リクルートの社是
あれは、僕が「自分でできるネットリサーチ(ラトルズ)」という本の原稿を執筆している最中で2003年の秋だったと思うが、渋谷マークシティのスターバックスで、リクルート創業者の江副浩正氏が書かれた「かもめが翔んだ日」という本を読んでいた。そして、江副さんの幼少時代の苦労に共感するものがあり、人目を憚らずに泣いてしまった。
インタースコープを創業する前の僕にとって、リクルートという会社は、急成長はしているらしいが、どことなく胡散臭い会社というイメージしかなく、とくに興味もなかったが、インタースコープを創業し、リクルートの方々と仕事をするようになったことで、そのイメージは跡形も無く崩れ去っていた。
リクルートが凄いと思ったのは、まず、会う人、会う人が、非常に優秀であり、議論がぶれないということだ。
どの会社にも優秀な人はいるし、凄いと思わされる人は少なからずいる。
しかし、リクルートにおいては、仮に、5点満点のレーダーチャートがあるとしたら、殆どの人が「4.5~5.0点」に位置しており、尚かつ、共通の「価値観」を有しているので、レベルの点においても、質の点においても、議論がぶれないのである。
僕がインタースコープ時代、実務をしていた頃に担当していたクライアントでは、リクルートと野村総研には非常にお世話になり、その両社の方々に育てていただいたと思っている。この場を借りて、深くお礼を申し上げたい。(野村総研に関しても、別の機会にエピソードを書きたいと思う。)
ところで、僕が大きな影響を受けたリクルートであるが、とても素晴らしい社是がある。
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」というものだ。
先日、アバカス・ジャパンのCOOをされている横江さんという方の紹介で、元リクルートの井崎さんという方をご紹介いただき、3人で食事をしたのだが、井崎さんからいただいたメールに、リクルートの社是が書かれていた。
僕のことを「若い頃からリクルートの社是を実戦している人だと思いました」と書いていただいていたが、それは褒め過ぎだとして、確かに、機会が人を変化させるし、成長させるのは間違いないと思う。
僕の場合は、自分の意志で(自ら)機会を創ってきたというよりも、「時代の流れと僕を取り巻く環境と、僕自身の興味の方向性や【直観】を信じて【変化】を受け入れてきた」というのが実態であるが、28才で起業し、今回が3度目の起業になり、今までに6社の創業に携わってきた(内1社は上場した)プロセスにおいて、それこそ「値段が付けられない」経験をさせていただいてきたと思っている。とてもありがたいことである。
そのプロセスの中で何が最も「影響力」が大きかったかというと、やはり「お金」だったと思う。
最初に創った会社は、資本金1,000万円で、思い切った先行投資ができるわけもなく、ただひたすらに日々のお金を稼ぐことだけで精一杯で、実務家としての仕事以外、つまり、経営者としての仕事は「資金繰り」だけだったと言ってもよい。
今年7月にアップルコンピュータ日本法人の代表取締役を退任した前刀さんが、退任以前、親しい仲間内4人で食事をしていた時に、自分のことを「所詮、サラリーマン経営者だからさ。自分でやるのと比べたら楽なもんだよ。だって、資金繰りの心配をしなくていいんだから」と言っていたが、それは、元祖ライブドアを経営してた頃の苦労とは較べものにならないということを言っていたのだろう。
誤解のないように補足すると、前刀さんにしても、僕にしても、サラリーマン経営者(日本でもいわゆるプロフェッショナル経営者が出て来ていると思う)を否定しているわけではないし、事実として、素晴らしい経営者の方がいるのは周知の通りである。
しかし、ゼロからイチを創る尊さや、そのプロセスにおいて余儀なくされる苦労ということを、僕にしても、前刀さんにしても「リスペクト」しているということである。
前刀さんも同じことを言っていたが、「創業者」が好きな理由はそこにある。
ところで、インタースコープを創業してからも、最初の3年間は、資金繰りには苦労をした。
特に、創業して2年目は、会社の現金が底をつき、僕と共同創業者の山川さんがナケナシのお金を会社に貸し付けて、社員のみんなの給料を払う足しにしていたりした。1億円以上の増資をしても、先行投資で事業を拡大していた時期だったので、常に綱渡り状態だった。僕の人生の中で、最も辛い時期だったと言ってもいいかもしれない。
さて、話しを元に戻すと、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という点では、今はとても良い時代だと思う。
僕は学生の頃は、たいした練習も努力もしていなかったくせに「ミュージシャンになりたい」などと戯言を言っていた人間だったので、過去にベンチャーブームなるものがあったとかないとかは詳しく知らないが、インターネット出現以前の社会では、起業というと、比較的資本の要らない「飲食関係」か「旅行代理業」、僕が20代の頃は「広告代理業・販売促進・デザイン・市場調査・コンサルティング」といった選択肢ぐらいしかなかったように思う。
