5月14日(火)
第4,286話
こんばんは
今日も素敵な1日を過ごされましたか?
まずは1杯、今日の疲れを癒してくださいませ
15年だけの幻
僕が生まれる5年前
今から52年前の1972年9月9日
鹿児島県の東側の半島
大隅半島を周る鉄道路線
「国鉄大隅線」98.3kmが全通しました
人口の少ない地域を
ゆっくりと走るローカル線
さらに
この地域の中心地である鹿児島方面へは
垂水から中心街へ直行する航路が
ありました
そのため
開通から12年目の1984年
収支状況の悪化から廃止が決定
開通からわずか15年
1987年3月14日に廃線となりました
悲願だった鉄道が
全通する頃には
車社会が普通となっていた
さらに
県の中心へ向かうには
船便が早くて安い
そもそも
鉄道の開通も
大隅半島南部の町々から
鹿児島港への水運・舟運があった
垂水や古江への連絡を考えてのこと
今から考えても
廃止やむなしだったなと
他の廃止路線と比べても
思ってしまいます
ただ、純粋に鉄道を愛する身として
そして、小学生の頃から
全線完乗を夢見た身として
乗れないままに
廃線になったのは
残念でなりません
今回の旅で
ずっと一緒だった
明典さんに無理を言って
廃線跡の中心
鹿屋駅跡にある鉄道記念館に
連れて行ってもらいました
鹿屋駅跡にあるとはいえ
当時の建物ではなく
どれくらいのものが
そこにあるのか
全くの不明でしたが
いい意味で期待を裏切ってくれた
素晴らしい記念館でした
屋外展示のメインは
キハ20系気動車
屋根が掛けてあり
大切にされているとはいえ
やはり塗装がだいぶ傷んでいました
しれっと
サボが差し込んでありましたが
盗難とか大丈夫なのでしょうか?
車内にも入れます
当時のままの車内は
痛みが進んでいましたが
あの当時の雰囲気はそのままで
JNRロゴの灰皿を見つけて
テンションマックスになりました
灰皿の左上
U字の金物がありますが
なんだかわかりますか?
これ、栓抜きなんです
昭和37年誕生のキハ20系
時代を感じますね
旧国鉄時代の車両
その解説を僕から聞く明典さん
申し訳ない
僕の趣味に付き合っていただいて
感謝です
車内には
少しだけ本棚があり
自宅本棚にもある本が
置いてありました
先日、明典さんと訪問した
志免炭鉱の記事を見つけ
この笑顔
最高でした
このブログにつながる記事が
まさにこれだったんです
全部繋がっています
明典さんが
通学に使っていた路線の記事を見つけ
古い写真を見ながら
懐かしい思い出を話してくれる時間
1冊の本が2人を繋いでいく
素敵なことですね
この真剣な眼差し
僕は心から嬉しかったです
貴重な資料が
驚くほどある記念館
所々、手作り感があって
きっと嘱託勤務である
管理人の方が
とても素敵な方で
よき時間を過ごしました
明治5年
新橋〜横浜で開業した鉄道
僕は
JR全線20,000kmと
第3セクター鉄道を全て
乗りましたが
今、鉄道を初め
インフラというインフラは
過渡期を迎えています
過去の役割を終えたものが
たくさんあります
例えばこの記念館
今の状態をいつまで維持していくのか
人が作ったものに
永遠は存在しません
記念館にも
役割を終えるものが出てきても
仕方ないと思っています
37年前に役割を終えた鉄道
あと30年もすれば
鹿屋市で大隈線に乗った人も
ほとんどいなくなるでしょう
残して欲しい気持ちが
ない訳ではないけれど
記憶ですら消え去っていく
人間という生き物と
ここを維持するのにも
無料ではない事実を目の当たりにして
色々と考えさせられる時間でも
ありました
幻ではなく
現実だった時間が15年
あれから37年
列車が走った期間の
2倍以上が記念館としての軌跡
姿を変え続けるのが宇宙
新しいものを創造し続けるのも宇宙
僕らが
これからどうして行くのか
大好きな鉄道という
ひとつの視点から
「これから」を考える
よき時間となりました
連れてきてくださった明典さん
本当にありがとうございました