シリアルアントレプレナー 「3度目の起業」と「初めての子育て」 -4ページ目

「忙し過ぎる時」の処方箋。

先々週末と先週の月曜日は、妻が学会出張で留守。子供2人の面倒を看るのでヘトヘト。

そのまま火曜日は「大阪出張」で、大阪市が運営する「Osaka Innovation Hub」というインキュベーション施設のオープニングイベント。

Telepathy One を開発中の井口さんが「本邦初公開!」で、実機を持ってきてくれて、参加者の中から抽選で10名の方に Telepathy One の体験をプレゼント!

その日の最終で東京に帰り、翌日は、ベンチャーキャピタリストが個人投資家や機関投資家等に市場動向や自社の戦略をプレゼンする「VCLP」なるセミナーで講演。

水木金は、アポのラッシュで時間が取られ、メールをチェックする時間もない。

そうこうしているうちに、日頃、泊まりがけの出張などなく、慣れないスケジュールで疲れたのだろう、土曜日は、妻がダウン・・・。

さすがに僕も、平常心を保つのが難しくなる。

でも、焦っても急いでも、状況が改善するわけではない。

そう言えば、NHK教育テレビの子供向けの番組で、こんな歌がある。

「走っても歩いても、地球のスピードは同じです。焦ってものんびりでも、ちゃんと明日は来るんです。急ぐ時ほど口笛吹こう。悲しい時ほどにっこり笑顔。幸せはいつも後ろから追いついてくるよ。
だからここらでそよ風を。青空を。ちょっと深呼吸」。


こうしてブログを書くことも、心の整理になり、「前向きな諦め」の境地になる・・・。

さて、ひとつひとつ、仕事を片付けよう!!

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「本番」はすでに始まっている。

長男の保育園友達のお母さんから誘われ、お気軽に始めたヒップホップだったが、本格的な発表会(公演)に「出演」することになった。

わざわざ「出演」と書いたのは、出演者として、パンフレットに顔写真と一緒に小学2年生の長男の名前が掲載されるからである。

そもそもは大人の人達がメインの発表会で、子供のクラスは彼らだけ。

練習も本格的で、ゴールデンウィークは、すべてリハーサル。

僕自身、子供の付き添いでリハーサルに来て初めて、その本格さを知り、驚いた。

振付けの先生、演出を担当される方などなど、さながらミュージカルの舞台裏を見に来たような感じである。

出演される方々はセミプロなのだろうか?普通の会社員とは思えないオーラがある。

みんな、真剣そのものであり、ダンスが好きだということが、見ている方にビシビシと伝わってくる。

現在、2度目の通しリハの最中だが、本番よりも、この瞬間にこそ、意味があるように思う。

結果がすべてというが、むしろ「プロセス」にこそ意味があるし、プロセスを「共有」することに「価値」があるのだろう。

僕らが実施しているシリコンバレーでのピッチコンテストでも、一緒に行ったメンバーの中に必ず、「同窓」意識のようなものが生まれている。

iPhoneからの投稿

大阪のアイデンティティを「再構築」する。

今年のGWは毎日、長男のヒップホップ発表会のリハーサルがあり、スタジオまでの送迎の「付き人」と化している。

皆さんは、どんな連休をお過ごしだろうか?

ところで、最近はエスカレーターに乗った際、無意識に「右側」に立とうとすることが多くなった。

昨年10月からほぼ毎週、大阪出張に行くようになった影響だ。

そう。大阪では、東京と異なり、エスカレーターでは右側に立つ。

「文化」というものは「社会構造や経済」に「大きな影響」を与える(そもそもの関係は逆なのだろう)ことを踏まえれば、大阪はもっと「東京から自由になる」べきである。

古くは大前研一氏が、最近は橋下市長(大阪市)も主張されているように、中央集権を改め、道州制を敷き、地方分権を進め、各地域の特徴を活かすべきだ

申し上げるまでもないが、その際に必要不可欠なのは「財源」であり、税制改革と併せて、産業構造の再構築が必要である。

大阪市から委託され、昨年から僕たちが取り組んでいるプロジェクトは、昭和の高度成長期の遺産から脱却できず、かれこれ20年にも渡って続いている大阪経済の「地盤沈下」を食い止め、東京に依存しない、大阪独自の経済基盤を「再構築」するという、気の遠くなるような仕事である。

そのためには、大阪という都市の「アイデンティティの再構築」が必要不可欠だと考えている。

実際には、様々な政策や施策を積み重ねていくプロセスの中で、結果として「新しい大阪のアイデンティティ」が醸成されていくのであり、現時点で決められるものではないが、大阪らしさというものは必ずあるはずだ。

