シリアルアントレプレナー 「3度目の起業」と「初めての子育て」 -3ページ目

僕は密かに、お年玉の額で親戚を格付けしていた… :-)。

実家で弁護士事務所を経営している次男、世田谷に住む末弟家族、僕たちの養母(父が再婚した母)、そして我々家族。

40年前は、僕たち兄弟が「子供」で、両親と父方の祖父母という構図だった。

40年前の日本のGDPは134兆円。第一次オイルショックで一時的に経済が落ち込んだものの、それまでの10年間でGDPの伸長は100兆円。

しかし、小学生だった僕たちには、そのような事実は知る由もなかったし、そんな実感は無かった。

僕は1963年、東京オリンピックの前年、まさに日本が高度経済成長期に入った時、福島県郡山市に生まれた。

当時の我が家は「昭和の大家族」で、父方の祖父母、父母、父の妹2人のところに僕が生まれた。

その2年後、次男が生まれ、さらにその5年後、三男が生まれた。

父が生きていた頃は毎年、父の兄弟が我が家に「里帰り」に来て、賑やかなお正月だった。

僕は密かに、お年玉の額で親戚を格付けしていた… :-)。

母は僕が15歳の時、父は24歳の時、亡くなってしまい、僕たち兄弟は心細い想いをしながら人生を歩んできたが、こうして子供たちが楽しく遊んでいる姿を見ると、着実に時間が流れたことを実感する。

祖父母も父母も亡くなってしまったが、多少、それが早かっただけで、それが自然の摂理ということだ。

これからは、自分たちが、父母、そして祖父母の役割を担っていくことであり、その幸せに感謝しよう。

そう想ったお正月だった。

iPhoneからの投稿

日本を救うのは、イノベーションをおいて他にない。

今年も今日が最後。皆さんにとって、2013年はどんな一年だっただろうか?

僕にとって50年目の今年は、兎にも角にも「忙しかった」一年だった。

海外出張4回(シリコンバレー x 2回、シンガポール1回、ロンドン&ケンブリッジ1回)、家族旅行1回、大阪出張 x 約20回!JR東海には、かなり貢献した。

ところで、リサーチ業界の方はご存知かと思うが、ガウス生活心理研究所という著名なリサーチ会社があった。

創業者の油谷さんという方が生前、「New 50」なる概念を提唱されており、僕がインタースコープというインターネットリサーチ会社を経営していた時、僕たちが主催したセミナーでその話をして下さった。

当日、50歳になろうとしていた「郷ひろみ」を例に挙げて、従来の50歳の概念は既に存在しない!という、ドラッカー流に言えば「既に起こった未来」をセンセーショナルに呈示してくれた。

そして、人間の寿命は、生物学的には120~130年ぐらいあるという話をされた。

確かに、僕の周りには、どう考えても50歳以上には見えない人がたくさんいる。

筆頭格は日本人で唯一、故スティーブ・ジョブズ主催のエグゼクティブミーティングのメンバーだった前刀さんだ。

他にもインターネットリサーチ業界時代の盟友で、現在は八戸学院大学の学長!を務めている大谷さんなど、New50 は枚挙に暇がない。

大谷さんは今年、ヨーロッパで著名な自転車耐久レースに挑戦し、見事に完走した!

一方、えっ、どうしてそんなになっちゃったの?という人もいて、これからは様々な意味で「個人差」が大きくなって行くだろう。

経済が成熟し、大多数の人が「知識産業」に従事するようになると、資本は「カネや土地」ではなく、経験に裏づけられた個人が持つ知識と知恵、そして人的ネットワークになってくるわけで、外形的な尺度はあまり意味を為さなくなっていく。

また、体力的にも、個人差は拡大していくだろう。

しかし、Apps やソーシャルゲーム等、若さが重要な資本である産業の存在感が増していくだろうから、僕たちの世代は彼らにはできない、より社会インフラ的な領域で価値を創造していく必要がある。

僕はサンブリッジ グローバルベンチャーズとしての投資領域を何らかの領域で「プラットフォーム」化できるビジネスにフォーカスしているが、そのためには事業開発等の経験が必要であり、ある程度の経験が求められる。

昨日の日経朝刊に、元DCMパートナーで、WiLという投資育成会社を創業された伊佐山さん達が日本の大企業から約310億円を調達し、ファンドを組成された話が載っていたが、若者のAppsやソーシャルゲーム以外の起業を促進していくだろう。