それに比べて、今の時代はとても多くの選択肢があるし、優秀で且つ本気でやる気がある人ならば、ベンチャーキャピタルからお金を調達することも可能だし、そういう意味で「チャレンジ」をする人にとっては、とても良い時代だと思う。
特に、何らかの形でインターネットを取り入れたビジネスであれば、起業をするにしても、転職をするにしても、業界としての「生態系(様々な意味での人脈)」が形成されているので、自分という「資産」の「流動性」も高い。つまり、実力さえ身に付けていれば、食えなくなるというリスクは無いと言ってもよい。
僕は、大企業で働くことを否定する気はないが、まだまだ「優秀な人」ほど「大企業」に行こうとする傾向が強いのは、大学生の就職人気企業ランキングを見ていても分かるし、そういう「常識」や「価値観」を少しずつでも変えていければと思っている。
まさしく、リクルートの社是のとおり、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」である。
そして、人生は短く、幸運の女神は「前髪」しかない(後ろ髪はない)のである。
もう一度、43才になった自分自身にも言い聞かせたい。
インタースコープを創業する前の僕にとって、リクルートという会社は、急成長はしているらしいが、どことなく胡散臭い会社というイメージしかなく、とくに興味もなかったが、インタースコープを創業し、リクルートの方々と仕事をするようになったことで、そのイメージは跡形も無く崩れ去っていた。
リクルートが凄いと思ったのは、まず、会う人、会う人が、非常に優秀であり、議論がぶれないということだ。
どの会社にも優秀な人はいるし、凄いと思わされる人は少なからずいる。
しかし、リクルートにおいては、仮に、5点満点のレーダーチャートがあるとしたら、殆どの人が「4.5~5.0点」に位置しており、尚かつ、共通の「価値観」を有しているので、レベルの点においても、質の点においても、議論がぶれないのである。
僕がインタースコープ時代、実務をしていた頃に担当していたクライアントでは、リクルートと野村総研には非常にお世話になり、その両社の方々に育てていただいたと思っている。この場を借りて、深くお礼を申し上げたい。(野村総研に関しても、別の機会にエピソードを書きたいと思う。)
ところで、僕が大きな影響を受けたリクルートであるが、とても素晴らしい社是がある。
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」というものだ。
先日、アバカス・ジャパンのCOOをされている横江さんという方の紹介で、元リクルートの井崎さんという方をご紹介いただき、3人で食事をしたのだが、井崎さんからいただいたメールに、リクルートの社是が書かれていた。
僕のことを「若い頃からリクルートの社是を実戦している人だと思いました」と書いていただいていたが、それは褒め過ぎだとして、確かに、機会が人を変化させるし、成長させるのは間違いないと思う。
僕の場合は、自分の意志で(自ら)機会を創ってきたというよりも、「時代の流れと僕を取り巻く環境と、僕自身の興味の方向性や【直観】を信じて【変化】を受け入れてきた」というのが実態であるが、28才で起業し、今回が3度目の起業になり、今までに6社の創業に携わってきた(内1社は上場した)プロセスにおいて、それこそ「値段が付けられない」経験をさせていただいてきたと思っている。とてもありがたいことである。
そのプロセスの中で何が最も「影響力」が大きかったかというと、やはり「お金」だったと思う。
最初に創った会社は、資本金1,000万円で、思い切った先行投資ができるわけもなく、ただひたすらに日々のお金を稼ぐことだけで精一杯で、実務家としての仕事以外、つまり、経営者としての仕事は「資金繰り」だけだったと言ってもよい。
今年7月にアップルコンピュータ日本法人の代表取締役を退任した前刀さんが、退任以前、親しい仲間内4人で食事をしていた時に、自分のことを「所詮、サラリーマン経営者だからさ。自分でやるのと比べたら楽なもんだよ。だって、資金繰りの心配をしなくていいんだから」と言っていたが、それは、元祖ライブドアを経営してた頃の苦労とは較べものにならないということを言っていたのだろう。
誤解のないように補足すると、前刀さんにしても、僕にしても、サラリーマン経営者(日本でもいわゆるプロフェッショナル経営者が出て来ていると思う)を否定しているわけではないし、事実として、素晴らしい経営者の方がいるのは周知の通りである。
しかし、ゼロからイチを創る尊さや、そのプロセスにおいて余儀なくされる苦労ということを、僕にしても、前刀さんにしても「リスペクト」しているということである。