ところで、4/26(金)、大阪 Grand Front なる街区が開業した。

その中に、Knowledge Capital というエリアがあり、僕たちSunBridge Global Ventures の大阪インキュベーション・オフィスも、その中に引っ越した。

地元に固執することなく、国内外から「異端児(異能の持ち主)」を呼び込み、彼らの才能を存分に発揮してもらうための支援をし、起業やイノベーションが生まれるためのエコシステムを創造したいと思っている。

言うほど簡単なことではないことは重々承知しているが、数年後、「あいつら、なかなかやるじゃん!」と言われるような仕事をしたい。

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「仕事の成功」と「家族の幸せ」。

3月最後の日曜日。今日は長男のヒップホップのリハーサルがあり、西早稲田の会場まで送って行った。

その後、妻と1歳2か月の次男と僕とで、いつものスーパーに来たのだが、その途中ギャンギャン泣き騒いでいた次男は、スーパーの駐車場に着くと、眠ってしまった。

昨日で満50歳。僕が子供の頃と比べて、今の50歳は格段に若いが、やはり、その数字の意味は大きい。

ここ10年、誕生日のプレゼントなどくれたことの無かった妻も、さすがに考えたのだろう。想定外にもプレゼントをくれた。

30代までの僕は典型的な「Live to work」で、仕事での成功が僕の人生の95%だったが、子供できてから、僕は大きく変わった。

確かに仕事での成功は大切だが、本当に大切なことは、何かに「挑戦する姿」を見せることで、子供に「人生で大切なもの」、そして「自分らしく生きる」とはどういうことか?を身を以て教える、そのための手段でしかないと思うようになった。

とある仕事で、とある方から「内部の改革(イノベーション)ができずに、どうやって外部の改革を推進できるでしょうか?」というコメントを頂いたことがある。

「家族の幸せ」を大切にできない人間が、仕事で関わる人たちの幸せやより良い社会の実現を主張しても、それは「詭弁」だろう。

「日常の些細なこと」こそ「大切」だと思うようになった。

近況報告 just 1 day before becoming 50 years of age!

ここ最近はすっかりブログの更新ができなくなっているので、僕の重大!な誕生日の前日を記念?して、近況報告をしたい。

先月から始まった VentureNow「THE FOUNDER 6th」での連載(計12回)は、昨日で5回目を迎えた。

読んでいただけたら嬉しい。

インタースコープ創業とIPO断念
http://www.venturenow.jp/founder/006hiraishi/20130228019862.html

M&A、そして失敗
http://www.venturenow.jp/founder/006hiraishi/20130307019958.html

最高の充電期間 - 何もやりたいことが無かった
http://www.venturenow.jp/founder/006hiraishi/20130314020040.html

シリコンバレーに「日の丸」を立ててやる
http://www.venturenow.jp/founder/006hiraishi/20130321020111.html

ネットバブル前夜。原宿コーポ別館
http://www.venturenow.jp/founder/006hiraishi/20130328020202.html


あと7回、頑張って原稿を書きます!!!

人生は短い。今年初めてのサンフランシスコ。

今年初めての San Francisco & Silicon Valley.

サンフランシスコに向かう CalTrain の車中でこのエントリーを書いている。

今の仕事を始めてから、年に2~3回は来るようになった。

20代の頃、年に2回のペースで New York に行っていたことを思い出す。

初めて New York に行ってから27年。月並みだが、月日の経つのは速い。

今月30日で、この世に生を受け、50年になる。

僕が大学生の頃は、その年齢の人を「初老」と言った…。

冗談ではなく、人間は必ず、歳をとるということだ。

誕生日ということでは、同じ誕生日の人、それも親しくしている人が2人いる。

一人はETICの山内さん。もう一人は、ベンチャーナウの竹内さん。

山内さんにはインタースコープを経営していた頃、インターンの採用でとてもお世話になった。

ETICの存在無しに、インタースコープの成長はあり得なかった。

そして、竹内さんとは、Innovation Weekend を一緒に立ち上げてきた。実は、他にも色々と企んでいることがあるw。

僕の人生にとって掛け替えの無い人だ。

ブログにら書ききれないほど、僕の人生には素晴らしい人達がたくさんいる。

そして、彼らの存在無しには、僕の人生は成立しない…。

自分ひとりで生きているわけではない、ということだ。

彼らへの感謝の気持ちを忘れないようにしないとね。

iPhoneからの投稿

次男の「再入院」。

今月上旬、入院中の病院で満1歳の誕生日を迎えた次男が今朝、再入院した。

小児喘息とRSウイルス感染で呼吸困難になり入院した後も、熱を出しては下がりという生活を繰り返しており、さすがに変だと思っていたところ、先週金曜日頃から40度の熱を出すようになった。