伊佐山さん達の活躍に期待したい。

ところで、安倍首相の靖国参拝は国内外に波紋をもたらしたが、そのことに関連する様々な記事を読み、地政学的なリスクも踏まえ、日本が国際社会で生き残っていくには、兎にも角にも「経済力」以外の手段はないことを再認識させられた。

政策研究大学院大学長の白石隆氏が発言されているように、中国がカンボジア、ミャンマー、ラオス等への経済援助に力を注いでいるのは、2020年頃から少子高齢化が進み、国力の伸長があまり期待できなくなることを見越して、今のうちに影響力を構築しておこうという狙いだろう。

今さら核武装をすることは出来ない日本は、東南アジア諸国における影響力を持つには、経済力以外に術はない。

そのためにも、衰退期に入った産業にしがみつくのはさっさと止めて、新しい産業を興すべく、国を挙げて臨まなければいけない。

日本を救うのは、イノベーションをおいて他にない。

Happy New Year & Innovation!

「堀江さんの本」を読んで考えたこと。

このエントリーは、11/4に途中まで書いたままだったため、もう随分と前の話題になってしまったが、楽天イーグルスの日本シリーズ制覇の模様をテレビ観戦さえできなかったのは残念だった。

球団創設から9年での快挙は、素晴らしいの一言に尽きる。

「田中将大」という選手は、形容する言葉が見つからない。

無責任なファンの勝手な思いだが、メジャーリーグでダルビッシュと投げ合う勇姿を見てみたい。

ところで先日、自宅に帰る途中、ある公園の前を通った際、長男とよく遊んだ頃のことを思い出した。

僕たちの長男は現在小2で、その公園でよく遊んだのは彼がまだ未就学の頃、今から3~4年前のことだ。

しかし、その公園の前を通った時に僕の頭に思い浮かんだのは、次男の顔だった。

でも、次男はまだ1歳9ヶ月。公園に連れて行ってくれと僕にせがむ年齢にはなっていない。

あと半年から一年すると、また、あの頃のような日々が訪れるのかもしれない。

彼のためにも体力増強に努めよう!

実は、その公園の前を通ったのは、親戚の見舞いに帰省した翌日からの大阪出張からの帰りだった。

さすがにヘトヘトになっており、前向きな気持ちが保てず、ネガティブな思考に陥りがちになっていたが、長男と遊んだことを思い出し、少し気持ちが和らいだ。

また、長男が「溶連菌」に感染した疑いがあるということで、その翌日は会社を早めに出て、彼を掛かりつけの医者に連れて行き、数ヶ月ぶりに、平日の夜、家族と夕食を共にした。

ただ単に何の変哲もない平日の夕食を家族と共にしただけだったが、僕の心は弾力性を取り戻した。

そして僕は、そのことに驚いた。

28歳で起業して以来、特に、インタースコープというベンチャー企業を創業してからの数年間は、僕の人生の「95%」は「仕事」だった。

50歳になった今、体力も含めて色々な理由があるが、何を大切に思い、何に喜びを感じるかが変わって来ていると実感した。

そのことを素直に受け入れようと思う。

ところで、今月上旬、堀江さんの著書「ゼロ」~ 何もない自分に小さなイチを足していく ~ が届いた。

堀江さんの本が出ることは、cakes というアプリの読者向け先行リリースで最初の章を読んで知っていたが、実際の本を手にすると、アプリにはない「存在感」があった。

堀江さんとは、イベントでの立ち話を含めて、4~5回ほどしか会ったことがないが、2002年の秋、食事をご一緒したことがある。

とにかく、強烈なエネルギーと存在感があった。

そして、頭脳明晰なのは勿論、超が付くほど合理的で感情を挟まない人だということが伝わってきて、食事をしながら怖い思いをしていたのを憶えている。

その時の堀江さんは、まだ、オン・ザ・エッヂだったが、その後、社名をライブドアに変え、一躍、時代の寵児となっていった。

当時の堀江さんは、熱烈な支持層を持っていた一方、半ば強引なやり方やアクの強さ故か、特に、ネットベンチャー業界では、彼を敬遠する声も多かった。

僕は会食をした時の印象から、とんでもなく凄い人だと思っていたが、彼と実際に仕事をした人たちからのネガティブな声も聞いていた。

そんなことから、僕は、堀江さんの話題になった時は、どちらともつかない態度をとっていた。

それは、堀江さんを支持することで、堀江さんが持っているリスクやイメージが自分にも影響することを気にしてのことで、今にして振り返ると、すべては自分自身に対する「自信の無さ」でしかなかったと思う。

