読み歩き、食べ歩き、一人歩き(62) 清水幾太郎の文体 | DrOgriのブログ

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おやじが暇にまかせて勝手なことを書くブログです。日々の雑記や感想にすぎません。ちらっとでものぞいてくだされば幸せです。

風邪気味だけど、浦和に行きました。

涼しくなってきたので、コロラドでクラムチャウダーとトースト。

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わが人生の断片 (上) (文春文庫 (398‐1))/清水 幾太郎

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社会学者の自伝というのは珍しいようです。清水幾太郎の『わが人生の断片』のような名作は特に稀少です。彼の自伝は、戦前から戦後にかけて、特に60年安保周辺の事情と人間(知識人)群像を活写した名作として知られています。

今回は、この長大な自伝の内容ではなく、彼の「名文」について。

私の文章作法 (中公文庫)/清水 幾太郎
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清水幾太郎(1907-1988)は、東京生まれの社会学者です。
東京大学を卒業後、副手(当時)を経てしばらくフリーのジャーナリストをした後、読売新聞の論説委員を務めました。その後ほどなくして陸軍に徴用され、報道班員として戦地に向かいます。

記者生活が長かったせいか、彼は名文家として有名です。さらには、時代や社会状況に対するその鋭敏な感覚(まさに「嗅覚」)は見事です。

ただ、そのぶん、変わり身の速さも指摘されています。戦後の政治や社会の風向きに合わせて、意見を大きく(時には180度)変えてきたのではないかとも評されてきました。


戦後は、学習院大学教授として、日本の民主化をリードする知識人として活躍します。ただ、晩年近くには、日本の核武装を提案するなど、その政治姿勢が変化したとも見られています。

私の大学院時代の師、樺俊雄先生は、彼のことを「利に敏い合理主義者」と呼んでいました。

それはともかく、彼の文体が私は好きです。

「当時も、現在も、私は経験というものを信じている。経験というのは、人間と周囲の事物との関係、、それを人間の側から捕えたものであり、思想とか科学とか呼ばれるものは、畢竟、これを客観化し、拡大し、組織したものにほかならないし、人間の成長ということも、やはり、同じプロセスである。そう考えて来た(『わが人生の断片』上巻、23-24頁)。」

「完璧」な文章とはいえないでしょう。推敲の余地があると思います。センテンスも長いですから、短く切ってもいいとは思います。ただ、私はこの文の「息継ぎ」が好きです。朗読しやすいのです。

「どちらかの味方をしたら、最後に損をするのは私に決まっている。それほどの計算があったわけではないが、私は、終始、「理解者」のような顔をしていた
(『わが人生の断片』上巻、44頁)。」

若いときの彼の性格をよく表している部分です。ここは、戦地で一緒になった高見順と豊田三郎との「三角関係」を述べた部分です。清水は三木清やその他の人々に対しても、中立な理解者として振る舞っています。ただ、それを「正当化」せずに、自分の利益だと告白しています。

ここでも、「息継ぎ」があります。少し多めの読点にポイントがありそうです。

清水幾太郎の文章は、私の「生理」に合っているのかもしれません。

清水は、文章を書く上での「コツ」を多く書き残しています。

1)自分の好きなスタイルの持主の真似をしよう。
2)ただし、新聞の真似はいけない。どこからも苦情の出ないような文章だから。
3)「思った通りに書きなさい」はスローガンにすぎない。
4)良い言葉をいかに書くかではなく、悪い言葉をいかにして避けるかが、良い文章を書く上では一番大事。
5)
空疎な内容を、美文調や氣取りで飾りたてない事。

「模倣しなければ文章を書けるやうにはならないが、そのうち模倣が嫌で嫌で堪らなくなる」と述べています。絵画や音楽と同じ原理かもしれませんね。


彼の自伝を読んで、自分の文章にどことなく似ているなあと思っていました。もちろん、こんな名文なぞ書けません。では、何が似ているだろう・・・。それが、「息継ぎ」だったわけです。

オーギュスト・コント―社会学とは何か (1978年) (岩波新書)/清水 幾太郎

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「清水社会学」を理解する鍵は、オーギュスト・コントにある?
もちろん、ゲオルク・ジンメルの影響も大きいでしょうが。
社会学の「始祖」コントも、かなり面白い人物です。


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