今朝、妻が病院に連れて来たところ、とあるウイルスに感染しており、退院後2週間で再入院となった。

まあ、それは仕方ないとして、さらに困ったことに、小学校1年生の長男が、先週土曜日の登校時に、不審者と遭遇し、威嚇されるという事件があった。

さすがに怖くなった長男は、朝は一人で登校するも、夕方暗くなってから一人で下校するのは嫌だということで、暫くの間、妻が迎えに行かざるを得ないという時に限って、次男が入院。

尚且つ、区の保育園は不合格だったらしい…。

更には、僕は、大阪市の仕事で来週から米国出張で留守にする。

昨年の2月は、妻の次男出産と修士論文の指導、そしてサンブリッジ グローバルベンチャーズ創業とが重なり、ハンパじゃなく忙しかったが、今年も何かと大変である。

仕事の面では、ファンドレイズ活動を本格化し、今年3年目となる Innovation Weekend の見直しを進めている。

また、今週木曜日からベンチャーナウのFOUNDER 第6期という特集で、計12回の連載がスタートする。

もうひとつ、某出版社からお声をかけて頂いている本の原稿も待ってもらっている。

いずれも、とてもありがたいことだ。

どんな苦労も生きていればこそである。

そもそも、僕がしている苦労は、両親の世代がしてきた苦労と較べたら、苦労の部類に入らない。

感謝の心を忘れないようにしたい。

iPhoneからの投稿 @ 次男の入院先の病室

イノベーションと現実の狭間。

「岸和田南」。関西国際空港に向かう高速バスから見えた標識に、そう書いてあった。

大学時代に一年ほど住んでいた下宿(今では死語だ)で一緒だった友人が、岸和田の出身と言っていたのを思い出した。

関西国際空港までは、東京でいえばアクアラインのような橋を渡って行くが、途中で目にした風景は、昭和の高度経済成長期のまま、時間が止まっているかのようだった。

これは大阪に限った話ではなく、東京でも羽田空港に向かう途中に、同じような光景が広がっている。

僕はかれこれ15年ぐらい、インターネットの世界で仕事をして来ているが、facebook もTwitter も関係ない世界に生きている人達がたくさんいる。

まだまだ、そういう人達の方がマジョリティだろう。

イノベーションは産業の新陳代謝を促し、人類は豊かになってきたが、「創造的破壊」には「痛み」が伴う。

我々ベンチャーは、その先導役であり、波頭に立つことが仕事だが、政治や行政としては、様々な立場の人達を考える必要がある。

昨年の秋から大阪市の仕事をしており、明日は Global Innovation Conference なる国際会議があり、その運営のために大阪に来ているが、色々と考えさせられる。

しかし、Global Innovation は不可逆的である。

「強い者が生き残るのではなく、変化するものが生き残る」。

iPhoneからの投稿

「修士論文」と「次男の退院」。

先週木曜日の夜遅く、僕が法政大学の経営大学院で担当している院生の修論チェックを終えた。

正直に言って、彼の指導は大変だった。

昨年2月に初めて会った時は、今まで何をして来たんだ?と思わざるを得ないところがあったが、彼はこの一年でとても成長した。

22時半過ぎ、修論指導が終わった時、指導担当として、達成感のようなものを感じた。

その後、僕がリクエストした修正箇所を反映し、金曜日13時の締切までに提出できるかが不安だったが、オフィスでMTGをしていると、「提出しました!」というSMSが送られてきた。

但し、本番は、これからである。

彼が約一年をかけて構想を練り、修士論文として纏めた事業プランを実現して初めて、貴重な時間とおカネを投じて大学院に来た意味がある。

また、ボアゾナードタワーという27階建て校舎の最上階で開催される最終発表会行きの切符を懸けた選考会が今週末、行われる。

ボアゾナードに行くことができ、尚且つ、優勝すれば、賞金(奨学金)50万円が提供される。

頑張って欲しい。

ところで、毎年2月は、修士論文の締切りと同じ時期に、来年度の指導担当を決める、オープンドアと呼ばれる期間がある。

院生の人達が指導担当教員を選ぶために、興味のある教員に自由にアポを取り、面談をする期間のことだ。

今年、僕のところに来てくれた方々との面談を通じ、改めて認識したことは、その人がどれだけ「本気」か?どれだけ自分の「人生」を「真剣」に生きているか?で、すべてが決まる、ということだ。

日本のような平和で経済的に豊かな国に生まれると、流して生きていても困らなかった。

でも、そんなパラダイスは、もうお終いである。

今の延長線上で行ったら、日本は間違いなく、シャビーな国になる。

自分がどうしたいのか?自分が生まれ育った国をどうしたいのか?そのために、どんなことで貢献できるのか?