自分自身、そして自分の判断に自信と責任を持てるなら、誰に何と言われようと気にする必要はないはずだ。

これからは、そういう人間になれるように努力し、僕たちの子どもたちも、そういう人間に育つよう、僕自身が実践していこうと思う。

堀江さんの本を読んで心に響いたのは、以下の3つ。

1つは、刑務所の中で担当していた単純な仕事に対しても「どんな仕事にも創意工夫の余地がある」といい、どうすれば、決められた時間ないに、より多くの仕事ができるか?を考えて仕事をしていた、という話。

2つ目は、「自由というのは結局、自分の『心』が決める」ということ。

刑務所の中にいても、堀江さんは「自分が何かに制約されている」とは考えなかったそうだ。紙とボールペンでメルマガの原稿を書き、読者からの質問にも答え、出所後の仕事のことも考えており、囚われの身でありながら、彼の「精神」は「自由」だったという。

凄い精神力の持ち主だと思う。

3つ目は、貴重な「30代」を訴訟と服役に費やしてしまった(費やさざるを得なかった)ということだ。

その記述を読み僕は「はっ」とさせられた。

僕(たち?)にとっては、数年間の出来事のような気がしていたが、考えてみると、たしかに、これから!という油の乗り切った30代という貴重な時間を、そのような時間として過ごさなければならなかったという事実には、言葉が無かった。

おカネは失っても、一生懸命に頑張れば取り戻せるかもしれないが、一度「失ってしまった時間」は何をどうしても「取り戻すことはできない」・・・。

人生には「易きに流されて今を過ごす暇」はないのである。

ところで、11/21(木)から、出張で「ロンドン」に来ている。

ロンドンは2012年6月以来、2度目だが、僕がよく行くサンフランシスコにはない、ソリッドというか硬派な雰囲気がある。

特に友人がいるわけでもなく、前回の出張はとにかくタイトなスケジュールで、街中をぶらつくということもできず、まだまだ街の雰囲気を味わえていないが、Tokyo, New York に次いで、好きになりそうな感じがする。

このような貴重な時間を与えられていることに感謝し、より多くを吸収し、日本に帰りたい。

追伸:今回の主張に出る朝、小2の長男に「どのぐらい行っているの?」と訊かれ、「来週の木曜日までだよ」と答えると、「じゃあ、ちょうど1週間だね。でも、どうして、(家族で)旅行に行くときは、そのぐらい(長く)行けないの?」という言葉が返ってきた。

「そうだね。次にみんなで旅行に行くときは、1周間ぐらい行けるようにしようね」と答えた。

長男の言うとおりである。必ず、実現する。

僕は、今までの人生で、誰の何に貢献できたのだろうか?

今さらながら、週間 東洋経済(2013年6月15日号)の「起業 100のアイディア」という特集を読んだ。

そこにあった南場さんのインタビュー記事で心に留まった言葉を書いておこう。

「ショッピングモールを始めた時、店舗獲得のために全国行脚をしたが、足で稼いだ事業は一瞬で冷え込むことはない。営業はオールドエコノミーのすることだと思っていたが、事業の基本であることを学んだ」。

「現会長の春田真が入社した時に『会社を自分の子供のような存在にしたいのか、ある程度、切り離して発展させたいのか。南場さんが作った会社だからどちらもありうるが、どちらかに決めて欲しい』と私に言ったことがきっかけだった。(中略)
なぜ春田が私にそれを聞いていたのか。迷いを抱かせた理由が自分にあったのだろうかと考えさせられた。これは即答してはいけない、自分でちゃんと決意して答えようと思ったんです」。

「私はアップルのスティーブ・ジョブズのような天才ではない。しかし、腰が強い組織を作ったことが自分にとって一番の宝物であり、勲章だと思っている」。

僕は、今までの人生で、誰の何に貢献できたのだろうか?

備忘録として。

ところで、今日は、KLab 真田さん、リミックスポイント創業者 吉川さん、NIKKO創業者 加藤さん(シンガポール在住)の、これでもか!という、大阪出身の3人に登壇していただき、公開でのメンタリングセッションを「大阪イノベーションハブ」で開催する。

大阪には縁もゆかりもない僕だが、このような試みをすることで、大阪の若い人たちに、少しでも貢献できれば幸いである。

そして、超過密スケジュールを縫って大阪に来てくれる真田さん、吉川さん、加藤さんに、心からお礼を申し上げたい!