前刀さんも同じことを言っていたが、「創業者」が好きな理由はそこにある。
ところで、インタースコープを創業してからも、最初の3年間は、資金繰りには苦労をした。
特に、創業して2年目は、会社の現金が底をつき、僕と共同創業者の山川さんがナケナシのお金を会社に貸し付けて、社員のみんなの給料を払う足しにしていたりした。1億円以上の増資をしても、先行投資で事業を拡大していた時期だったので、常に綱渡り状態だった。僕の人生の中で、最も辛い時期だったと言ってもいいかもしれない。
さて、話しを元に戻すと、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という点では、今はとても良い時代だと思う。
僕は学生の頃は、たいした練習も努力もしていなかったくせに「ミュージシャンになりたい」などと戯言を言っていた人間だったので、過去にベンチャーブームなるものがあったとかないとかは詳しく知らないが、インターネット出現以前の社会では、起業というと、比較的資本の要らない「飲食関係」か「旅行代理業」、僕が20代の頃は「広告代理業・販売促進・デザイン・市場調査・コンサルティング」といった選択肢ぐらいしかなかったように思う。
それに比べて、今の時代はとても多くの選択肢があるし、優秀で且つ本気でやる気がある人ならば、ベンチャーキャピタルからお金を調達することも可能だし、そういう意味で「チャレンジ」をする人にとっては、とても良い時代だと思う。
特に、何らかの形でインターネットを取り入れたビジネスであれば、起業をするにしても、転職をするにしても、業界としての「生態系(様々な意味での人脈)」が形成されているので、自分という「資産」の「流動性」も高い。つまり、実力さえ身に付けていれば、食えなくなるというリスクは無いと言ってもよい。
僕は、大企業で働くことを否定する気はないが、まだまだ「優秀な人」ほど「大企業」に行こうとする傾向が強いのは、大学生の就職人気企業ランキングを見ていても分かるし、そういう「常識」や「価値観」を少しずつでも変えていければと思っている。
まさしく、リクルートの社是のとおり、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」である。
そして、人生は短く、幸運の女神は「前髪」しかない(後ろ髪はない)のである。
もう一度、43才になった自分自身にも言い聞かせたい。
スピードスケートの清水選手
先日の日経新聞にスピードスケートの清水宏保選手の記事が載っていた。
長野五輪で金メダルを取り、ソルトレークシティでは銀メダルを取ったスピードスケートの頂点に立っていた彼が、トリノ五輪では「18位」に沈んだ。金・銀・18位という順位が示すように、彼の存在感も薄れていったのは事実だと思う。
特に、長野五輪での「デビュー」が鮮烈だったが故に、その残像を背負うことになった彼は、周囲の期待に応えるために、凡人には想像さえできないような苦悩と努力があったのだと思う。
その清水選手が、トリノ五輪では「ただこなしていた」と語っている。情熱もモチベーションも上がらず、勝ち負け以前の「限界」を見たという。
最近、最初に起業した頃のこと、鳴かず飛ばずだった頃、インタースコープを創業した頃、VCから1億以上のお金を調達したものの、本当に結果を出せるのだろうか?と思い、日々、不安で仕方が無かった頃、インタースコープがようやく軌道にのったものの、自分の役割について悩んでいた頃のことを思い出しており、清水選手の胸の内に想いを馳せた。
清水選手は、進退を思い悩んだ結果、今年3月に「現役続行」を宣言したが、その後も「迷いというか、いろいろな不安がある中、このままスケートを続けていいのかと思っていた」らしい。
吹っ切れない気持ちを抱える中で、清水選手が気づいたことがあるという。それは、「様々な経験をしているから、余分な情報が入って邪魔をする」ということだそうだ。
頭の中をリセットするには約半年かかったとも書いてある。実績抜群のベテランゆえのこだわりをぬぐうと、再び視界が開けてきた、とも。
また、8才年下の杉森選手に職人を紹介され、「靴を作ってもらいたいと思う人と出会えた」という。
そして、「今は、あそこで辞めなくてよかったという感覚がある」と語っている。
孤高の人が好き(憧れ)で単純な僕は、新聞や雑誌の記事を読むだけで、とても励まされ、勇気づけられる。
清水選手の「生き方」には、とても深いものを感じる。
長野五輪で金メダルを取り、ソルトレークシティでは銀メダルを取ったスピードスケートの頂点に立っていた彼が、トリノ五輪では「18位」に沈んだ。金・銀・18位という順位が示すように、彼の存在感も薄れていったのは事実だと思う。
特に、長野五輪での「デビュー」が鮮烈だったが故に、その残像を背負うことになった彼は、周囲の期待に応えるために、凡人には想像さえできないような苦悩と努力があったのだと思う。
