キーワードを入力すれば

グーグル先生が答えを示してくれる

便利な時代になりました。

 

 

 

なぜなに君を自称するくらい

調べることが大好きな僕ですが

自分の症状を調べることは皆無でした。

 

 

 

2月23日が発症ですから

その辺りでグーグル先生に

教えを請うことができたはずです。

 

 

 

もちろん、自分の脳の血管が切れている。

なんて思いもしませんから、調べない。

 

 

 

まさか自分が・・・

自分はそんなの・・・

 

 

 

強烈な思い込みでしょう。

でも、普段からしていることです。

 

 

 

無意識レベルで

当たり前化しています。

 

 

 

例えばコロナウイルスにしても

中国で患者が増えてる!くらいの時は

まさか自分に危機が迫るなんて

考えていないんですよね。

 

 

 

店頭からマスクが消えて

咳払いするだけで犯罪者のように

見られるようになって、やばいかも。

やっと思えるようになりました。

 

 

 

自分に何となくの安心感があるうちは

行動に移さないようにプログラムされている。

自分の危機管理の甘さがわかります。

 

 

 

僕の場合・・・

心に余裕がないと

真実を受け止めることができない。

 

 

 

それも事実だと思います。

 

 

 

生粋の怖がりで

生粋の寂しがりです。

 

 

 

6歳で親父が失踪した後

お兄ちゃんやから・・・

あんたがお父さんの代わりやで

この家では一番年長者の男やねんから。

こんな風に母から言われて育ちました。

 

 

 

6歳児が

委任状持って自転車で市役所に手続きに行く。

 

 

 

孤独で、怖くて、逃げ出したくて

でも、やり切るしかそこには答えはなくて。

 

 

 

6歳の時の

怖さ、寂しさ、孤独感を全部心の奥底に隠して

 

 

 

いつも明るくて

笑っている自分を創り上げてきました。

 

 

 

13歳の時にいじめで引きこもってからは

人が自分をどう見ているかを真っ先に考え

その人にとって都合のいい自分を演じ切る。

 

 

 

そんな特殊能力を手にしました。

自分を変化させることも自由だし

感情を殺すことも簡単にできました。

 

 

 

平気な顔。得意でした。

自分に慣れすぎて、もうそれが当たり前でした。

 

 

 

 

2月23日も朝起きたら治るさ。

くらいに思っていました。

 

 

 

俺は大丈夫。

俺は強い。

俺は自分で何とかできる。

 

 

 

そう思っていました。

まさか、でしたし。

 

 

 

症状を調べることもなく

日にち薬やと思って日々を過ごし

 

 

 

日常を重ねていきました。

 

 

 

2月24日こそ、脱力感に襲われ

なにもすることができませんでしたが

 

 

 

2月25日、26日は、仕事もしっかりしました。

2月27日、28日は、ゴルフもしました。

夜は会食でした。いたって元気に振舞いました。

 

 

 

27日、車に乗った時、違和感を感じました。

見え方と聴こえ方でした。

27日、ゴルフボールとの距離感がおかしかった。

地球を耕し続けました。

 

 

 

それでも自分で調べることも

病院に行くこともしませんでした。

 

 

 

なぜか。

自分は大丈夫。

このまま治る。

信じて疑わなかったから。

 

 

 

27日にあまりの違和感で

お世話になっている整骨院に

ゴルフ後に行きました。

 

 

 

その先生の問診に答えた症状。

それが僕の命を救いました。

 

 

 

27日の夜、施術でマシになり

会食も楽しく、素敵な夜を過ごしました。

 

 

 

28日は、ゴルフと会食。

こちらも治ると信じているので

ゴルフ後に洗車までして過ごしました。

 

 

 

29日、再診で接骨院を訪れ

先生がおかしい、絶対におかしいから!と

僕がついて行くから病院に行こう。

そう言われて断ることもできず

呼ばれた救急車に乗り、緊急搬送されました。

 

 

 

結果、脳出血が見つかりました。

切れてから1週間経過していました。

 

 

 

振り返れば24日、月曜日。

頭痛がひどくなりました。

市販の薬で治しました。

 

 

 

 

 

 

そうやって1週間過ごし

緊急入院、絶対安静の日々。

 

 

 

なにが起こったのか?