堀江さんが「ジジイなりに頑張る」なら、僕は「ジイさん」なりに頑張ろう!

2013年9月27日(金)22:10。東京の青山一丁目にある Startup Base Camp という、サイバーエージェント・ベンチャーズが運営するインキュベーションオフィスの僕のデスクで、このエントリーを書き始めた。

10/1(火)@大阪にて、「成功と挫折。そして、再チャレンジ!」というタイトルで講演をするので、その準備をしていた。

実は、このタイトルは、某出版社から、どんなに遅くても今年中には出る予定の、僕にとっては「2冊目」となる本のタイトルである。

講演の準備が終わり、ふうーっという気分でチェックしたメールで、堀江さんの「ゼロ」という著書のティーザー原稿?のようなコンテンツを読んだ。

そう、失敗してもマイナスになることはなく、ゼロに戻るだけであり、失敗を怖がる必要はないというのが、堀江さんのメッセージだ。

むしろ「なによりも危険なのは、失うことを怖れるあまり、一歩も前に踏み出せなくなることだ」と。

たしかに、それは僕にも心当たりがある。というか、僕はそういう人間だ・・・。

堀江さんと較べたら、足元にも及ばないし、鼻くそみたいなものだが、インタースコープとウェブクルーの成功の後のドリームビジョンでの失敗で、僕は「自信」を失った。

でも、小川先生に拾ってもらって法政大学の経営大学院で教え始めたことで、僕は少しずつ、自信を取り戻した。

そう、決してマイナスになったわけではなく、尚且つ、堀江さんがいう「ゼロ」になったわけでもなく、1か2か知らないが、まだまだ残ったものがあった。

大切な家族も素晴らしい友人も、僕が失敗しようが何しようが、変わらず、僕を受け入れてくれていた・・・。

話を堀江さんに戻すと、彼は40代になった自分を「ジジイ」と書いていたが、となると、50歳になった僕は「ジイさん」だ・・・w。

でも、堀江さんが「ジジイなりに頑張る」なら、僕は「ジイさん」なりに頑張ろう!

ところで、「ゼロ」という堀江さんの著書のティーザー原稿を読んだのは、cakes というサイトだった。

そして、その「cakes」を運営している「Piece of Cake」という会社の仕事をしている、ある方は、僕が人生で初めて会った「ベンチャーキャピタリスト」である。

その彼と先週、数カ月ぶりに会い、食事をご一緒した。

「人生はすべて必然」。

「アントニオ猪木の言葉」と「カッコウをつけている自分」。

「晴耕雨読」ならぬ「晴『読』雨読」生活を送っていた頃は、毎月20~22回ほどは更新していたブログを、殆ど書けなくなって久しくなる。

でも、以前のエントリーにも書いたように、僕の場合、ブログを書くことは「自分自身との対話」であり、自分と向き合い、自分の心を静める効果がある。

今年で3年目になる法政大学経営大学院の夏期集中講義の「レポートの採点」が終わったこともあり、久しぶりにブログを更新することにした。

先程、愛媛でテレファームという「ベンチャー農業(そういう言葉はないが)」を営む遠藤さんの投稿で、アントニオ猪木のエピソードを知った。以下は、そのページからの引用。

「私は新日本プロレスを旗揚げした時、一軒、一軒、キップを売って歩いた。理想のプロレスをつくり上げるために、なりふり構わず頭を下げた。

十年近くたっても、私はそれをやった。

浅草の街頭に立って売り歩き、それでもキップが残ったので一軒、一軒まわった。

なぜなら、ほかならぬ自分へのチャレンジだったからだ。

俺たちは、生まれながらに偉いのではない。

全力でぶつかり、失敗し、それでも立ち上がって、また失敗し、やっと何かをつかんだかと思ったら、虚しくも朝の露。

しかし、まだまだくたばらない。

俺には欲があるんだ、夢があるんだと向かっていく。

そうして、ちっぽけながらも、自分だけができる何かをつかんできた。

(ここまで)

人間は、誰でもミスをするし、後悔することもある。誤解もされるし、罵倒されることもある。

でも、自分が信じることがあれば、誰に何と言われようと、陰口を言われようと(僕は相手に直接モノを言わず、第三者を介して伝えようとする人間が最も好きではない)、本当の自分を理解されなかろうと、自分を曲げてはいけないし、長いものに巻かれてはいけない。