その清水選手が、トリノ五輪では「ただこなしていた」と語っている。情熱もモチベーションも上がらず、勝ち負け以前の「限界」を見たという。
最近、最初に起業した頃のこと、鳴かず飛ばずだった頃、インタースコープを創業した頃、VCから1億以上のお金を調達したものの、本当に結果を出せるのだろうか?と思い、日々、不安で仕方が無かった頃、インタースコープがようやく軌道にのったものの、自分の役割について悩んでいた頃のことを思い出しており、清水選手の胸の内に想いを馳せた。
清水選手は、進退を思い悩んだ結果、今年3月に「現役続行」を宣言したが、その後も「迷いというか、いろいろな不安がある中、このままスケートを続けていいのかと思っていた」らしい。
吹っ切れない気持ちを抱える中で、清水選手が気づいたことがあるという。それは、「様々な経験をしているから、余分な情報が入って邪魔をする」ということだそうだ。
頭の中をリセットするには約半年かかったとも書いてある。実績抜群のベテランゆえのこだわりをぬぐうと、再び視界が開けてきた、とも。
また、8才年下の杉森選手に職人を紹介され、「靴を作ってもらいたいと思う人と出会えた」という。
そして、「今は、あそこで辞めなくてよかったという感覚がある」と語っている。
孤高の人が好き(憧れ)で単純な僕は、新聞や雑誌の記事を読むだけで、とても励まされ、勇気づけられる。
清水選手の「生き方」には、とても深いものを感じる。
未来に対して責任を持つ。
昨年の9月に初めての子供が生まれ、今年の3月にインタースコープを退任し、4月からドリームビジョンを始めたわけで、こうして改めて文字にしてみると、僕の人生において大きな変化の中にいることがわかる。
その中で何が最も大きいかというと、やはり、子供が生まれたことだろう。
子供が生まれたことにより、僕がどう変わったかは、後日、改めて書こうと思うが、ドリームビジョンのSNSメンバーでもある木村さんという方のブログで、なるほど・・・と思ったことがある。
「少し話は変わりますが、子供がいるということは、将来に対しての責任を持つことではないかということをふと感じました。自己の欲求を満たすことだけを追求する人生もどうかという話ですね」。
と彼は書いている。
法政大学のビジネススクールと共催で行っているオープン講座にオールアバウトの江幡さんが来てくれた時の彼の話を聴いて、そう思ったそうだ。
彼は子供がいないにも関わらず、視野(感受性が豊か)の広い人である。
その中で何が最も大きいかというと、やはり、子供が生まれたことだろう。
子供が生まれたことにより、僕がどう変わったかは、後日、改めて書こうと思うが、ドリームビジョンのSNSメンバーでもある木村さんという方のブログで、なるほど・・・と思ったことがある。
「少し話は変わりますが、子供がいるということは、将来に対しての責任を持つことではないかということをふと感じました。自己の欲求を満たすことだけを追求する人生もどうかという話ですね」。
と彼は書いている。
法政大学のビジネススクールと共催で行っているオープン講座にオールアバウトの江幡さんが来てくれた時の彼の話を聴いて、そう思ったそうだ。
彼は子供がいないにも関わらず、視野(感受性が豊か)の広い人である。
アイスタイルの吉松さん
11/13(月)の夜、法政大学と共同で運営しているオープン講座に、アイスタイルの吉松さんが来てくれることになった。
吉松さんと初めて会ったのは2002年の秋だったと思うが、アイスタイル(@コスメ)というサイトが出現したことは、2000年頃にウェブ上のリリースか何かで知った。
「このサイトは必ず化ける(成功する)だろうな・・・」と思った。
そして、見事に化粧品業界では知らない人はいないほど、@コスメはユーザーの支持を獲得し、アイスタイルという会社は成長を続けている。
聞くところによると、創業当初のオフィスは、トレイもなく?滅茶苦茶な環境だったらしい。そして、役員報酬も初年度はゼロ。しかし、そんな現実にもかかわらず、吉松さんや山田メユミさん(@コスメ主宰)やアイスタイルに賭けたスタッフが集まり、今の会社を創ったという。
何がアイスタイルの魅力なのか?何が吉松さんの原動力となっていた(いる)のかを聴けるのが楽しみである。
吉松さんと初めて会ったのは2002年の秋だったと思うが、アイスタイル(@コスメ)というサイトが出現したことは、2000年頃にウェブ上のリリースか何かで知った。
「このサイトは必ず化ける(成功する)だろうな・・・」と思った。
そして、見事に化粧品業界では知らない人はいないほど、@コスメはユーザーの支持を獲得し、アイスタイルという会社は成長を続けている。
聞くところによると、創業当初のオフィスは、トレイもなく?滅茶苦茶な環境だったらしい。そして、役員報酬も初年度はゼロ。しかし、そんな現実にもかかわらず、吉松さんや山田メユミさん(@コスメ主宰)やアイスタイルに賭けたスタッフが集まり、今の会社を創ったという。
