別れの時 | driveroneのブログ

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別れの時

今年6月1日に新たな双子の相棒となった松葉杖。
8月に医院を変えた関係で2代目になっていたが、12月25日を以って遂にお別れした。

ほぼ半年間は夜も横に並んで寝ていたくらい肌身離さずという状態だったので、回復が順調という証でありながら、不思議と寂しさを感じたのも事実である。

12月の上旬には使うのを止めて、外を歩く時に装具だけは着けるという状況だったが、年末休みに入ってからは装具も着けない状態で歩くようにしている。

断裂したアキレス腱は充分繋がり、今はその間に固定していたことですっかり柔軟性を失い、筋力も衰えてしまった右脚のリハビリを進めている。

装具などが外れたことで一見普通に歩けているように見えるが、しゃがむことができない、踏ん張れないので急に止まったり方向転換しようとしたときにバランスが取れない等、見た目の派手さが無くなった程には完治はしていない。地面を蹴る力も弱いので通常の7割くらいの速度でしか歩けないし、当然走ることや跳ねることは不可。翌日には登山後かと思うような筋肉痛。歩き続ける耐久性にも不安はある。

「おめでとう」と多くの方に声をかけて頂けて嬉しいけれど、マラソンでいうと35km地点くらいというところだろうか、まだ油断できない距離が残っている(←マラソン走ったことはないのであくまで想像)

ところでこの7カ月に及んでいる怪我生活で学んだことのいくつかを、現時点で振り返ってみる。


①片脚生活のキツさ

怪我した脚に全く体重がかけられない序盤は、一見して大変そうだが、見た目以上に更にきつい。両脚あれば1日に数十km歩くことも可能だが、片脚ではせいぜい数百mで立ち止まってしまう。また電車で立つことになると細かい揺れを片脚だけで耐え続けなければならない。そのキツさは1駅区間片足立ちをしてもらえれば充分わかると思う。

算数の世界では「1+1=2」だが、脚に関して言えば2ではなく数百になるだろう。1ではなく2であることの意義というのは相当に大きい。(もしかしたら1人で生きていくこともこれと同じ原理でキツいことなのだろうか…)

②怪我をカバーする者への配慮

アキレス腱を断裂した右脚はギプスや装具で固定していたので、大変多くの方から心配して頂いたが、固定している間はもはやそれ以上できることはなくて、寧ろ気を遣う必要があったのはこれを庇って普段以上の体重を支え続けていた左脚であった。左脚が痛んできたり、疲れたり、瞬間に強く体重が乗ってこちらも断裂したりしやしないかと。

これは自分の身体だから実感できたが、会社組織等でも誰かの穴を埋めて支えている人に想いが至らなければ全体が瓦解してしまうのだなという学びを得た気がする。


③ほんの少しの傾斜も厳しい

松葉杖を両腕で抱えて歩いている場合、左右の高さがほんの少し異なるだけで低い側に体重が乗ってしまい余計な負担がかかる。また黄色い点字ブロック上に杖を突くこともスリップ等のリスクが高くて怖かった。雨の日は尚更。

歩道を歩く時、向こうから両側松葉杖の人がきたら、傾斜がない側・点字ブロックが無い側を是非譲ってあげてほしい。

④席を譲る人

電車で優先席の前に立っても必ずしも全員が譲ってくれるものではない。また譲ってくれる人かどうかは年齢・性別・立場等は全く関係ない。若くて恰好が派手でも譲ってくれる人はいるし、一見知性ありそうに見える中高年でも譲らない人は多い。
譲ってくれる際の最も多いのは、座っていた人が降りた後に「座らないでくれる」というパターンだった。既に座っているところからわざわざ声をかけるのがハードルが高いということなのだろう。

だからこそ、積極的に席を譲るために声をかけてくれた方には「大丈夫ですよ」と断ることはせず「ありがとうございます」としっかり伝えて譲って頂いた。

⑤積極的にサポートしてくれる人々
この7ヶ月の間には仕事は勿論、買い物をしたり、バンド練やライブまでやってきた。会社の昼食時には注文弁当を置き場からテーブルに運んでもらったり(両手松葉杖では手荷物ができない)、バンド練時には楽器や譜面台を運んでもらったり。
それまで言ってきたよりも多くの回数、ありがとう、ありがとうございますと言ってきた気がする。

まだ完治はしていないが、そうしたサポートまではいらなくなってきた新年は、多くの方々への恩返しから始まる。