ここ最近、様々な問題があり、挫けそうになる自分を自分で励ましてきたが、アントニオ猪木の言葉を読み、僕は「まだまだ、カッコウをつけており、それを捨て去らなければダメだ!!」ということを再認識させられた。

「言うは易し、行うは難し」だが、それも「自分への挑戦」である。

ところで、今月の誕生日で、僕たちの長男は「満8歳」になる。

今の家に移り住んだ年に生まれた。

次男は、ようやく「1歳7ヶ月」。今年前半は「計5回の入退院」を「繰り返したが、おかげ様で、7月以降は入院せずに済んでいる。

正直、子育てをするには、妻も僕も「かなりの高齢」だが、こうして、素晴らしい子供たちに恵まれていることは、とても幸せなことだ。

彼らの笑顔のためにも、まだまだ頑張り続けないといけない。

ところで、日頃から大変お世話になっているサイバーエージェント・ベンチャーズが主催する「RISING EXPO」で、勝屋さんと話をする機会があった。

僕も彼のように、自分の生き方に誇りと自信を持ち、カッコウをつけず、不格好でも構わず、自分が信じる生き方を貫こう。

それ自身が「自分への挑戦」である。

追伸:1963年生まれの僕は当然、東京オリンピック(1964年)は記憶に無い。2020年の「東京オリンピック」を子供たちと見ることを励みに頑張ろう!!日本にとって大きなチャンスがやってきた!!!

市ヶ谷の「野菜カレー」。

「新宿中村屋のカレー」以外に、もうひとつ、僕が好きなカレーがある。

市ヶ谷のお堀沿いにある「Nord Kudan(ノールド クダン)」というお店の「野菜カレー」がそれで、法政大学の小川先生に連れて行ってもらったのがキッカケだった。

それ以来、大学院の中間発表(年2回)と最終発表の時には、必ずと言っていいほど、そのお店の「野菜カレー」を食べている。昨日も今日も食べにきた。このエントリーもカウンターの席で書いている。

そもそも、ルー自体に野菜がたくさん使われているし、それに加えて、大きな野菜がたくさん入っており、とても健康的である。

ところで昨日は、法政での中間発表会後、19時頃には帰宅し、久しぶりに家族と夕食を共にした。

「今日は早く寝よう」と思ったのも束の間、次男がぐずり出し、そうこうしているうちに、吐いてしまった。小児喘息の次男は、痰が絡みやすく、それは分かるのだが、そのまま泣き騒ぎ、妻も僕も、昨夜はあまり眠れず…。

口の中が痛いらしく、食事ができないようなので、今朝、病院に連れて行ったのだが、長男はまだ小2でひとりで留守番をさせるにも限界があり、日曜日は習い事もあるため、妻がひとりで長男を連れて病院に連れて行こうとすると、色々な無理が発生する。

今日も法政の中間発表会があったのだが、仕方なく、事務局に連絡をし、午前中は欠席させてもらい、次男を病院に連れて行った。

診断は「手足口病」。

数週間前にも手足口病らしき症状になり、ようやく治ったと思ったら、また、手足口病…。

ウイルスの型が違えば、同じ年に2回かかっても不思議ではないらしい。

問題は、明日からの長男のサマースクールである。

朝は僕が送っていくとしても、夕方は妻が迎えに行く必要があり、次男が保育園に行けないとなると、ベビーシッターさんにお世話にならざるを得ない…。

2人以上のお子さんがいらっしゃる方は、よくお分かりのとおり、子供が一人と二人では、子育ての負荷の次元が違う。

実は、郊外にあるサマースクールは、幾つかの最寄り駅まで送迎バスを出しているのだか、最初の保育園で一緒だった友達も同じサマースクールに通うことになっており、彼と同じバスにすれば良かったじゃないか… という話になる。

