南浦和で冷製パスタとホッとコーヒー。

ニーチェとフルトヴェングラー?
彼らに直接の関係があるかどうか知りません。そもそも、時代がちがうし。
ただ、ワーグナーをはさんだ形では関係があるかもしれません。
(『音と言葉』の「リヒャルト・ワーグナーの場合」)
国分寺駅近くの喫茶店アミーで、コーヒーゼリー。引越して以来、3年ぶりかな。

リヒャルト・ワーグナーは旧来の「歌劇」を超えた「楽劇」という作品分野を構築しました。舞台の上で文学と音楽と演戯(舞踊)と美術を総合しようとしました。
若きニーチェはワーグナーの「楽劇」に強く傾倒しますが、後に完全に決別します。それ以後、厳しくワーグナーを批判するようになります。私の読んだ限りでは、ワーグナーがキリスト教道徳に回帰してしまったことが主な原因のようです。
フルトヴェングラーは音楽家としてワーグナーを擁護します。彼はワーグナーの宗教性にあまり関心があったようには思えません。むしろ民族性(ドイツ的性格)や官能性を音楽から聞き取っているように思います。
ニーチェもフルトヴェングラーも敬愛する私は、ちょっと困惑した気分になります。しかし、私ごときはともかく、そもそも独立した偉大な精神世界を持っている人どうしでは、「敬愛」や「尊敬」と言ってもそんなに単純ではありません。
自分とは違う面、自分には受け入れられない面すらもまっすぐ見据えることで、それぞれが真に高まることができます。本当に相手を尊敬するならば、自分を偽ってはいけないはずです。ニーチェは、自分とワーグナーの関係が、真の「友」となるためにあえて批判したとも述べています。
ニーチェの「星の友情」という詩にこうあります。
「僕らは僕らの星の友情を信じようよ。たとえ、地上では敵どうしになるしかないにしてもね。(『喜ばしき知識』、第4部、箴言279番)
ただ、ワーグナーの評価については、私はワーグナーの「音楽」を強調したフルトヴェングラーに賛成します。晩年のワーグナーの「台本」にキリスト教(例えば、「贖罪」のテーマ)を見ることはできるかもしれません。でも、その音楽は変わらず官能的な妖しさを持っています。『パルジファル』ですらそうです。
私にとってワーグナーの最高傑作は(『ニーベルンゲンの指輪』ではなく)『トリスタンとイゾルデ』です。
手違いから愛の秘薬によって「憎い敵」トリスタンを愛したイゾルデ。
同じく愛の秘薬によって主君マルケ王の妻イゾルデを愛したトリスタン。
2人の破滅を見守るマルケ王。
トリスタンはマルケ王の家臣に殺され、イゾルデはトリスタンをたたえながら息絶えます。
愛は死によって完結します。なんと不道徳な内容でしょう。
これこそ、ワーグナーの本質では?
いわゆる「トリスタン和声」とうねるような旋律こそ、ワーグナー音楽の魅力の中心です。
個人的かつ勝手な感想ですけど。
終幕でイゾルデの歌う「愛の死」(Liebestod)は、最高です。
歌抜きのインストルメント版もよく演奏されます。
秋の夜長、ワーグナー独特の世界を体験してみては?
(さすがに長い曲ですけど)
「敬愛する」という意味の" verehren"は美しい言葉です(他の意味は独和辞典をご参照あれ)。