舘信吾。
彼の名前を覚えている人も少なくなってきたんでしょうか。もう、あれから23年ですからね。

その名前から薄々気づくでしょうけど、彼の父親はトムス創設者であり会長の舘信秀さん。

父・信秀氏がおそらく「引き留めた」であろう、レーシングドライバーへの道へ。
順調にステップアップし、1997年のGTオールスター戦でGTデビュー。翌98年から「つちやMR2」に親子ほど年の離れた師匠・鈴木恵一選手と組み、6戦中5勝(こぼしたのはピーキーな雨でのもてぎ戦、インプレッサに負けただけ)という圧倒的な強さをみせたんです。

トムスからF3にも挑戦してましたね。

そして、いよいよ「機は熟した!」とGT500へステップアップ。野田英樹選手とのコンビで戦うはずでした。

そんなシーズン直前、3月11日にTIサーキット英田(現・岡山国際サーキット)でのテスト中にクラッシュ、舘信吾選手は「チェッカーフラッグの向こう側」へと駆け抜けていってしまいました。

享年21。
そのレーシングドライバーらしからぬ爽やかな笑顔をもつ、二世ドライバーのあまりにも早すぎる旅立ちに日本中が涙したのでした。

信吾選手が抜けた穴には元二輪ワールドチャンピオンであるワイン・ガードナー選手が入り、チームは粛々と選手権を戦っていましたね。
そして、公私ともに「師匠役」であったスズケイこと鈴木恵一選手はこの事故にひどく心を痛め、引退を決意するのでした。

舘信秀氏と同じ時代を戦ってきたスズケイさんでしたから、信吾選手は息子のようにみえていたのかもしれませんね。
21歳、親御さんにとっては「まだまだかわいい盛り」ですからね。それを失うことのつらさ…。

そして、GT300時代の恩師・土屋春雄氏が去年鬼籍に入られたんですよね。

さぞかし「おい信吾!お前が出迎えてるって、順番が逆だろ!お前はもっと後から来るもんだろ。バカヤロ!…まあ、ともかく久しぶりだな。」って、頭をはたかれてそうですね。
「86、乗りたかったなあ…。」「シートはいつでも用意してたのに、お前が勝手に「あっち側」に行っちまうからだろ!」って言いながら、ふたり仲良くこの本でも読んでいるんでしょうか。

生きていれば、今年の9月で45歳。
トムスでGRスープラに乗っていたかな?いや、その前にF1に乗っていたかもな?なんて思うような、そんな将来有望な若者でした。