自分の命と急に向き合うことになりました。

 

 

 

 

治ると信じていたものは一瞬で消えました。

 

 

 

安心は不安に。

余裕は危機に。

 

 

 

病室のベッドの上で

点滴を見つめながら

 

 

 

俺、どうなるんやろう。

俺、戻れるんのかなぁ。

 

 

 

それしか考えない時間。

22時、消灯と同時に

強烈に襲う恐怖感、孤独感。

追い討ちをかける有りえないくらいの寂しさ。

 

 

 

天井の照明をじっと見ていた3月1日深夜。

幼馴染からLINEがきました。

 

 

 

こうじくんBDで久々に連絡したから、太一くんのブログを、、って思って今見たらさ。
大丈夫?!時間も時間やしと思ったんだけど連絡せずにいれないゎ。寝てたらごめんね。

近くに住んでるんやから。
男女関係なくすぐ飛んでいけるの、幼なじみの特権やで。

頭、CT撮ろ。
症状がちょっと心配よ。
私、付いていくから。

気分少しいい時で構わないから連絡してね。

 

 

 

涙が流れました。

 

 

 

悔しい、情けない。

情けない、悔しい。

激しい感情がマグマのように湧いてくる。

 

 

 

 

その感情を”なお”の優しさが包む。

 

 

 

それを理解してやっと

マグマを冷やす強烈なありがとうが

一気に湧いてくる。

 

 

 

また違う涙が流れました。

 

 

 

あの夜から2週間経った今朝

”脳出血後遺症”とグーグル先生に聞きました。

 

 

 

 

脳は場所によりさまざまな役割を担っています。どの場所で、どれくらいの量の出血が起こるかによって、症状はもちろん、後遺症も違ってきます。

 

 例えば、脳出血で一番多い「被殻出血」の場合ですと、右脳に出血が起きた場合は左半身、左脳に出血が起きた場合は右半身の「片麻痺」が起きる可能性があります。また、片麻痺を起こした場合は、同じ側に「感覚障がい」を起こす場合が多くなります。手足が痺れたり、物に触っても感覚がなかったり、温度を感じなくなるなど感覚が鈍感になったりすることがあります。

 それ以外にも、脳出血の後遺症として「構音障がい」が多く見られます。大脳皮質の下で出血が起きる「皮質下出血」では、言葉や文字の理解ができなくなる場合があり、喋れない、文字が書けないなど、意思の疎通が難しくなることがあります。

 脳出血の場合、脳の神経細胞の大部分が集まっている「小脳」や、生命活動の維持を担う脳幹部の「橋」の血管が破れると、命にかかわります。救命されたとしても、「四肢の麻痺」や「意識障がい」など重篤な後遺症が残ることが多くなっています。

 さらに、大脳皮質など脳細胞の物理的な損傷により、高次脳機能障がいが引き起こされ、脳の機能が低下して、さまざまな神経や心理学的な障がいが残ることがあります。

 

 

 

(左から2番目が、なお、その横が僕、右は弟のコージ)
 
 
 
 
やっと・・・です。
自分が自分のことを調べました。
 
 
 
今日で3週間。
心に余裕ができてきました。
 
 
 
紹介状を持って行ったクリニックの先生と
そこの理学療法士さんの指導に従う安心感も
非常に大きいですが
 
 
 
忙しい中を
駆けつけてくれたたくさんの方々の優しさ。
献身的にサポートしてくれる取締役。
 
 
 
毎日途切れることのない
誰かからの応援メッセージ。
 
 
 
その一つ一つが
僕を復活の道へ誘ってくれています。
 
 
 
向き合って、受け入れて
今を認めてないと進めない。
 
 
 
独立起業のずっと前から
尾崎先生や村上先生に
言われ続けていたこと。
 
 
 
それが生死を考えさせらるようになって
やっと、腑に落とすことができました。
 
 
 
頭で理解していても
自分のものとなっていないかったですね。
 
 
 
 
幼少期のトラウマの解放。
それと共に現れる弱い自分。
 
 
 
それとも向き合い、受け入れ、認める。
それができて初めて、復活の第一歩。
 
 
 
やっとわかった。
やっと直視できた。
やっと進み出した。
 
 
 
やっと3週間。
 
 
 
6歳のトラウマは
36年ぶりに解放されました。
やっと、、、です。
 
 
 
少しずつ、でも確実に歩んでいます。
 
 
 
自分が幸せと認識したらそれは幸せだし、不幸と認識したら不幸。
すべてを決めているのは自分の脳だったんです。村上貴仁。
 
 
 
(貴さん、やっと腑に落ちました)
 
 
 
 
 
 
 
(ねえやん、、、やっとです)
 
 
 
ところで・・・
グーグル先生、彼らは今、元気にしていますか?
 
 
 
 
 
 
ライバルは意外なところに現れる。。。ですね。
 
 

 

 

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横浜から駆けつけてくれたのは

清水さんでした。本当にありがとう。