何がアイスタイルの魅力なのか?何が吉松さんの原動力となっていた(いる)のかを聴けるのが楽しみである。
愚直な実践は、優れた戦略を凌駕する。
2年連続賞金王の「片山晋吾」選手が、昨日の最終日、コースレコードと自身の最少ストロークを更新して逆転優勝をした。今シーズン3勝目である。
彼は僕と同じぐらいの身長で、体格に恵まれているわけではないが、かなりストイックに筋力トレーニングに励んでいるとのことで、体重は僕よりも10キロ近く多い。
新聞で読んだ彼のインタビュー記事に「2001年以来の年間3勝であるが、あの時とは価値が違う(今回の方が価値がある)。当時は打てない球が打てるようになり、飛距離も伸びた」という発言があった。
数字には表れない価値があり、そして、その価値が「数字」を支えていることだろう。
そう言えば、僕が最近よく読んでいるブログにベンチャーキャピタリストの辻さんという人のものがあるが、
「決めたことを実行する、という愚直な実践は、優れた戦略を凌駕する。愚直な実践を通して、ビジネスモデル(儲かる仕組み)は磨かれていく」
と書いている。
今までの僕はこの部分の努力が足りない。
身内の話しで大変恐縮であるが、僕の妻は30才を過ぎて大学に編入し、更には大学院に編入したが、その課程での2度の受験期間中は、毎日12時間も勉強をしていた。
そして、英語が大の苦手だった彼女が、今では英語の原書を読んでいる。
人間、努力に勝るものはないということだろう。
こうして書くことは誰にでも出来るが、実際に自分を律するのは簡単ではない。
彼は僕と同じぐらいの身長で、体格に恵まれているわけではないが、かなりストイックに筋力トレーニングに励んでいるとのことで、体重は僕よりも10キロ近く多い。
新聞で読んだ彼のインタビュー記事に「2001年以来の年間3勝であるが、あの時とは価値が違う(今回の方が価値がある)。当時は打てない球が打てるようになり、飛距離も伸びた」という発言があった。
数字には表れない価値があり、そして、その価値が「数字」を支えていることだろう。
そう言えば、僕が最近よく読んでいるブログにベンチャーキャピタリストの辻さんという人のものがあるが、
「決めたことを実行する、という愚直な実践は、優れた戦略を凌駕する。愚直な実践を通して、ビジネスモデル(儲かる仕組み)は磨かれていく」
と書いている。
今までの僕はこの部分の努力が足りない。
身内の話しで大変恐縮であるが、僕の妻は30才を過ぎて大学に編入し、更には大学院に編入したが、その課程での2度の受験期間中は、毎日12時間も勉強をしていた。
そして、英語が大の苦手だった彼女が、今では英語の原書を読んでいる。
人間、努力に勝るものはないということだろう。
こうして書くことは誰にでも出来るが、実際に自分を律するのは簡単ではない。
経営者のオーラ
つい先日、ある事業開発の件で、一部上場企業の経営者とお会いする機会があった。
その方とは以前にも何度かお会いしたことがあったが、久しぶりにお会いした先日、経営者としての「オーラ」を感じた。
僕とほぼ同じような年齢であるにもかかわらず、そのオーラはどこから来るのか?ということを、MTG中、ずっと考えていた。
それは、「利益や株価」という「数字」に対する責任からくるものだろうと思う。
言葉の定義にもよるが「起業家」が「夢やビジョン」を最も大切にする人だとしたら、「経営者」は「利益」に対する責任を持ち、「全体最適」を求める人のことを言うのだと考えている。
その方はほぼ「創業経営者」と言ってよいと思うが、以前にも増して「経営者」というオーラを発していた。
自分自身を振り返ってみると「起業家」として「夢やビジョン」を最も大切にしてきたのは間違いないが、「利益」を出すことと「全体最適」を図ることに関しては、及第点に至っていなかったと思っている。
今度の会社は「ドリームビジョン」という社名を冠したわけだが、「利益」を上げることと「全体最適」に拘っていこうという想いを刺激された。
とても貴重な時間だった。
その方とは以前にも何度かお会いしたことがあったが、久しぶりにお会いした先日、経営者としての「オーラ」を感じた。
僕とほぼ同じような年齢であるにもかかわらず、そのオーラはどこから来るのか?ということを、MTG中、ずっと考えていた。
それは、「利益や株価」という「数字」に対する責任からくるものだろうと思う。
言葉の定義にもよるが「起業家」が「夢やビジョン」を最も大切にする人だとしたら、「経営者」は「利益」に対する責任を持ち、「全体最適」を求める人のことを言うのだと考えている。
その方はほぼ「創業経営者」と言ってよいと思うが、以前にも増して「経営者」というオーラを発していた。
自分自身を振り返ってみると「起業家」として「夢やビジョン」を最も大切にしてきたのは間違いないが、「利益」を出すことと「全体最適」を図ることに関しては、及第点に至っていなかったと思っている。