確かに、妻の言うとおりなのだが、長男の友だちと同じバスの場合、集合時刻が08:25で、自宅を07:30に出る必要がある。

躊躇した僕が悪かった。

50歳の夏は、想定外にハードである。

でも、乗り越えていくしかない。仕事も家庭もね。どちらか一方の人生はあり得ないのだから。

新宿中村屋の「野菜カレー」。

僕と facebook で繋がっている方はご存知かもしれないが、僕たちの次男(1歳5ヶ月)は「小児喘息」を患っており、入退院を繰り返している。

今年に入ってから、既に5回も入院した。

アレルギー体質のせいか、頻繁に熱を出すし、外形に反して、病弱である。

妻は、東京生まれの東京育ちだが、彼女の両親は他界しており、いざという時に助けてくれる身内がなく、シッターさんを頼まざるを得ない。

正直に言って、相当な出費である…。

ところで、先週木曜日の朝は、僕が次男を病院に連れていき、その後は自宅に戻り、シッターさんが来るまでの間、面倒を看ていた。

彼が昼寝をしている間、久しぶりに、レトルトのカレーを食べた。

ドリームビジョンの事業を整理し、晴「耕」雨読ならぬ、「晴『読』雨読」生活をしていた頃、ほぼ毎日、新宿中村屋の「野菜カレー」を食べていた。

次の展開が描けず、精神的に辛い日々を送っていた僕にとって、スパイシーなカレーの味は忘れられない。

あの頃は、どこのスーパーで、どのカレーを安く売っているかを知っていた…w。

実は、先週の土曜日も、新宿中村屋の「野菜カレー」を食べた。

小学校は夏休みに入っており、妻と小2の長男は「課外授業(宿題)」のため、東急ハンズでやっている「万華鏡」作りに出掛けたので、子守当番の僕は、次男にご飯を食べさせつつ、レトルトのカレーを食べた。

「晴『読』雨読」生活をしていた頃、ただひたすら毎日毎日、ドラッカーやミンツバーグを読みながら、これには絶対に意味があるし、必ず、自分の中から何かが生まれる筈だと思っていたが、自分を信じて良かったと思う。

人間は、どんなに困難な状況にあっても、未来に「希望」を持つことができれば、諦めずに頑張ることができる。

自分自身の「生き方」を通じて、子供たちにも、そのことを教えられるように頑張らないと!

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G線上のアリア。

初めて聴いたのがいつだったか?は憶えていないが、あまりに忙しかったり、気持ちがハイになっていたり、イライラしている時、この曲を聴くと、何故か気持ちがすぅ~っと凪いでいく…。

長男のヒップホップのレッスンに行けば、テンションが上がり、やる気が湧いて来る。

音楽の力は大きいね。

阪急系の某ホテルの「いつもの部屋(毎週泊まる僕のために同じ部屋を抑えてくれている)」で、iTunes で「G線上のアリア」を検索すると、何曲か表示された。

アレンジによって、それぞれに趣きが異なる。

僕は3曲、購入してみた。

ところで、先程のエントリーを読んだと言って、New York に住む友人が facebook でメッセージをくれた。

とても嬉しかった。

イヤフォンで「G線上のアリア」聴いていると、睡魔が襲って来た…。

Life is beautiful...。お休みなさい。

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「出張で留守がちな父」から「長男」への「手紙」。

今月は第1週がシンガポール。第2&3週は、それぞれ2日ずつ大阪。

そこへ来て、先週の金曜日から次男が、今年3度目の入院。

そして、来週はシリコンバレー出張。

2人の子供(それも次男はまだ1歳4ヶ月)を育てるには、あまりに高齢の我々夫婦だけでなく、長男もストレスが溜まっているのだろう。

今朝は、ちょっとしたことで妻と口論になり、大粒の涙を流しながら学校へ出掛けて行った。

妻にしても、職場と病院を行き来し、体力的に限界に来ており、長男に朝からダダを捏ねられれば、穏やかにしていろというのは無理な注文である。

そういう僕は、大阪出張…。

長男のためにしてやれることは何か?と考えて、彼に「手紙」を書いた。

彼が自分で読めるよう、なるべく平仮名で書いたが、これがなかなか難しかった。

「手紙」という意味では、僕が大学生の頃、人生の意味を見出だせず、父に手紙を書いたことがあった。

忙しい父は、なかなか返事をくれなかったが、忘れた頃に「遅くなって申し訳ない」というお詫びと共に、丁寧な返事が届いた。

小学2年生の長男は、僕から手紙をもらったことは忘れてしまうだろうけど、僕の手紙が今の彼を少しでも勇気づけ、元気にできたのであれば、父親として、とても嬉しい。

そう言えば、今週の日曜日、父の日だからと言って、彼が自分で書いた絵に、僕へのお礼を書いたものをプレゼントしてくれた。

10年後、彼が高校生になった頃は、こんな関係ではなくなっているはずである・・・。

今を大切にしたい。

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