こんにちは。
観測者Kです。
友達はいました。
一緒に遊ぶ人もいた。
話せる人もいた。
相談できる人もいた。
だから、
孤独ではないと思っていました。
でも、
どこか違いました。
なぜなら、
帰る場所がなかったからです。
学校でもそうでした。
仲の良い友達はいる。
話しかければ返事もある。
一緒に笑うこともある。
でも、
心のどこかで思っていました。
「ここが自分の場所なのだろうか」
そんな感覚です。
社会人になってからも変わりませんでした。
職場にも知り合いはいる。
普通に会話もする。
問題なく過ごしている。
それなのに、
仕事が終わると妙な空虚感が残る。
人に囲まれていたはずなのに、
なぜか一人のような感覚になる。
私は長い間、
友達が増えれば解決すると思っていました。
もっと人と関わればいい。
もっと交流すればいい。
もっと積極的になればいい。
そう考えていました。
でも、
違いました。
人が増えても、
帰属感は増えなかった。
むしろ、
人が増えるほど孤独を感じることさえありました。
考えてみると、
友達と居場所は違うのかもしれません。
友達はいる。
でも、
安心して存在できる場所ではない。
会話はできる。
でも、
そのままの自分でいていい感覚がない。
だから疲れる。
だから孤独になる。
そんなことが起きるのかもしれません。
私は昔、
居場所というものは自然にできると思っていました。
学校へ行けばできる。
会社へ入ればできる。
コミュニティへ入ればできる。
そう思っていました。
でも現実は違いました。
所属と帰属は別でした。
所属はできる。
名前もある。
席もある。
役割もある。
でも、
心が帰属しているとは限らない。
ここが難しいところです。
だから、
どれだけ人に囲まれていても、
帰る場所がない感覚が消えないことがある。
そして、
それは意外と多くの人が抱えている感覚なのかもしれません。
私自身、
今でも完全な答えは持っていません。
ただ一つ思うのは、
帰る場所とは、
人の数で決まるものではないということです。
そこにいても大丈夫。
無理に合わせなくても大丈夫。
頑張って演じなくても大丈夫。
そう思える場所。
それが帰る場所なのかもしれません。
もしあなたも、
友達はいるのに孤独なら。
人間関係はあるのに帰る場所がないなら。
それは贅沢な悩みではありません。
わがままでもありません。
人との繋がりと、
心の帰属は別物だからです。
そして、
その感覚を抱えながら生きている人は、
思っているよりずっと多いのかもしれません。
静かな生存インフラ通信
どこにも定着できなかった。
輪の中にいるのに孤独だった。
そんな感覚を抱えながら生きてきた人へ。
静かな生存インフラ通信では、
帰属不能な人が壊れずに存在する方法を、地下通信として記録しています。
無理に変わらなくていい。
無理に馴染まなくていい。
それでも生きていくための観測記録です。
▶︎ 静かな生存インフラ通信