今度の会社は「ドリームビジョン」という社名を冠したわけだが、「利益」を上げることと「全体最適」に拘っていこうという想いを刺激された。
とても貴重な時間だった。
花王アジエンス V.S. 資生堂TSUBAKI
僕の拙い知識が正しければ、10%以上のシェアを取れればシャンプー市場ではトップクラスのブランドとなる。つまり、非常に細分化されたマーケットである。
1年以上前のことになるが、花王の「アジエンス」の開発責任者の方のお話を伺ったことがある。
シャンプー市場は「清潔」というベネフィットと「美しさ(華やかさ)」というベネフィットのふたつのカテゴリーに大別することができ、花王は「清潔」マーケットにおいては「メリット」というトップブランドを持つリーディングプレイヤーであるが、「美しさ(華やかさ)」マーケットにおいては外資系ブランドの独壇場となっており、今までにそのマーケットで勝ったことがなかったらしい。
その市場において、「これでダメだったら、もう諦める」というぐらいの覚悟で臨んだ(開発した)のが「アジエンス」だったという。そして、見事に成功を収めた。
そこに化粧品関連のトップブランドのプライドを賭けて真っ向勝負をかけてきたのが、資生堂「TSUBAKI」である。
この戦いの本質は、海外ブランドが支持されている「美しさ(華やかさ)」マーケットにおいても、欧米コンプレックスではなく、アジア人としての「誇りや美しさ」に自信を持とうというメッセージにあると思うが、欧米v.s.アジアという構図でマーケティングをしている「花王」に対して、ストレートに「日本人」ということを打ち出している「資生堂」という点が興味深い。
更に言えば、他のメーカーをも巻き込んだ「アジア&日本」という訴求競争を巻き起こしており、ある種の「ナショナリズム・マーケティング」とも言える。
花王の戦略は、「欧米v.s.アジア」という訴求が、資生堂の「日本(人)」という訴求に対して説得力を維持できるか?という課題を抱えており、資生堂の戦略は、メンツをかけて「旬の日本人女優」をこれでもか?というほどに投入しているインパクトを維持できるのか?(かなりのマーケティングコストであるのは間違いない)という課題を抱えており、それぞれの今後に注目したい。
マーケティング戦略という意味で、久々に興味を持った事例である。
1年以上前のことになるが、花王の「アジエンス」の開発責任者の方のお話を伺ったことがある。
シャンプー市場は「清潔」というベネフィットと「美しさ(華やかさ)」というベネフィットのふたつのカテゴリーに大別することができ、花王は「清潔」マーケットにおいては「メリット」というトップブランドを持つリーディングプレイヤーであるが、「美しさ(華やかさ)」マーケットにおいては外資系ブランドの独壇場となっており、今までにそのマーケットで勝ったことがなかったらしい。
その市場において、「これでダメだったら、もう諦める」というぐらいの覚悟で臨んだ(開発した)のが「アジエンス」だったという。そして、見事に成功を収めた。
そこに化粧品関連のトップブランドのプライドを賭けて真っ向勝負をかけてきたのが、資生堂「TSUBAKI」である。
この戦いの本質は、海外ブランドが支持されている「美しさ(華やかさ)」マーケットにおいても、欧米コンプレックスではなく、アジア人としての「誇りや美しさ」に自信を持とうというメッセージにあると思うが、欧米v.s.アジアという構図でマーケティングをしている「花王」に対して、ストレートに「日本人」ということを打ち出している「資生堂」という点が興味深い。
更に言えば、他のメーカーをも巻き込んだ「アジア&日本」という訴求競争を巻き起こしており、ある種の「ナショナリズム・マーケティング」とも言える。
花王の戦略は、「欧米v.s.アジア」という訴求が、資生堂の「日本(人)」という訴求に対して説得力を維持できるか?という課題を抱えており、資生堂の戦略は、メンツをかけて「旬の日本人女優」をこれでもか?というほどに投入しているインパクトを維持できるのか?(かなりのマーケティングコストであるのは間違いない)という課題を抱えており、それぞれの今後に注目したい。
マーケティング戦略という意味で、久々に興味を持った事例である。
記録よりも「記憶」。
日本ハムの新庄剛志選手が、メジャーリーグ時代に記者会見で言った言葉である。
記録(数字)ではイチローには敵わないが、「記憶(印象)」では彼に勝るとも劣らない自信があるということを言いたかったのだろう。
スポーツが好きで単純な僕は、昨夜のニュースで涙目でバッターボックスに立っている新庄をみて、目頭が熱くなった。
日本のプロ野球界に対する彼の功績は計り知れないと思う。
自分の持ち味を理解し、Only One の何かを打ち出すことが、新庄のような魅力に繋がるのだろう。
そして、あの辛口の野村監督をして、「あれだけ攻走守そろった選手は、そうはいない。(引退するのは)勿体無い」と言わしめている。
彼の生き方から、何を学べるだろうか?
