低所得層にとっても不利になるからです。

八代さんは、ロールズの「公正」ルール(「最も不利な立場の人々の生活を改善する」という原則)を紹介しているのですが、「格差」そのものはそうしたルールにおいても否定されないと言います。

「とにかくみんな同じがいい」という無条件の平等は、自由主義では真の「正義」ではないことになります。

ただ、これは経済学から見た抽象的で定量的な「平等」「不平等」の話です。
感情や価値観の問題はここからは見えてきません。
一元化された「平等/不平等」尺度は、私のような「自由」愛好家には違和感があります。

他人とどこか違う尺度や価値観を求める自由もあっていいかなと思うのです。
まあ、ひねくれてるのかな。