ローリング・ストーンズ、評論家のお仕事 | 新時代思考記

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令和の時代も考え続けます!

ローリング・ストーンズ「LIVE LICKS」(2004年)という2枚組CDである。全世界で300万人を動員した「LICKSツアー」の模様が聴ける。

当時、相次いで採用されていたコピーコントロールCDである。パソコンなどで複製、録音が出来ない。

このCCCDは通常盤と比べて音質が劣ると言われていたが、実際どうなのか、私には分からなかった。気にもしたことがなかった。気が付かないのであればきっと、そこまでは変わらないのだろう。多分。

殆どが在り来たりの曲で構成されている。その為、新鮮味こそないが、私はそれでもストーンズが偶に聴きたい。ライヴ模様が違うならば、全部でも所持したいし聴いてみたい、と思う性質である。

 

 

昨今の日本の政治家は駄目だが、それに取り巻く日本の評論家と言われる人たちも、ほぼ同じような存在ではないだろうか。

彼ら評論家とは、政治と庶民の中央の間に立って、庶民の意識を巧く政治に信仰させ、取り込むように仕向けているというポジションにある気がする。

そんなことは絶対にしない高尚な評論家も中には居らっしゃるのだろうが、テレビや新聞、雑誌、書籍などで特に目立っている人気評論家の多くは偽物である。

 

彼らは、その圧倒的な知識で以て、それだけでまず庶民を黙らせ、権威を振り翳し、エネルギーと思考を取り込んでゆく。

その手段は枚挙に暇がなく、ありとあらゆる言葉と思想、考え方を使ってくる。

 

実は彼らは優秀な人間なんかではなく、真の意味での大した考えは持っていない。寧ろ、悪い方向へと庶民を率先して誘導している。

知識や考え方が豊富で、尚且つ取り込み方が馴れていて巧妙である。巧妙ゆえ庶民が気付かないだけだ。

 

本当に彼らの主張が正しければ、我々庶民はとっくの昔から暮らしが豊かとなっているはずである。

しかし、我々は豊かとは程遠く、富豪との格差は拡がるだけで、未だに何もといっていいほど解決されていない気がする。

評論家は政治とセットとなって言論活動を行なう。

恐らく、政治に忖度し、庶民を騙し苦しめるのが多くの評論家という仕事になるのではないか。