おやおや、黒いジェッペルに口ひげ…これは北野元大先生じゃないですか!

実は1978年に引退したものの、1987年にグループAでレイトンハウス・スカイライン(DR30)に乗り復帰。翌1988年にはホシノインパルからカルソニックスカイラインGTS-Rに乗り和田孝夫選手と戦いました。
もう既にかっこいい。

北野さんといえば黒いジェッペルをかぶり、ストレートでは小首をかしげたようなドライビングスタイルが特徴でした。

そもそも2輪出身なのですがマン島TTレースで飛び石が目に当たり、手術をしたものの視神経が当時の医療技術では「上手いことつながらなかった」そうで、さっきの画像のように首を傾けるとピントが合うのでそうしていたようです。
そしてツーリングカーならまだしも、R382のようなオープントップの車でもジェットヘルメットだったのは「少しでも軽いヘルメットで首への負担を減らしたかった」ということなんです。

そういえば高橋国光選手はフォーミュラやGCではフルフェイスをかぶってましたが、ツーリングカーやCカーではジェッペルでしたね。こちらの理由は定かではないですが、軽さが理由のひとつではありそうですね。
こちらは1976年、210サニーエクセレントで高橋国光選手とともに耐久レースを戦ったとき。
窓を拭いているのが北野選手ですよね。

L18をベースにした2リッターNAエンジンを載せたマシンで、参戦はこの時のみのテスト参戦でした。
北野選手の復帰にも驚きましたが、和田孝夫選手がブリヂストンタイヤを使ってるのも結構レアなケースですよね。

星野一義選手とは翌1989年からコンビを組むのですが、「日産ワークスの大先輩と新人」だった間柄はこの1年のみならず、2000年代に入ってからもスーパーGTのホシノインパルのピットへ北野選手が顔を出しているあたり、愛弟子の頑張っている姿を見に行かれているようですね。
さて、そんな北野 元選手。
引退後に始めた2輪専門のタイヤショップ「ウルフ」の経営者なんです。

お客さんには「タイヤの馴らし(皮むき)が終わるまではペースを上げるなよ。決して無茶なスピードで走っちゃダメだぞ!」と諭しているそう。限界付近でずっと走ってきただけに、とても説得力がありますね。
こういう感じは、峠で撮影中に走り屋を見つけた時の土屋圭市さんにも似てますね。
北野 元選手に関してはレーシングオン・アーカイブス「古の日本グランプリ」特集号が詳しく書いてありますが…新品はもう電子書籍のみかも?

もちろん日本グランプリ特集号なので、グループAがどうとかいう話は出て来ませんよ。