記録(数字)ではイチローには敵わないが、「記憶(印象)」では彼に勝るとも劣らない自信があるということを言いたかったのだろう。
スポーツが好きで単純な僕は、昨夜のニュースで涙目でバッターボックスに立っている新庄をみて、目頭が熱くなった。
日本のプロ野球界に対する彼の功績は計り知れないと思う。
自分の持ち味を理解し、Only One の何かを打ち出すことが、新庄のような魅力に繋がるのだろう。
そして、あの辛口の野村監督をして、「あれだけ攻走守そろった選手は、そうはいない。(引退するのは)勿体無い」と言わしめている。
彼の生き方から、何を学べるだろうか?
ミハエル・シューマッハ
F1に興味のない人でも、彼の名前ぐらいは知っているだろう。アイルトン・セナなき後のF1界を引っ張ってきたミハエル・シューマッハが遂に引退した。
僕はセナの大ファンで、彼が事故死をした時は、1週間ぐらいは立ち直れず、当時、婚約中だった妻が、結婚を延期しようか?と言ってくるほどに落ち込んでいた。
そのセナに憧れていたシューマッハのことを僕は特に好きだったわけでもなく、ファンだったわけでもないが、彼のことで、とても強く印象に残っていることがある。
それは、セナの持つF1での優勝回数である「41回」という記録にシューマッハが並んだ時の記者会見での彼の姿だ。
シューマッハは、鉄のような意志の持ち主(だと思う)で、自分の感情やモチベーションを常に最高の状態にコントロールして、つけ入る隙がないような人に見えていたが、その記者会見の席で、なんと泣き崩れてしまったのである。
セナに憧れてF1の世界に入り、そのセナに追いつき追い越そうと頑張っていた25才の時、シューマッハの目の前を走っていたセナがマシントラブルにより事故死をし、そのセナの後を継いで必死になって頑張ってきたシューマッハにとって、セナの偉大なる記録に並んだことは、何とも表現できない、僕らのような凡人には到底想像すらできない想いがあったのだろうと思う。
しかし、別の見方をすれば、ターミネーターとまで呼ばれていたシューマッハも、内心では必死になって「自分自身と戦っていた」のではないか?と思われ、彼の人間らしさを垣間見た瞬間だった。
そのシューマッハが、今期限りでF1を引退すると表明した後、テレビで放映される彼の表情には、とても晴れやかで和やかなものが感じられた。
ある極限まで上り詰め、自分の限界ギリギリのところで生きていた人だけが判り得る、充実感があるのだろう。
マラソンの有森裕子さんが、自分で自分を褒めたいと思うと言っていたことがあるが、ストイックにそこまでの努力ができる人だけが、何かをつかめるのだろう。
僕はセナの大ファンで、彼が事故死をした時は、1週間ぐらいは立ち直れず、当時、婚約中だった妻が、結婚を延期しようか?と言ってくるほどに落ち込んでいた。
そのセナに憧れていたシューマッハのことを僕は特に好きだったわけでもなく、ファンだったわけでもないが、彼のことで、とても強く印象に残っていることがある。
それは、セナの持つF1での優勝回数である「41回」という記録にシューマッハが並んだ時の記者会見での彼の姿だ。
シューマッハは、鉄のような意志の持ち主(だと思う)で、自分の感情やモチベーションを常に最高の状態にコントロールして、つけ入る隙がないような人に見えていたが、その記者会見の席で、なんと泣き崩れてしまったのである。
セナに憧れてF1の世界に入り、そのセナに追いつき追い越そうと頑張っていた25才の時、シューマッハの目の前を走っていたセナがマシントラブルにより事故死をし、そのセナの後を継いで必死になって頑張ってきたシューマッハにとって、セナの偉大なる記録に並んだことは、何とも表現できない、僕らのような凡人には到底想像すらできない想いがあったのだろうと思う。
しかし、別の見方をすれば、ターミネーターとまで呼ばれていたシューマッハも、内心では必死になって「自分自身と戦っていた」のではないか?と思われ、彼の人間らしさを垣間見た瞬間だった。
そのシューマッハが、今期限りでF1を引退すると表明した後、テレビで放映される彼の表情には、とても晴れやかで和やかなものが感じられた。
ある極限まで上り詰め、自分の限界ギリギリのところで生きていた人だけが判り得る、充実感があるのだろう。
マラソンの有森裕子さんが、自分で自分を褒めたいと思うと言っていたことがあるが、ストイックにそこまでの努力ができる人だけが、何かをつかめるのだろう。
経営理念
人材紹介のビジネスを行うようになって、当然のことだが同業他社のことを勉強するようになった。