そのことが問われている。

話は変わるが、昨日、次男が無事、退院した。

去年の今頃は、修士論文の指導、妻の出産(次男の誕生)、新会社の設立が重なり、目茶苦茶に忙しかった。

今年は、サンブリッジ グローバルベンチャーズの仕事と法政の修士論文の指導に加え、大阪市のプロジェクトがあり、そこに次男の入院が重なって、これまた忙しかった。

ところで、次男の入院中、次男のベッドの横にあったテレビで偶然、「高飛び込み」の練習に打ち込むセルビアの少年に関するドキュメンタリー番組を見た。

小学5~6年生と思われる少年は、5メートルの高さからの飛び込みはキレイに出来ていたが、10メートルの平均台に立ち、眼下のプールを覗き込むと、恐怖心から、飛び込めずにいた。

コーチは半ばヤジとも言えるゲキを飛ばしていたが、決して強要はしなかった。

少年は飛び込めない自分が悔しかったのか、大粒の涙を浮かべていた。

何が少年の心を後押ししたのかは分からないが、その数日後、彼は10メートルの飛び込み台から華麗なフォームで飛び込んだ。

少年は何とも言えない笑顔をしていた。

「できると信じていたよ」とコーチが言っていたように、技術の問題ではなく、精神の問題だと言うことだ。

そして、僕たちの子供たちが「ここまで来れば大丈夫だ」と思えるようになるまで、元気でいようと思った。

iPhoneからの投稿

満1歳の誕生日を3日後にして、次男が入院。

RSウイルス感染。且つ、喘息の症状が認めらる。

ということで、3日後に「満1歳」の誕生日を前にして、僕たちの次男は入院となった。

昨年秋からほぼ毎週、大阪出張、そして、その合間にシリコンバレーへ出張。

年末年始でひたすら寝て、だいぶ体力が回復したのも束の間、大阪プロジェクトに加えて、大学院の修士論文の指導が佳境に入り、尚且つ、ファンドレイズ活動を本格的にスタート。

また多忙な日々が始まった。

そのような時に限って次男が40度の発熱。熱に加えて、嘔吐を繰り返し、さすがにこれはおかしいと思い、掛かりつけの医師に紹介状を書いてもらい、総合病院に来たところ、RSウイルス感染、且つ喘息と診断され、入院。

残念ながら、1歳の誕生日は、病院で迎えることになった。

次男が入院した病院は「完全看護」で設備も素晴らしく、ベッドには呼吸センサーが付いている(無呼吸での死亡を未然に防ぐため)。

医師の説明も的確でとても分かりやすく、入院患者1人に対する看護師の人数も多い。万全の体制である。

これだけの医療を提供するには、相当なおカネがかかっているだろう。

僕はある時、投資先のイミオを通じて「国境なき医師団」の方と知り合う機会があったが、僕たちの次男が受けているレベルの医療サービスは、アフリカのような地域では望むべくも無い。

乳幼児の死亡率が大きく異なるのは当然である。

日本に生まれたというだけで、とても幸せだ。

その事実を認識させられた。

そして、そのような現実を目の当たりにしてしまった心ある医師は、その惨状を何とかしたいと思わずにはいられないだろう。

今まで僕が携わってきた仕事は、かっこ良く言えば、世の中の変化を活用してイノベーションを起こし、新しいサービスを提供するということだが、その動機は、ただ単に自分がやりたいことを形にしたいということだった。

尚且つ、ここ15~16年は、インターネット関連の世界でしか仕事をしておらず、製造業の世界や、ましてや病院や病児保育等、困っている人を助けるという公共サービスの世界は、あくまでも、受益者の立場でしかなかった。

そういう意味では昨日、来年度の主査決定のための面談にきた学生(社会人大学院生)は、製造業の世界で働いている方だったが、彼の話は、僕の視野を広げてくれる、とてもありがたい機会だった。

日本の製造業は苦境に喘いでいる一方、そこには、大きなチャンスがあるような気がした。

今までのアナログ&インテグラル(垂直統合)の世界では、大資本が無ければ勝負をすることは難しかったが、Terra MotorsWHILL という製造業のベンチャー企業の台頭が示すように、小資本のベンチャー企業でも、大きなチャンスが巡ってきているということだ。

僕の投資先のイミオも、フットサルやサッカーボールの製造小売業であり、製造業のベンチャーと言える。

50歳(今年3月30日以降)からの人生は、インターネットの世界に留まらず、新たなフィールドに挑戦していこうと思う。