こんにちは。
観測者Kです。
昔から、
輪の中心にいるタイプではありませんでした。
かといって、
完全に一人でもありませんでした。
いつも少し離れた場所にいる。
そんな感じでした。
学校でもそうでした。
教室の中にいる。
友達もいる。
会話もする。
でも、
気づくと周囲を見ている。
誰が仲良いのか。
誰が無理して笑っているのか。
誰が本当は疲れているのか。
そんなことばかり見ていました。
当時は、
それが普通だと思っていました。
でも、
どうやら違ったようです。
多くの人は、
もっと自然に輪の中へ入っていく。
その場を楽しむ。
会話に集中する。
私はなぜか、
いつも少し引いて見ていた。
社会人になっても同じでした。
会議中もそう。
飲み会でもそう。
SNSでもそう。
参加しているのに、
どこか観察している。
人の反応を見る。
空気の流れを見る。
場の構造を見る。
そして気づく。
また私は見ている側にいる。
私は長い間、
これを欠点だと思っていました。
もっと積極的になれないのか。
もっと輪の中へ入れないのか。
もっと自然に馴染めないのか。
そう考えていました。
でも、
ある時から少し考え方が変わりました。
もしかすると、
私は輪に入れなかったのではなく、
輪の外からしか見えないものを見ていたのかもしれない。
例えば人間関係。
多くの人は会話を見ています。
でも観察者は、
関係性を見る。
言葉ではなく空気を見る。
発言ではなく違和感を見る。
だから疲れる。
だから孤独になる。
でも同時に、
気づくことも増える。
考えてみると、
どこにも定着できなかった人ほど、
観察者になりやすいのかもしれません。
輪の中心ではなく、
少し外側にいたから。
完全には馴染めなかったから。
だから自然と、
見る側になった。
私は最近、
観察者であることを否定しなくなりました。
もちろん、
時々孤独です。
時々寂しいです。
でも、
この位置だから見える景色もある。
輪の中にいる人には見えないもの。
社会の違和感。
人の疲労。
言葉にならない孤独。
そういうものが見える。
だから私は今日も、
観察を続けています。
もしあなたも、
昔から少し外側だったなら。
気づくと周囲を見ているなら。
輪の中にいても観察してしまうなら。
それは欠陥ではないのかもしれません。
ただ、
観察者という立場にいただけなのかもしれません。
そしてその立場には、
その立場にしか見えない景色があるのだと思います。
静かな生存インフラ通信
どこにも定着できなかった。
輪の中にいるのに孤独だった。
そんな感覚を抱えながら生きてきた人へ。
静かな生存インフラ通信では、
帰属不能な人が壊れずに存在する方法を、地下通信として記録しています。
無理に変わらなくていい。
無理に馴染まなくていい。
それでも生きていくための観測記録です。
▶︎ 静かな生存インフラ通信