その中で、なぜ、人材紹介業を行っているのか?について、とても丁寧に書かれている会社がある。
ベンチャーエントリーという会社である。
この会社のことは、数年前から知っていたが、昨晩、同社の経営理念を読ませていただいた。
とても素晴らしい内容であり、それは文章だけではなく、社長の辻口さんの本心だと思う。リアリティを感じた。
辻口さんは、2000年に「MBO(マネジメント・バイアウト)」をして、この会社の社長になった。それ以来、様々な挫折を経験しながら現在に至っているという。
その辻口さんが考える「いい会社」とは、
「私(社員)はここで何をすべきなのかが分かる。私は会社の方針に心から納得している。私は貢献している。私は必要とされている。私はコミュニティの一員になっている。私は日々向上している。私は大切にされている。私は会社が成長し発展していくことが嬉しい。私の人生は私がコントロールする。私は後に続く人達にとって恥ずかしくない存在だ。」と社員に言ってもらえるような会社が、いい会社だと考えています。
当社の事業理念は「人材紹介事業を通して、日本に希望を与えたい」というものです。これは私が直接社会に希望を与えるのではなく、当社に勤務する社員たちが活き活きと活躍して、当社の社員と接してくださる方々に希望をお届けするのです。そのためには当社の社員たちに「自分たちはいい会社に勤めているよね」と心から感じてもらって、活き活きと活躍してもらわなくてはなりません。
と書いている。
また、
私が当社の株式を100%保有しているのも、外部株主などの意向を一切気にすることなく、ひたすらに社員のためを思うことで終始するためなのです。
と書かれている。
ベンチャー企業というと、大きく先行投資をして、会社を急成長させて、4~5年で株式公開をし、経営者は創業者利益を得て、VC等の投資家は大きなリターンを得る、ということが当然のことのように思える昨今であるが、そんな時代において、辻口さんの考え方は、一本、筋が通っていると思う。
何のためにリスクを取って会社を興し、何のために苦労をし、何のために仕事をしているのか? そのことに対する明確な答えが書いてある。
いつか是非、お会いしてみたい方である。
そして、ドリームビジョンをベンチャーエントリーに負けない「いい会社」にしたい。
その中で、なぜ、人材紹介業を行っているのか?について、とても丁寧に書かれている会社がある。
ベンチャーエントリーという会社である。
この会社のことは、数年前から知っていたが、昨晩、同社の経営理念を読ませていただいた。
とても素晴らしい内容であり、それは文章だけではなく、社長の辻口さんの本心だと思う。リアリティを感じた。
辻口さんは、2000年に「MBO(マネジメント・バイアウト)」をして、この会社の社長になった。それ以来、様々な挫折を経験しながら現在に至っているという。
その辻口さんが考える「いい会社」とは、
「私(社員)はここで何をすべきなのかが分かる。私は会社の方針に心から納得している。私は貢献している。私は必要とされている。私はコミュニティの一員になっている。私は日々向上している。私は大切にされている。私は会社が成長し発展していくことが嬉しい。私の人生は私がコントロールする。私は後に続く人達にとって恥ずかしくない存在だ。」と社員に言ってもらえるような会社が、いい会社だと考えています。
当社の事業理念は「人材紹介事業を通して、日本に希望を与えたい」というものです。これは私が直接社会に希望を与えるのではなく、当社に勤務する社員たちが活き活きと活躍して、当社の社員と接してくださる方々に希望をお届けするのです。そのためには当社の社員たちに「自分たちはいい会社に勤めているよね」と心から感じてもらって、活き活きと活躍してもらわなくてはなりません。
と書いている。
また、
私が当社の株式を100%保有しているのも、外部株主などの意向を一切気にすることなく、ひたすらに社員のためを思うことで終始するためなのです。
と書かれている。
ベンチャー企業というと、大きく先行投資をして、会社を急成長させて、4~5年で株式公開をし、経営者は創業者利益を得て、VC等の投資家は大きなリターンを得る、ということが当然のことのように思える昨今であるが、そんな時代において、辻口さんの考え方は、一本、筋が通っていると思う。
何のためにリスクを取って会社を興し、何のために苦労をし、何のために仕事をしているのか? そのことに対する明確な答えが書いてある。
いつか是非、お会いしてみたい方である。
そして、ドリームビジョンをベンチャーエントリーに負けない「いい会社」にしたい。